番外編 結婚式当日
――同じ空の、その先へ
朝の光は、思っていたよりやさしかった。
カーテンの隙間から差し込む白い光が、部屋をゆっくりと満たしていく。
桐谷陽斗は、ベッドに腰かけたまま、しばらく動けずにいた。
今日という日が、現実だと理解するのに、少し時間が必要だった。
(……結婚式、か)
何度も思い描いてきたはずなのに、胸の奥は落ち着かない。
緊張と実感が、交互に押し寄せてくる。
◇
支度部屋では、スタッフの声が行き交っていた。
「新郎さん、こちらへどうぞ」
鏡の前に立つ。
スーツ姿の自分が、少しだけ大人びて見えた。
学生だった頃の面影は残っているのに、背負ってきた時間の重さが違う。
ネクタイを整えながら、ふと昔の自分を思い出す。
言葉にするのが苦手で、想いを胸にしまい込んでいた少年。
あの頃の自分が、今の姿を見たら、どう思うだろう。
(……ちゃんと、ここまで来られたよ)
心の中で、そっと伝えた。
◇
一方、別の部屋では。
透花が、白いドレスに包まれていた。
鏡に映る自分を見つめながら、深く息を吸う。
胸の鼓動が、少し早い。
「緊張してますか?」
スタッフに聞かれ、彼女は微笑んだ。
「……はい。でも、不思議と怖くはないです」
かつて、恋に臆病だった自分がいた。
傷つくことを恐れて、一歩を踏み出せなかった日々。
それでも、手を伸ばしてくれた人がいた。
雨の日に、まっすぐ想いを伝えてくれた人。
(今日、その人と……)
胸がいっぱいになる。
◇
チャペルの扉の向こう。
陽斗は、静かに立っていた。
参列者のざわめきが、遠くに聞こえる。
扉が開くまで、あと数秒。
手のひらが、少し汗ばんでいた。
やがて、音楽が流れる。
扉が、ゆっくりと開いた。
白い光の中に、透花の姿が現れる。
その瞬間、言葉が消えた。
美しいとか、綺麗だとか、そんな表現では足りなかった。
ただ――ここまで一緒に歩いてきた時間が、一気に胸に込み上げる。
一歩、また一歩。
透花が歩くたび、過去の記憶が重なっていく。
放課後の中庭。
雨の日の告白。
遠距離の夜。
川沿いのベンチ。
すべてが、今につながっている。
◇
彼女が、隣に立つ。
視線が合う。
ほんの一瞬、二人だけの世界になる。
誓いの言葉。
陽斗は、はっきりと口にした。
「あなたを、人生の伴侶として迎えます」
声は、驚くほど落ち着いていた。
「喜びの日も、迷う日も、あなたの隣に立ち続けることを誓います」
透花も、同じように言葉を紡ぐ。
「あなたとなら、どんな日常も大切にできると信じています」
「だから……これからも、一緒に歩んでください」
指輪の交換。
少し震える指先。
それでも、確かに繋がった。
誓いのキスは、ほんの一瞬。
静かで、優しいものだった。
◇
式の後。
フラワーシャワーの中を歩く二人。
花びらが舞い、笑顔と拍手に包まれる。
陽斗は、透花の手をしっかり握っていた。
もう、離す理由はどこにもなかった。
「……夢みたいですね」
透花が小さく言う。
「はい。でも……夢じゃないです」
二人で笑う。
現実は、これから始まる。
楽しいことばかりじゃないだろう。
すれ違う日も、疲れる夜もある。
それでも。
今日、この空の下で誓ったことが、きっと支えになる。
◇
夕方。
式場の庭に出ると、空が淡い金色に染まっていた。
「覚えてますか?」
透花が言う。
「“同じ空ですね”って、よく言ってました」
「はい。今も……同じですね」
二人は並んで空を見上げる。
学生の頃と、同じ空。
でも、立っている場所は少し違う。
それでも、見上げる先は変わらない。
あの日、同じ空を見上げていた二人は、
今日、同じ未来を誓った。
これから先、どんな日が訪れても。
この空を思い出せば、また隣に戻れる。
それが、二人の物語だった。
⸻
結婚式当日編 完




