アフターストーリー
ーー君と歩く、何でもない一日
春の風は、もう冷たくなかった。
駅前の桜並木は満開で、花びらがゆっくりと宙を舞っている。
「……すごいですね」
透花が立ち止まり、見上げた。
「去年より、綺麗に見えませんか?」
陽斗は隣で同じ景色を眺めながら、少し考えてから答えた。
「たぶん……一緒に見る人が違うから、だと思います」
透花は一瞬きょとんとし、それから頬を赤らめた。
「……そういうこと、さらっと言うようになりましたよね」
「え、そ、そうですか?」
慌てる陽斗に、透花はくすっと笑った。
付き合い始めて、三か月。
大きな変化はない。
けれど、小さな変化は確かに積み重なっていた。
◇
今日は、初めての“ちゃんとしたデート”だった。
制服ではなく、私服で待ち合わせ。
何度も鏡の前で悩み、結局いつもより少しだけきれいめな服を選んだ。
陽斗も同じだったらしく、待ち合わせ場所で会った瞬間、二人同時に少し照れた。
「……その服、似合ってます」
「そっちこそ……いつもより大人っぽいです」
褒め合うたびに、会話がぎこちなくなる。
でも、それがどこか嬉しかった。
◇
カフェで向かい合って座る。
窓際の席からは、桜が見えた。
「こうして向かい合うの、ちょっと緊張しますね」
透花がストローをくるくる回す。
「学校だと、いつも横並びですもんね」
「……逃げ場がない感じがします」
「そ、そんなつもりじゃ……!」
陽斗が慌てると、透花は笑った。
「冗談です。でも……嬉しいです」
「何がですか?」
「ちゃんと“恋人”って感じがして」
その言葉に、陽斗の胸があたたかくなる。
付き合う前は、近づきたいのに怖かった。
今は、近づくほど少しだけ勇気がいる。
でも、その勇気は、苦しさじゃなかった。
◇
食後、二人は川沿いを歩いた。
風が吹くたび、桜の花びらが舞い落ちる。
「ねえ、陽斗くん」
「はい?」
「私、前は……好きになるのが怖かったんです」
唐突な言葉。
「失うのが怖くて。傷つくのが嫌で」
陽斗は、黙って耳を傾ける。
「でも今は……怖いままでも、いいのかなって」
透花は歩きながら、静かに言った。
「怖いけど、手を離さないほうを選びたいって思える人がいるなら」
陽斗は、そっと立ち止まった。
「透花さん」
彼女も足を止める。
「僕も、同じです」
言葉は多くなくていい。
同じ気持ちであることが、何よりの答えだった。
◇
夕方。
川面が夕焼けを映し、空が橙色に染まる。
二人は並んで腰を下ろした。
しばらく、何も話さずに景色を見る。
沈黙が、不安にならない。
それはきっと、心がちゃんと隣にある証だった。
「……手、繋いでもいいですか」
陽斗が、少しだけ緊張した声で言う。
透花は驚いたように目を瞬かせ、それから微笑んだ。
「はい」
指先が触れ、ゆっくりと重なる。
温度が伝わる。
ただそれだけなのに、胸がいっぱいになる。
「不思議ですね」
透花が小さく言う。
「何でもない一日なのに、忘れたくないって思える」
陽斗は、繋いだ手を少しだけ強く握った。
「……これからも、増えていくと思います」
「何が?」
「忘れたくない一日、です」
透花は、嬉しそうに頷いた。
◇
帰り道。
空には、薄く星が浮かび始めていた。
あの日、雨の中で始まった二人の物語は、今も静かに続いている。
劇的な出来事はなくてもいい。
何でもない今日を、隣で笑えるなら。
それだけで、十分すぎるほどの奇跡だった。
同じ空の下で。
これからも、二人は歩いていく。
ゆっくりと、確かに。
⸻
アフターストーリー 完




