第20話 クルムの闘士
酒場の一角。
フリルは静かに食事を口へ運んでいた。
優里は男たちの席を離れ、彼女の隣に腰を下ろす。
「失礼します。あなたが――このクルムの闘技場で、最も名の知られた闘士、フリルさんですね?」
穏やかな問いかけに、フリルは視線だけを向けた。
「……そうだが。お前は?」
「僕はノア。今日、この街で冒険者になりました。しばらく滞在する予定です」
偽名を名乗り、余計な感情を挟まずに答える。
「……新人冒険者が、私に何の用だ?」
食事の手は止めない。
だが、その声には警戒が滲んでいた。
「訳あって、《虚空災群》について調べています」
優里は視線を合わせ、続ける。
「あなたが、過去のアビスの生存者だと聞きました。差し支えなければ、知っていることを教えていただけませんか?」
フリルの動きが、ぴたりと止まった。
しばしの沈黙――
やがて、低く押し殺した声が零れる。
「……あの時は、生きるだけで精一杯だった」
ゆっくりと言葉を選ぶように、彼女は語り出す。
「街の近くで、突然《虚空災群》が発生した。そこで私は、“虚空獣”に襲われた」
唇を噛み、続ける。
「何度も死にかけた。……思い出したくもない」
「虚空獣……?」
優里が首を傾げる。
「アビスによって生まれるモンスターだ」
フリルは淡々と説明した。
「異常なレベルを持ち、人族なら一撃で終わる」
「……あなたは、それでも生き残った」
「そうだ」
フリルは短く頷く。
「だが、私一人の力じゃない。アースガード王国の《鉄血戦団》が来なければ、誰も生き残れなかった」
事実だけを告げる口調だった。
その時――
「おーい、フリル! こんな所にいたのか」
二人の男が声をかけてきた。
「ホルヘ、アングリー……」
親しみのある名を呼び、フリルはわずかに表情を緩める。
「なあフリル、その坊主は誰だ?」
ホルヘが優里を見て首を傾げる。
「この街の人間じゃなさそうだが」
「ノアだ。今日、冒険者になったらしい」
「へぇ……」
ホルヘは優里を値踏みするように眺めた。
「こんな若造が、な」
「こう見えて、十六歳です」
「……悪い悪い」
ホルヘは目を見開き、苦笑した。
「俺はホルヘ。こっちはアングリーだ」
「……うん」
簡素な挨拶。
「それで、さっき何の話をしてた?」
その問いに、フリルが一瞬だけ言葉に詰まる。
「な、何でもいいだろ!」
やや早口で言い放つ。
「この街のことを知らないって言うから、教えていただけだ!」
「はいはい、相変わらずだな」
「確かに」
「お前ら……!」
三人のやり取りを、優里は静かに眺めていた。
かつて、自分にもあった何気ない時間を思い出しながら。
「……仲がいいんですね」
「まあな。腐れ縁だ」
ホルヘは笑った。
「……私は、もう戻る」
フリルは席に硬貨を置き、立ち上がる。
「もうか?」
「私は奴隷だ」
淡々と告げる。
「週に一度しか、外に出られない」
そして、優里へ視線を向けた。
「ノア。冒険者になったなら、ランク上げ、頑張れ」
それだけ言い残し、酒場を後にした。
「……なあ、ノア」
ホルヘが声を落とす。
「フリルのこと、もっと知りたいか?」
優里は、静かに頷いた。
この街の闘士が背負う過去――
それを知ることが、次の選択へと繋がっていく。




