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洞穴の奥で

 頬を撫でる濡れた何かによって、シルフは目を覚ました。目の前には大型の犬に似た獸が、穏やかな双眸を彼女に向けていた。それは地面に寝ていた彼女の頬を舐めていた様だった。シルフは、咄嗟に左肩に下げた戦闘用ナイフで獸の首を刎ねようと右腕を動かす。しかしナイフの柄が有る筈の場所には何も無く、首を切る筈だった右腕の動きは空振りに終った。

 一連の動きを泰然として見ていた獸は、薄く笑う様子をシルフに見せる。

 馬鹿にされた、と感じたシルフは他の身に付けていた武器を手探りで探す。しかし何処をどう探そうと、武器の類は一つとして見付からなかった。PS毎解除されていたのだった。

 武器を諦めたシルフは上半身を起し、周囲を眺め回した。彼女は極めて不味い状況に置かれていた。周囲をすっかり獸に取り囲まれていたのだった。この場を切り抜ける道など最初から無かったのだ。

 何故自身は生きているのだろう、とシルフは考えていた。一人きりになってしまった段階で、自分の生命は無くなってしまったと覚悟していたのだった。

 シルフの目の前にいる獸がくるりと身を翻し彼女の方振り返った。その目は、付いて来い、と言ってるように彼女には思えた。リーダー格の個体なのだろう、その合図を、罠かもしれない、とは彼女は思わなかった。そんな事をする迄も無く、生殺与奪の権は向こうにあるのだから。

 リーダー格の獸は、立ち上がるシルフをPSの安置された場所へと案内した。着用しろ、という事らしい。そう判断した彼女は、素直にPSを装着した。多分不可能だろうが、逃げる手段は確保しておきたかったのだ。

 充電量を確認したシルフは半分以上残っている事に安堵の息を吐く。ご丁寧にも武器や通信機の類は全て取り外されていた。簡単な動作確認を行った彼女はリーダー格の獸を見る。彼女の様子を見ていたその獸は、彼女の準備が出来たと判断したのか、登山道を遺跡の方へと歩き出した。彼女はその後に付いていく。取り囲んでいた獸達も陣容を保ったまま一斉に歩きだした。それはまるで、彼女の逃亡を警戒する様でもあり、護衛する様でもあった。


 歩き出して直ぐ、シルフは現在地が2Qと3Qの中間地点である事がわかった。ここは共に殿(しんがり)を努めた二人を先に退却させた場所だった。あの時は二人の無事を祈ったが、彼女に対するこの獸達の扱いを見るに、問題無いだろうと思えるシルフだった。

 懸念が一つ解消されると、次にシルフの興味を引いたのは、遺跡へ向う理由だった。この獸達は、今迄頑に人を遺跡へ寄せ付けなかった。なのに何故か今は彼女を遺跡へ案内している。

 どうして、と問い掛けてみたい誘惑を覚えるシルフだったが、人の言葉が通じるかも分らず、通じたとして会話できるとも思えず、自然開きかけた口を閉じるのだった。


 登山道を登り切ると、そこには両側を切り立った崖に挟まれた煉瓦積みの大門が聳えていた。遺跡の入口に到達したのだった。(かつ)ては扉があったであろう大門は、今は妨げるものの無い大きな空洞となっていた。

 獸に先導されて大門を潜り抜けようとしたシルフは、背筋をゾクッとさせる何かを感じ左右を見回す。だがそこには、門を築く煉瓦しか見当らない。

 気のせいかと思い直し前を向くと、先導した獸が面白そうな顔をして振り向いていた。その様子が癪に触ったのか、シルフは獸を追い越す勢いで歩き出した。獸は肩を竦めるて何事も無かったかのように彼女を再び先導したのだった。


 門を潜り抜けた先には崖に周囲を囲まれた、煉瓦造りの(いにしえ)の街並みが広がっていた。所々崩れた建築物に、こんな所でも人は住めるのね、とシルフは感嘆した。その崩れた街並みは、確かに一見の価値はあるのかもしれなかったが、彼女の興味を引くものは特には無かったようだ。

 崩れた煉瓦が転がる古い街路をひたすら歩いて行くと、とうとう最奥の崖に辿り着いた。崖には奥行のありそうな先の見えない洞穴が開いていた。穴の高さは背の高い人の身長位はありそうだった。

 リーダー格の獸は立ち止まる事もなく洞穴の中へと入っていく。シルフは洞穴の前で一度唾を飲み、一つ息を吐いてから洞穴の中へと入っていった。


 洞穴の中はどういう仕組みになっているのか、入口部分を除いて弱い明りで満たされていた。明りは洞穴の岩肌にちりばめられた、光る鉱石によって(もた)らされていた。注意深く歩く分には照明など必要なかった。光る鉱石を良く見ようと顔を近づけたシルフには、その岩肌が自然に出来たものではなく、人の手で掘られたものの様に見えた。

 暫く岩肌を見ながら考えに耽っていたシルフだったが、彼女を見詰める獸に気づくと取り繕うように一つ咳をし歩き出した。獸も何事も無かったかのように彼女の先導を再開したのだった。


 どれ位歩いたのだろう。獸とシルフの洞窟行は突然終りを迎えた。洞穴の終着は広大な空間になっていた。見上げるのに首を痛めそうな高さの天井を持ち、何百人と収容できそうなその空間は、人の手で掘ったにしては広大過ぎるものだった。どこかに隙間でもあるのか空気の淀みをシルフは感じなかった。

 シルフの目を引いたのは、その空間の中央ある、枠に嵌められた二枚の石板だった。複雑な模様が刻まれたその石板は、二階建の高さの、黄金比を持つ長方形をしていた。シルフは見入られた様に石板に近づく。

 シルフが見入られたのは、こんな所に石板がある不思議さだけではなかった。刻まれた模様に見覚えがあった為でもあったのだ。

 石板に近づいていったシルフは、石板の模様が、実は更に細かい模様から成っている事に気付いた。その一部を詳細に検証した彼女は確信した。どこからどう見ても彼女のチームが研究開発中の回路パターンと同じだった。

 シルフが今最も注力している研究は、時空の各点に付随する位相空間を操作する事だった。位相空間は多世界間を媒介する空間だ、というのが彼女の予想だった。理論的研究を彼女が主として行い、多世界通信を実現する為の装置の回路設計をチーム全体で行っていたのだ。それと同じ回路パターンが刻まれている石板は彼女を大いに興奮させたのだ。

 身を熱く滾らす興奮を必死で抑えながら、シルフは石板調査の為に何が必要か考え始めた。が、視界の端に映った獸を見て、一気に熱が冷める。そう、彼女は何故かこの獸に案内されて来たが、元々この地への接近を阻んでいるのがこの獸達なのだった。

 獸達がこの地を封鎖する理由はこの石板にあるのだろう、と彼女は思う。では何故自分は通されて、他の人では駄目なのだろう。

「聞いても無駄かも知れないけど、どうして私をここに連れてきてくれたのかしら」

 答えを期待してない問いを目の前の獸に投げ掛けるシルフに、意外にも獸は反応を見せる。獸はこの空間の入口、彼女が通り抜けてきた洞穴だ、の上に目を向けた。つられて彼女も目を向けると、そこには一体の石像が祭られていた。

 その石像を見たシルフは息を飲む。岩肌を削り出して創られた石像は、若さを永遠に留めようとする強い意志が感じられる。その造形は大胆でありながら繊細さも持ち合わせていた。誰が見ても一級の芸術品だと評するだろう。だが、彼女が驚いたのはそこでは無かった。


 その石像が象っていたのは何処からどう見てもシルフ自身だったのだ。


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