第7話 依頼
二年後。
冥府の深淵――かつて優里が命を落としかけた中層の一角で、
「――終わりだ」
優里の放った魔術の刃が閃き、中層の上位モンスターの巨体を斜めに切り裂く。
骨とも肉ともつかぬ黒い装甲に光の線が走り、次の瞬間、それは音もなく崩壊した。
かつて冥府の中層部分に住み着いていた存在。
本来なら、腕利きの冒険者パーティーが全力を出しても勝てるかどうかと思われる相手は、今の優里にとっては障害ですらない。
『レベルが上がりました』
無機質な声が耳に響く。
「……ふぅ」
優里は軽く息を吐き、掌を開いた。
「ステータスオープン……っと。うん、順調だ。2年間でここまで伸びたなら、悪くないね」
かつての自分なら、確実に震えていた。
命を削り、逃げ惑い、ただ生き延びるだけで精一杯だった。
だが今は違う。
これは生存のための戦いではない。
自らの手で、過去に奪われたものを取り戻すための戦いだ。
冥府での修行が始まった頃に感じていた無力感は、すでにない。
代わりにあるのは、濃密に凝縮された魔力と、死線を越え続けた戦闘感覚――
それらが生み出す、確かな自信だった。
それどころか二年間の修行を経て、優里にとってそのモンスターは――「本気を出さなくても倒せる存在」になっていた。
「……じゃあ、そろそろ戻ろうか」
指を鳴らすと、黒と紫が混ざる外套が虚空から現れ、優里の身体へと滑らかに装着される。
冥府仕様の戦装束。今では、これを纏わない方が違和感を覚えるほどだった。
優里は森を抜け、冥府最深層の廊下へと足を進めた。
「何だと!? もう一回言ってみろよ!!」
「何度でも言ってやるわ。貴様の知能でまともな策を立てられるはずがなかろうが!」
扉の奥から、聞き慣れた怒鳴り声が響く。
優里が扉を開けると――
そこではランゴとカグヤが、いつも通りの舌戦を繰り広げていた。
「バカにすんなよカグヤ! オレだって数字くらい数えられるんだぞ!?
一、二、三、四……その次は……」
「四までしか言えておらんではないか。
やはりお主は脳筋の槍馬鹿じゃのう」
カグヤが呆れたようにため息をつく横で、
フードを深く被った小柄な少女――ルルが、静かに佇んでいた。
「みんな、今日も元気だね」
優里が声をかけると、三人が一斉にこちらを向いた。
「おおっ! ユーリじゃねぇか!」
ランゴが一直線に駆け寄ってくる。
「こらランゴ! ユーリ殿を気軽に呼び捨てにするでないと言っとるじゃろうが!」
「別にいいよ、カグヤ。もう慣れてるし」
優里が苦笑して答える。
その横で、ルルが無言で裾をつまみ、そっと近づいてくる。
「……んっ」
優里は自然な動作で、その頭を撫でた。
「ルルまで……羨ましすぎるのじゃ……!」
「お前こそ、毎晩ユーリの写真見てベッドで転げ回ってるくせに」
「言うなと言っとるじゃろうがあああ!!」
室内の空気が一瞬で弾けた。
優里は軽く手を叩く。
「はいはい。冗談はそこまで。本題に入ろう」
三人は即座に姿勢を正し、優里の前へと並ぶ。
「今日の依頼だ。
ターゲットは“パゴス領”の領主、ギルバート男爵」
優里は一枚の写真を取り出し、卓上に置いた。
髭を蓄えた老いた男。
細められた目の奥に浮かぶ粘ついた光が、不快感を強く刺激する。
「典型的な悪徳領主じゃな」
カグヤが鼻を鳴らした。
「依頼主の証言によると、男爵は月に一度、領民へ重税を課している。
集めた金は私腹と娯楽に消え、国の監査はすべて証拠不十分で不発だ」
「騎士団が黙ってる理由も分かるな」
ランゴが歯噛みする。
「恐らく弱みを握られてる。
反乱を起こした領民は捕縛され、冤罪で投獄。
……反乱に参加してた依頼主の夫は、その獄中で病死したらしい」
部屋の空気が重く沈んだ。
ルルが小さく身を震わせ、優里の袖を握る。
「……気に食わねぇ」
ランゴの殺気が溢れる。
「ランゴ」
優里が名を呼ぶと、彼は深く息を吐いた。
「悪い、ユーリ」
「怒りは正しい。でも、今回の目的は制裁だけじゃない」
優里は静かに続ける。
「半年前にヴァルドが言っていた。
“虚空災群”、
“天環院”、
そして――ザフィーナ」
その名が出た瞬間、空気が一段冷えた。
「この依頼は、その三つに繋がる糸でもある」
沈黙の中、優里は三人を見渡した。
「《神速の槍聖》ランゴ。
《真理の魔女》カグヤ。
《天才ヒーラー》ルル」
呼ばれた瞬間、三人の頭上に【Lv:∞】の文字が浮かび上がる。
現行の観測魔法では、もはや数値化が不可能な領域。
この二年の間、優里が冥府で召喚した“第七階梯”の存在――
その数値が、この世界にとって“許されるもの”なのかどうか――
その答えを知る者は、まだいなかった。
「もちろん、君たちにも頼りにしてる」
ランゴが槍を肩に担ぎ、笑う。
「任せとけ! 悪党相手なら遠慮はいらねぇ!」
「妾も同じく。因果ごと焼き払ってやろう」
カグヤが杖を構える。
「……いく」
ルルが静かに魔力を展開した。
優里は一度だけ、深く頷いた。
「それじゃあ――依頼を開始する」
こうして、
優里と第七階梯の《召喚英雄》たちは、偽りの領主を討つために動き出す。
だが――
この依頼が、やがて天環院とザフィーナを直接揺るがす引き金に変わっていくことを、
この時の彼らは、まだ知らない。
世界が再び彼に気づくその時、
かつて優里を切り捨てた者たちも――否応なく、その存在を知ることになる。




