第8話 パゴスの領主
パゴス領の町並みは、真昼だというのに影が濃かった。剥がれた壁、細い路地に溜まる埃。街そのものが沈み込んでいくような、荒れた空気が漂っている。
「はぁ……もう、どうすればいいのかしら」
「朝から働いて、これだけとは……」
薄汚うすよごれた服を着た夫婦が肩を寄せ合う。男が袋を開くと、硬貨が数枚、乾いた音を立てて転がった。
「また税を取られたら、まともな飯も食えんぞ……。あのクソ領主さえ――」
「やめなよ! 聞かれたら終わりだよ! 逆らったら、濡ぬれ衣ぎぬどころか命まで取られるんだから!」
女の怯えた声が震える。
この町では、怒りよりも先に“恐怖”が根を張っている。
声を荒げることすら、罪になる場所だった。
その横を、黒いケースを抱えた黒髪の女性が、静かに歩み去っていった。
彼女は足を止めず、哀れみも、驚きも、表情には浮かばなかった。
――まるで、この光景が「確認済み」であるかのように。
◆
パゴス領主館。表向きは豪奢に飾られながら、内部には薄汚れた権力の臭気がこびりついた巣窟。
館を覆う結界魔術は、外敵を防ぐためのものではない。
内側で行われる“すべて”を、外へ漏らさないための――歪んだ盾だった。
その中央で、男爵ギルバートは金貨を弄びつつ、贅沢な酒を愉悦のように喉のどへ流し込んでいた。
「……やはり、この酒は格別だ。高いだけの価値はある」
下座で控える使者が、媚を含んだ笑えみを浮かべた。
「今月も多くの資金が集まりましたな、主殿」
「当然だ。この領ほど“金が吸い上がる”場所はない」
ギルバートの笑みは、満腹の獣のそれだった。
「さすがでございます。冒険者から貴族へ昇り詰めたお方です」
「簡単な事ではないぞ。Aランクに到達せねば貴族にはなれん。儂ほどの才覚があってこそだ」
使者は大げさに頷く。
「森のゴブリン集落の壊滅。伯爵家の令嬢の護衛依頼……どれも素晴らしい功績です」
「ふん。それでも最高位のSランクに届かなかったのは惜しいがな」
彼は知らない。
功績の裏で消えた村人の名も、
護衛対象の“その後”も、
そして――自分の名が、すでに“依頼書”に記されていることも。
その時、扉がノックされた。
「ん? 入れ」
兵士が現れ、頭を下げる。
「ギルバート様、失礼します」
「直々に来るとは……急な報せか?」
兵士は顔を上げ、答えた。
「先ほど、門に一人の女性が現れまして、『ギルバート様に大事なお願いがある』とのことです」
「女? この時間にか」
「はい。見たところ、パゴスの者ではないようです」
ギルバートは髭ひげを撫なで、口角をゆっくりと上げた。
(女か……面白い)
この男は、自分が“選ぶ側”だと疑っていない。
その思い込みこそが、致命的な誤算だった。
兵士が問う。
「いかがいたしますか? 引き返させますか?」
ギルバートは酒を飲み干し、グラスを無造作に置いた。
「……いや、通せ」




