小さな小さな反撃の狼煙
「それで、撤退中に最後尾を任された彼女は二人の仲間を逃し、それ以降消息不明だと言う事ですね」
慇懃な態度でその男はアラン係長の言葉を繰り返していた。アラン係長の横には悄然としたバーナード主任が立っている。今研究所所長室に居るのはこの三人だけだった。
「そちらの作戦内容やその作戦行動にいての判断に対して私から言う事は何もありません。その方面では私は素人ですから。あなた方は最善を尽くしたのだと判断しています。
なので、これ迄の経緯はともかく、これからどうするのか。具体的には彼女の捜索は今後どの様に進められるのか、教えて頂けませんでしょうか」
顔を俯かせ、忸怩たる思いで男の発言を受け止めていたアランとバーナードは、男の最後の発言に顔をあげる。
「ラグランジュ所長。シルフ・マクスウェル主任の捜索については、あの獸達への対策を含めて、現在作戦立案中です。彼女が示した、忌避剤およびトリモチによる獸達の行動阻害を中心とした対策になるでしょう。明日には必要な武器弾薬が揃うので、捜索は明後日早朝から行う予定です」
その男、ミシェル・ラグランジュは軽く頷く。
「分りました。クーパー係長。シルフ主任の捜索の件、宜くお願いします」
暗に出て行けという命令を出したミシェルに軽く一礼したアランとバーナードは所長室を退出した。彼らが閉めたドアの音が消えるとミシェルは薄く笑みを浮べる。
「ここ迄はほぼ想定通り。さて、シルフ君は無事陽埋めの丘に辿り着いたかな。ディノス達がいるのだから、そこ迄は問題無いだろう。そのまま向こうへ行ってくれるとありがたいのだが。より進んだ研究の実物が目の前にあるのだから、研究熱心な彼女なら素直に行ってくれると思うのだがね」
ミシェル所長の表情は満面の笑みで玩具で遊ぶ子供のそれだった。
警備部の建物に戻ったアランとバーナードはアラン係長の自席を挟んで向かい合っていた。バーナードの後ろには討伐作戦に参加した警備員達が各々の自席で二人の会話に聞き耳を立てていた。
「係長、俺はこんな事を言えた立場では無いですが、ラグランジュ所長の奴、いけ好かない奴ですね。言い方は嫌味だし、部下の安否を心配する風でもない」
憤然としたバーナードが言葉吐き捨てる。
「言うな。俺も同じ気持ちだがな」
アランは暗い窓の外を見る。その表情にはシルフの生死を案じる憂いがあった。
「それより弾薬の手配は間に合いそうか。特に忌避剤の在庫は多く無いだろう」
特殊な装備の為、元々生産量が多いものでは無いのだった。アランの、そして皆の懸念点もそこにあった。
「ええ、暴徒鎮圧用に保管しているのを含めて戦闘二回分。ルーサー工学始め、全ての企業に在庫を問合せ中ですが、向こうの担当の返事はあまり色好いものではありませんでした」
「どれくらい保つ」
「戦闘頻度によりますが、四チームで捜索するとして、捜索に掛けられる時間は最大で六時間になります」
早朝から開始して午前中一杯。短かい、とアランは思った。せめて半日、夕方までは、と思うが捜索隊の安全を考えれば仕方の無い事と言えた。
「今現在、PSを使える警備員は二人だけだったか」
「ええ、PSを使い熟せる特技兵は軍でも好待遇ですから、そもそも除隊者が少いんです。うちの二人だってやっとの思いで引き入れたんです。彼女が特別なんですよ」
他に適任が居なかったとはいえ、シルフを殿にしたバーナードの自責の念は強かった。
「今後の改善点の一つだな。それで捜索方法だが、チーム毎に捜索範囲を決めて……
ちょっと失礼する。何だ、おお君か。久し振りじゃないか。どうした……」
個人の携帯端末から着信音が響き、アランは会話を中断しそれに応じた。相手は親しい間柄の様だ。
「ふむ、ふむ、それで……そうかっ。それで、どうしたいと……成程。分った、好きな様に動いてくれ、全面的に援助する。そうだ。全てこちらで上手くやる。ああ、宜しくと伝えてくれ。じゃあまた後で」
喜色を浮べた顔でアランはバーナードと彼の後ろに控える警備員達に近寄るように合図した。
「誰か盗聴欺瞞のダミーを起動してくれ。いいか、これから伝える事は極秘事項だ」
アランが内容を伝えいくうちに、彼らの顔は輝きを取り戻してゆき、最後には真剣な表情でアランを見つめるのだった。
「良し、分ったら動け」
精気を取り戻した彼らは、一斉に自身の為すべき事を為すべく、きびきびと行動に移っていたのだった。
ルーサー工学でボヤ騒ぎがあったのは、その日の深夜の事だった。出火元は化学研究の一室だった。ボヤは駆け付けた警備員によって一時間で鎮火された。その騒ぎをミシェル所長が知ったのは翌朝の事だった。
「化学研究室でボヤか。物理研究室と同じ階だな。とりあえず被害の程度を確認するか」
化学研究室の被害確認に赴いたミシェルは、研究主任にそれが大きなものでは無いとの説明を受けた後、ついでを装ってシルフの研究室を覗いた。その部屋は主が最後に立ち寄った時のまま、変った様子は見られなかった。満足気に頷いたミシェルは、所長室へと戻ったのだった。
ボヤのあった日の日中、アラン達警備員は皆忙しくしていた。ある者はひっきりなしに電話をかけまくり、ある者はPS装着での狙撃訓練を行い、ある者は模擬弾による擲弾発射訓練を行う。夕方には全ての発注品が揃い、最後にアランが全ての確認を終えた。彼は明日の捜索に携わる者全てを集めて言った。
「明日は早い。皆、今夜はゆっくり身体を休めておくように。作戦内容は昨日伝達した通り。質問は無いか。良し、解散」
次の日の早朝、アラン達はシルフ捜索の為に出動した。シルフを除いてあの討伐作戦と同じメンバーだった。彼らは装甲輸送車両に揺られサフュネ遺跡への登山口へ辿り着いた。そこには男が一人待ち受けていた。
「元気そうだな、アクラム特技兵」
アラン係長は親しい戦友へと挨拶した。
サフュネ登山口でアラン達を待ち受けていたのはアクラムだった。
「クーパー上級曹長殿もお元気そうで何よりです」
アクラムもまた、階級差を意識してはいるが、戦友との再会を喜んでいた。
「まあ、堅苦しい挨拶はここまでにして何時も通りでいこうや」
「助かります」
相好を崩すアランとアクラム。そのアクラムの背後から一人の女性が現れた。
「ご心配をお掛けしました、アラン係長、バーナード主任。それと昨日の御助力、大変助かりました。お礼を申し上げます」
「シルフ君、無事で良かった」
「すまん、俺が無茶な命令をしたばかりに……」
「もう済んだ事です。それにあれは適切な指示でした」
バーナードの贖罪をシルフは朗らかに笑って受け取ったのだった。
「そちらの準備は整ったのかね、シルフ君」
「はい。お蔭様で、研究資料一式を全て持ち出す事ができました。侵入と脱出も手伝って下さり助かりました」
そう昨日のボヤ騒ぎはアランとシルフ達の自作自演だった。
「それで、予定通り作戦を進めて良いのだろうか。彼は何時反撃してくるだろう」
シルフは満面の笑みを浮べる。
「同僚達に、所長の不正疑惑と身許詐称について、副所長に訴えるよう証拠書類と共にメッセージを出しました。それが今日の正午。所長は身柄拘束を嫌う筈なので、今日午後以降ここに来て何らかの対策を行う筈です。ですからアラン係長には、予定通り今日午後から二十四時間、彼の行動を阻止して下さればと考えております」
アランは未だ半信半疑な様子だったが、作戦自体に否は無いようだた。アクラムは除隊後、情報屋の様な事を生業としていたらしい。所長の情報は彼が一日で調べられる程安易だった様だ。
「俄には信じられない事だが、私が信じようが信じまいが、彼の言動に疑念があるのは確かだ。ここは彼が何か仕掛けてくるだろう。それを阻止した方が良いという意見には賛同する」
所長の胡散臭さはアランも感じている様だった。
「これより、作戦を開始する。総員配置に付け。シルフ君とアクラムは、洞穴を目指せ。さあ動け」
前回とは逆に登山口にはバーナード、チェスターチームが、1Qにはダンチーム、2Qにはエリクチーム、そして3Qにはアランチームが夫々サフュネへの侵入を阻止するように布陣した。
シルフとアクラムは彼らを追い越し3Qより先を目指す。アクラムはアランが運んで来たPSと武装を装着していた。元特技兵だった彼への手土産だった。
警備員達の目標は一つ。ミシェルを明日昼まで洞穴へ近付けない事。シルフの目標も一つ。ミシェルの目的を打ち砕く事。
その為に今彼らは立ち上がったのだ。