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第8話 パゴスの領主

パゴス領の町並みは、真昼だというのに影が濃かった。剥がれた壁、細い路地に溜まる埃。街そのものが沈み込んでいくような、荒れた空気が漂っている。


「はぁ……もう、どうすればいいのかしら」

「朝から働いて、これだけとは……」


 薄汚うすよごれた服を着た夫婦が肩を寄せ合う。男が袋を開くと、硬貨が数枚、乾いた音を立てて転がった。


「また税を取られたら、まともな飯も食えんぞ……。あのクソ領主さえ――」

「やめなよ! 聞かれたら終わりだよ! 逆らったら、濡ぬれ衣ぎぬどころか命まで取られるんだから!」


 女の怯えた声が震える。


 この町では、怒りよりも先に“恐怖”が根を張っている。

 声を荒げることすら、罪になる場所だった。


 その横を、黒いケースを抱えた黒髪の女性が、静かに歩み去っていった。


 彼女は足を止めず、哀れみも、驚きも、表情には浮かばなかった。

 ――まるで、この光景が「確認済み」であるかのように。



 パゴス領主館。表向きは豪奢に飾られながら、内部には薄汚れた権力の臭気がこびりついた巣窟。


 館を覆う結界魔術は、外敵を防ぐためのものではない。

 内側で行われる“すべて”を、外へ漏らさないための――歪んだ盾だった。


 その中央で、男爵ギルバートは金貨を弄びつつ、贅沢な酒を愉悦のように喉のどへ流し込んでいた。


「……やはり、この酒は格別だ。高いだけの価値はある」


 下座で控える使者が、媚を含んだ笑えみを浮かべた。


「今月も多くの資金が集まりましたな、主殿」

「当然だ。この領ほど“金が吸い上がる”場所はない」


 ギルバートの笑みは、満腹の獣のそれだった。


「さすがでございます。冒険者から貴族へ昇り詰めたお方です」

「簡単な事ではないぞ。Aランクに到達せねば貴族にはなれん。儂ほどの才覚があってこそだ」


 使者は大げさに頷く。


「森のゴブリン集落の壊滅。伯爵家の令嬢の護衛依頼……どれも素晴らしい功績です」

「ふん。それでも最高位のSランクに届かなかったのは惜しいがな」


 彼は知らない。

 功績の裏で消えた村人の名も、

 護衛対象の“その後”も、

 そして――自分の名が、すでに“依頼書”に記されていることも。


 その時、扉がノックされた。


「ん? 入れ」


 兵士が現れ、頭を下げる。


「ギルバート様、失礼します」

「直々に来るとは……急な報せか?」

 兵士は顔を上げ、答えた。


「先ほど、門に一人の女性が現れまして、『ギルバート様に大事なお願いがある』とのことです」

「女? この時間にか」

「はい。見たところ、パゴスの者ではないようです」


 ギルバートは髭ひげを撫なで、口角をゆっくりと上げた。


(女か……面白い)


 この男は、自分が“選ぶ側”だと疑っていない。

 その思い込みこそが、致命的な誤算だった。


 兵士が問う。


「いかがいたしますか? 引き返させますか?」


 ギルバートは酒を飲み干し、グラスを無造作に置いた。


「……いや、通せ」


 

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