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第5話 夏祭りと届かなかった想い

 梅雨が明けた途端、世界は一気に夏へ傾いた。


 朝の校舎は、湿った空気と蝉の声で満ちている。

 制服のシャツが背中に張りつき、歩くだけで体力を削られるようだった。


「暑すぎだろ……」


 桐谷陽斗は額の汗を拭きながら、昇降口を抜ける。


 けれど、その暑ささえ、今年はどこか違って感じていた。


 理由は、ひとつ。


 篠宮透花と、以前より自然に話せるようになったからだ。


 噂の一件以降、二人は以前よりも少しだけ正直になった。

 距離を置くことも、避けることもしなかった。


 昼休みは中庭で。

 放課後は図書室で。


 言葉数は多くなくても、同じ時間を共有することが当たり前になっていた。


 そんなある日。


「ねえ、桐谷くん」


 昼休み、透花が少し弾んだ声で言った。


「今度の土曜日、夏祭りあるの知ってます?」


「……駅前の?」


「はい」


 陽斗は頷く。


 毎年行われる小さな祭り。

 屋台が並び、花火が少しだけ上がる。


「友達と行く予定だったんですけど……」


 透花は少し間を置いた。


「もしよかったら、一緒に行きませんか?」


 心臓が、大きく音を立てた。


 一緒に。


 その言葉が、耳の奥で何度も反響する。


「……僕で、いいんですか?」


「はい」


 迷いのない答え。


 それだけで、胸が熱くなった。


「じゃあ……行きます」


 透花は、ぱっと表情を明るくした。


「よかった」


 その笑顔を見て、陽斗はこの夏が特別なものになる予感を覚えた。


 ◇


 祭り当日。


 夕暮れの空は、淡いオレンジ色に染まっていた。


 駅前通りには提灯が吊るされ、屋台の呼び声が響く。

 浴衣姿の人々が行き交い、いつもと違う街の表情が広がっていた。


「……あ」


 待ち合わせ場所で、陽斗は思わず声を漏らした。


 透花は、白地に薄紫の花柄の浴衣を着ていた。

 髪を軽くまとめ、うなじが涼しげに見える。


「似合ってます……」


 言葉が、自然にこぼれた。


「ありがとうございます」


 透花は少し照れたように笑う。


「桐谷くんも、今日は雰囲気違いますね」


「そ、そうですか」


 普段着慣れない私服が、急に恥ずかしくなる。


 二人は並んで歩き出した。


 焼きそばの匂い。

 金魚すくいの水音。

 どこか懐かしい夏の気配。


「これ、やってみません?」


 透花が指差したのは、射的だった。


「当たったこと、ないですけど」


「私もです」


 二人で挑戦して、結局どちらも景品は取れなかった。


 それでも笑い合う時間が、何より楽しかった。


 ◇


 夜。


 少し人混みを離れ、川沿いへ向かう。


 空には、最初の花火が上がり始めていた。


 ぱっと咲いて、すぐに消える光。


「……綺麗ですね」


「はい」


 言葉が少なくなる。


 花火の音が、胸の鼓動を隠してくれる気がした。


 陽斗は、何度も言葉を飲み込んでいた。


 今日こそ、伝えたい。

 そう思っていた。


 でも、怖かった。


 もし想いを告げて、この関係が壊れたら。


 今の距離すら、失ってしまったら。


 そんな不安が、喉を締めつける。


「……桐谷くん」


 透花が、こちらを見る。


「どうかしました?」


「いえ……」


 言えなかった。


 結局、そのまま時間だけが過ぎていく。


 最後の大きな花火が、夜空を照らした。


 光の中で、透花の横顔が一瞬、切なげに見えた。


 ◇


 帰り道。


 二人の間には、どこか言葉にできない空気が流れていた。


「今日は……楽しかったです」


 透花が言う。


「はい。僕も」


 駅前で立ち止まる。


 ここで、別れだ。


「……また、学校で」


「はい」


 透花は微笑んで、背を向けた。


 その後ろ姿に、陽斗は思った。


 言えなかった言葉が、胸の奥で重く残っている。


 花火は消えたのに、想いだけが消えない。


 夏の夜風が、静かに吹き抜けた。


 それは、甘くて少し苦い、青春の始まりの匂いだった。



第5話 完


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