第9話 訪問
黒いケースを抱えた黒髪の女性が、静かに一礼した。
その所作には、戦士にも似た無駄のなさがある。
淡い光を宿した黄色の瞳が、微かな揺らぎもなく領主を捉えていた。
「あなた様が、このパゴスを治めるギルバート様で間違いありませんね?」
「いかにも。用件は何だ?」
女性はもう一度、深く頭を下げる。
「私はリナと申します。
マリアンヌさんと、その夫アンドレスさんの友人です」
ギルバートの指が、わずかに止まった。
(……アンドレス。先日、“罪人”として牢で死んだ男か)
「私は長く故郷を離れていました。ですが最近になって、二人の身に起きたことを知りました」
リナは言葉を選ぶように、静かに続ける。
「アンドレスさんは、最後まで無実を訴えていたと聞いています。
どうか、その真実を確かめる力を貸してください」
彼女が抱えていた黒いケースが、静かに開かれる。
中には、一般の領民が生涯かけても触れられぬほどの金貨が、隙間なく並んでいた。
(……随分な額だ)
ギルバートは内心で鼻を鳴らす。
(罠の可能性はある。だが、相手は一人。
それに――)
彼の視線は、無意識のうちにリナへと戻る。
静かな佇まい。整った顔立ち。
恐怖に縛られた領民とは、明らかに異なる空気。
(ふん……なるほどな)
「よかろう」
ギルバートは、恩着せがましく頷いた。
「領主として、その願いを聞き届けよう。
罪人とはいえ、儂の領地の人間だ」
「本当ですか……?」
リナは安堵したように目を伏せ、再び深く頭を下げた。
「明日の朝までに精鋭を揃えさせる。
今夜は客室を使うがいい」
「ありがとうございます」
兵士に案内され、リナは静かにその場を去っていった。
扉が閉じると、室内の空気が一段、重くなる。
「主殿……本当に引き受けてよろしいのですか?」
控えていた使者が、慎重に問いかけた。
「問題ない」
ギルバートは椅子にもたれ、口角を歪める。
「仮に厄介事でも、儂には“切り札”がある――使いどころを誤らねばな」
そして、低く笑った。
「それに……あの女。
思っていた以上に、価値がありそうだ」
使者は言葉を選び、視線を逸らす。
「……私は失礼いたします」
「ああ、下がれ」
使者が部屋を出ていき、扉が閉まる。
残されたギルバートは、ゆっくりと杯を傾けた。
脳裏に浮かぶのは、先ほどの静かな瞳。
怯えも、抵抗も見せなかった、その態度。
(明日になれば……)
彼は、自分が“選ぶ側”であると疑っていない。
その慢心こそが、致命的な誤算であるとも知らずに。
――その判断が、
パゴス領の運命を決定づけることになる。
そして同時に、
ギルバート自身の破滅が、静かに確定した。




