第6話 離れていく心
夏休みが始まった。
蝉の声が朝から鳴り止まず、時間の感覚が曖昧になる。
学校に行かない日々は、本来なら解放感に満ちているはずだった。
けれど、桐谷陽斗の心は、どこか重かった。
あの夏祭りの日から、透花との距離が微妙に変わってしまったからだ。
連絡先は交換していない。
会えるのは、学校がある日だけ。
だからこそ、最後に言えなかった言葉が、胸の奥で何度も繰り返された。
(言えばよかったのに)
そう思うたび、同時に別の声が聞こえる。
(もし、拒まれていたら)
答えの出ない問いが、陽斗を縛っていた。
◇
夏休み明け。
久しぶりに登校した校舎は、相変わらず暑かった。
だが、陽斗が感じたのは、気温とは別の“冷たさ”だった。
廊下ですれ違った透花は、こちらに気づいたものの、軽く会釈するだけで通り過ぎた。
以前のように話しかけてこない。
胸の奥が、ひゅっと冷える。
昼休み。
中庭のベンチには、彼女の姿がなかった。
図書室にも、いなかった。
代わりに、彼女がクラスの友人たちと笑っている姿を遠くから見る。
楽しそうだ。
けれど、その輪の中に、自分の居場所はない気がした。
◇
数日後。
陽斗は、思い切って声をかけた。
「篠宮さん」
廊下で呼び止めると、透花は少し驚いたように振り返る。
「……桐谷くん」
「最近……」
言葉が、途中で詰まった。
「何か、ありましたか?」
透花は一瞬、視線を落とす。
「……いえ」
短い答え。
「ただ、夏休み明けで、ちょっと忙しくて」
その声は、どこかよそよそしかった。
「そう、ですか」
それ以上、踏み込めなかった。
無理に近づけば、余計に離れてしまいそうで。
透花は「じゃあ」と言って、その場を去っていった。
残された陽斗は、拳を握りしめる。
距離が、確実に広がっている。
◇
放課後。
図書室の奥の席に座りながら、陽斗は窓の外を見ていた。
かつて“二人の場所”だったここが、今はただ静かなだけの空間になっている。
椅子の向かいは、空いたまま。
(全部、僕のせいだ)
夏祭りの夜。
言えなかった想い。
踏み出さなかった勇気。
あのときの沈黙が、今の距離を作ってしまった。
そう思うほど、胸が苦しくなる。
◇
一方、透花もまた、別の教室で一人、窓の外を見ていた。
(……私、避けてる)
自覚はあった。
陽斗のことを嫌いになったわけじゃない。
むしろ、その逆だった。
夏祭りの夜。
彼が何か言いかけて、やめた瞬間。
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
(もしかして……)
期待してしまった自分が、怖くなった。
もし、告白されていたら。
もし、自分がどう答えるか分からなかったら。
曖昧な関係のままなら、壊れないと思ってしまった。
だから距離を取った。
逃げるように。
◇
ある日の放課後。
突然、空が暗くなり、雨が降り出した。
傘を持っていなかった陽斗は、昇降口で立ち尽くす。
そのとき、隣に誰かが立った。
「……桐谷くん」
透花だった。
彼女も傘を持っていないらしい。
二人は、気まずそうに並ぶ。
外では雨が激しくなっていた。
「……一緒に、待ちます?」
透花が小さく言った。
「はい」
久しぶりに、同じ空間にいる。
雨音が、沈黙を包む。
「私……」
透花が口を開きかけ、止まる。
陽斗も、何か言おうとして、結局言えなかった。
言葉は、喉の奥で絡まったまま。
雨は、なかなか止まなかった。
その静かな時間が、二人の心の距離を、よりはっきりと映していた。
近くにいるのに、遠い。
それが、今の二人だった。
⸻
第6話 完




