猫さんについて
先日、うちの猫さんが亡くなりました。
推定22歳、うちに来てからおよそ18年。上顎部の扁平上皮癌でした。癌がなければあと2~3年は元気な姿を見せてくれたかもしれません。
僕は残念ながら、今の悲しみや辛さをだんだんと忘れてしまうでしょうし、たぶん猫さんのこと自体もおぼろげになっていってしまうのだろうなと思います。悲しみや辛さを全部抱えたままでは生きていけない、というのは確かにそうなのですが、長くともに生活した相手のことを忘れていってしまうのは、それはそれで悲しいものです。
そのようなわけで、ひとつには忘れないために、もうひとつには僕なりの手向けとして、ここに猫さんのことを書いておこうと思います。
少々湿っぽく、そして長くはなりますが、よろしければお付き合いください。
推定、というところでお察しいただけるかもしれませんが、彼(雄でした)は元野良です。
前の前の家に住んでいた頃、近所の駐車場を縄張りにしている営業の上手なキジトラの野良さんがいて、それが彼でした。高くて張りのあるいい声で鳴き、道行く人にごはんをねだって、近くのコンビニのごはんや、たまにカリカリを貰っていたような記憶があります。
そんな彼を見かけるようになってしばらく経ったある日、妻が半ば冗談で「うち来る?」と声をかけたところ、家(近くのアパートの2階でした)までついてきてごはんを食べて行ったそうです。
そして翌日、玄関の前で「ここを開けろ」と大声を出し、近所をはばかった妻が家に上げ、ごはんを食べているうちに扉が閉められて、彼はうちの猫になりました。まあ、今度は家の中から「ここを開けろ」と大声を出すようになるわけですが。
さて、当時住んでいたわが家(駅徒歩2分くらいの賃貸)はペット禁止でした。
完全にうちの猫にする前に妻から対応を相談されましたが、もう「仕方ないから大家さんに事情を話して少しだけ待ってもらって、その間にペット可の家を探そう」以外の選択肢など存在しないわけです。ふたりとも猫好きだったんですよね。
かなり緊張して(明確に契約違反ですし「すぐ出ていけ」とか「保健所に連絡しろ」みたいな話が出たらどう食い下がろうか、と悩んだものです)大家さんに連絡を入れたところ、「ここだけの話、気付いてないと思って飼ってる人も結構いるんだよ」と言われ、正直なところ少々拍子抜けしました。
まあ、とは言え、こちらとしても落ち着かないし、もう大家さんに対して「ねこがいます」は言ってしまったわけで、引越しは既定事項でした。
駅近かつペット可の物件はそうそうなく、あってもバカ高くて、何か所か探し回った挙句に「JRと私鉄の乗換駅から1つ離れた駅の、それも徒歩15分くらいかかる物件」という場所に落ち着きました。
それでも家賃がかなり高く、敷金の月数なども相俟って、引越代や新しい家具も含めた初期費用は当時の僕たち夫婦にも目を剥かせるような金額になっていました。当時の給料でも2か月分を余裕で超えていた気はします。
並行して、というよりはお迎え当初になるのですが、猫さんを動物病院に連れていきました。検査や予防接種、場合によっては去勢等々が必要になる、と思われたためです。僕も妻も、声は甲高いし小柄だし、子猫か大人になりたてなのではないか、と考えていたのですが、意外にも「3歳~5歳の成猫」「去勢済み」とのことでした。
妻と相談して、「じゃあ間を取って4歳ということにしよう」「誕生日はいつかわからんけどどこかの日が誕生日だし、初めてうちに来た日を誕生日ということにしよう」という話になりました。
「推定」22歳、というのはこのあたりから来ています。
このようにして、キジトラに白シャツ・白足袋の日本猫は、わが家の猫さんになりました。
痩せて小さかった体格はキャットフードを食べるうちにもりもり大きくなり、子猫だと思っていた猫さんは、体重6kg超、大柄でハンサム、いい声の猫さんになりました。お腹から声を出す上に体格がいい(=楽器が大きい)ので、めっちゃよく通るいい声になるんですよね。
当時ふたり暮らしだったわが家にキャットタワーが置かれ(スペース余ってたし僕も妻も浮かれてたんだよ、いいだろそのくらい)、新しいソファベッドが導入されました。
猫さんは大変マイペースでした。
人類のベッドに潜りこんで人類の隣にポジションを確保する割に、人類がちょっとでも動くとガチギレして腕をマジ咬みする、ということが一度ならずありました。一時期、僕の上腕部は、リストカットの跡みたいな線状の傷跡(マジ咬みされて慌てて引き剥がす間も顎の力を緩めてくれないため、牙が皮膚を抉ってそういう傷になります)が多数走っているという、なかなか半袖を着るのに勇気が必要な状態になっていたものです。
その他にもなんか紐を飲み込んで大騒ぎになったり、尿管結石を作ってしまって大変なことになったり(投薬でどうにかなりました)、お風呂に入れられて大暴れして僕の背中に引っ掻き傷を作ったりと、まあトラブルが絶えません。
そんな生活を続けて数か月のうちに妻の妊娠が発覚し、猫さんがうちに来てから約1年後、長男が生まれます。妻の退院を待つあいだ、妻と子供の部屋と定めた部屋でベビーベッドを組み立て、僕は猫さんに話しかけました。
「猫さんね、この部屋はしばらく入っちゃ駄目だよ」
黙って隣の部屋に移動し、部屋と部屋を仕切る襖の敷居の向こう側で正座(腰を下ろし、上半身を立てた状態で座って、尻尾を脚の前にくるんと巻くあの恰好を僕たちは『正座』と称していました)してこちらを見上げる猫さんに、僕は少なからず驚いたものです。人類の言葉を解しているとしか思えない行動と態度でした。
猫さんが長男を受け入れられるのか、ちょっかいを出したりしないか、というのは、僕も妻もかなり心配をしていたのですが、そのような心配は無用でした。自分より後に家にやってきた、自分よりも小さいなにかを、猫さんは弟分として受け入れていたようです。
長男が生まれて半年ほどで、わが家は再度引っ越しました。子供も生まれたし、持ち家を買おう、というお話が夫婦の間で出たのです。引っ越し先は僕の実家の近くの中古のマンション、1階のお部屋。現在のわが家です。
どうせ言っても静かになどできないであろうちびっこの足音を気にせずに生活できること、小さな子供の転落死のニュースが目立ち、それがとても心配だったこと、それなりの広さの庭を専有庭として使えるため、子供を遊ばせるのによいと考えたこと、実家に近く、いざというときのサポートが受けやすいこと、このあたりがおうち選びの理由になりました。
孫の顔を頻繁に見られるようになった僕の両親は大変喜び、ついでに猫さん(ふたりとも猫好きで、父は猫に好かれる体質です)もいるので更に喜んでいました。旅先からのお土産に、現地の道の駅だかで売っていたマタタビを買ってきてくれたこともあります。
人見知りする性質の猫さんも、幾度か顔を合わせて害がないということがわかるとそれなりに打ち解けてくれ、父や母がうちに来た際は自分から出迎えてご挨拶するようにもなりました。
猫さんのご挨拶、知っている方は知っていると思うのですが、あの「額を額にこつんと当てる」というやつです。とてもかわいい。あれをやられてメロメロにならない猫好きはいないし、猫あまり好きでなくても一撃で惚れさせるくらいの威力はあるんじゃないでしょうか。
うちの子供たち(長男も長女も)は、猫さんと両親(僕や妻です)が頻繁に猫さん流のご挨拶をしているのを見ていて、人類の親愛の情もそのように表す、と思っていた節があります。
僕は長男にも長女にも、抱き上げた状態で頭突きを貰ったことが一度や二度ではありません。頭突きをかましたあと笑顔でもう一撃かましてきたりするので、あれは絶対に悪戯とかではなく「なんか猫さんとごっつんこするおとーさんやおかーさんが嬉しそうだから」という理由だった、と思っています。
さて、筋力が不足気味で寝返りもハイハイも遅かった長男ですが、そのために猫さんはわりと長めに「長男の手の届かない位置の床」を安全地帯として利用できていました。平均よりも多少遅れて床をずりずりと移動できるようになった長男によって、猫さんの安全地帯はソファや棚、机の上に動くことになります。
しかし長男は猫さんに触りたい一心でつかまり立ちをするようになり、伝い歩きをするようにもなりました。猫さんの魔力すげえな。もちろん、猫さんもただ安全地帯を追われていただけではなく、たまに反撃もしています。
うっかり妻がソファに置いていたおやつ(プチシュー)を長男が発見してmgmgし、その現場を発見して声を上げた僕の方を長男が振り返って手許がお留守になった隙にさらっと上前をハネたりしてたのが典型だと思います。
猫さんはわが家の主として振る舞い、様々なことを要求し、人類の配慮が足りなかったり失礼があったりすればそれを咎める(大声で鳴いたり咬んだり爪出し猫パンチしたり)ということを当たり前のようにやっていました。
ただし、子供たちを咬むことはごく稀で、寄ってこられて迷惑そうに移動したり、爪を出さずにパンチしたり、という手加減がきちんと入る、優しいお兄ちゃんでもありました。あまりのウザさにキレた猫さんが、大きな鳴き声と怒りの表情とステップワークで部屋の隅に追い詰め、相手が泣き出したところで「ここらで勘弁しといたるわ」とばかりに背を向けて立ち去るところを、僕も妻も幾度か目撃しています。猫さんが目を大きく見開いて大声で鳴きながら距離を詰め、へらへら笑っていた長男や長女はじわじわと下がるにつれてだんだん真顔になり、ついに部屋の隅で動けなくなって泣き出すところまで追い詰める様には狩りで食ってきた獣のプライドが見え、そして実際に暴力は振るわずに相手を叱る様には無礼者を躾ける年長者としての自覚が見えていました。
かように高いプライドでもって周囲に接していた猫さんではありますが、彼は大変優しい性格の持ち主でもありました。
親に叱られて大泣きした長男や長女が、慰めて、とばかりに寄っていくと、普段はふいとどこかへ行ってしまう猫さんが迷惑そうな顔をしながらもしばらくその場に留まり、ちびが寝たり落ち着いたりするのを見届けてから「やれやれ」といった風情で立ち去るのを、幾度も目にしています。
大人も彼にはお世話になっていました。仕事が大変辛かった時期(10年前~3年前くらい)の僕は、深夜に帰宅するとまず猫さんを吸っていましたし、猫さんに愚痴を吐き出したりもしていました。そんなとき彼は特に怒るでもなくしばらくの間じっとしていてくれ、僕が落ち着いて離れると「なんか汚れた気がする」とばかりに僕が吸っていたあたりを念入りに毛繕いしていたものです。
猫の平均的な知能は人間の2~3歳児並み、というお話を聞くことがあります。僕はあれは「だいたい合っているが個体差も結構ある」と思っています。実際に猫さんと人間の幼児の両方を見ていましたが、少なくともわが家の両者は「3歳くらいまでは猫さんの方が平均的に聞き分けがよい」「小学校入学前までは、聞き分けの悪いときの子供よりも聞き分けのいいときの猫さんの方が言うことを聞いてくれる」「小学校低学年くらいまでは、頻度が減るにしても同様の逆転がある」という感じでした。
長男が4歳、猫さん9歳のときに長女が生まれ、長女も同様に猫さんの洗礼と薫陶を受けながら育っていきます。お父さん子でありつつ、お父さんが激務でなかなか家に帰ってこられない時期の長女を、猫さんは見守ってくれていました。彼女のことを、妹分と考えていた節が、やはりあるのだと思います。
そのようにして猫さんは、僕や家族とともに、歳を重ねていきました。
猫さんの半分くらいの体重で生まれてきた子供たちはすぐに猫さんの体重を追い抜き、数倍の身長・体重に育っていきます。そうなっても猫さんの態度が変わるわけではなく、あくまでも自分がトップで、子供たちは聞き分けのよくない(そしてたまに失礼を働く)弟分や妹分、というように扱っていました。
幾度か脱走し、そのたびに自分で戻ってきて、戻ってくると風呂に入れられ、動物病院に連れていかれて拗ねる、ということを繰り返してもいました。予防接種や体調を崩したときにお世話になる動物病院が、彼は大の苦手で、キャリーケースに入れるまでが一苦労(なぜか察してベッドの下や家具の隙間、押入れなどに逃げ込むことがたびたびでした)、動物病院でも常に診察台から降りようと隙を窺う、というような態度です。
ただ、診察室で暴れたことは一度もありません。怖くて震えながらも獣医師さんや看護師さんの手を咬んだりひっかいたり、ということはありませんでした。辛抱強くもあったのだろうな、と僕は思います。
動物病院に連れていくのは、だいたい僕が担当していました(いないときは妻)。なるべく悟らせないように素早く抱き上げてキャリーケースに入れるというのはそれなりに慣れと強引さが必要だったことと、妻の方が圧倒的に猫さんと仲が良かったため、その妻に裏切られるよりは僕の方がマシであろう、と判断していたのが理由です。おかげさまで毎度、帰宅後に恨みがましい視線を浴び、しばらく触るどころか近くに寄らせてももらえない、という制裁を受けていたものです。
猫さんは人類に付き合ってやっているというお立場なので、それはもう大変に自己主張がお強くていらっしゃいました。家の中でいちばん居心地のいい場所は猫さんの場所になり、それはたびたび人類が使う布団や枕、椅子などの上に設定されていました。また、猫さんが食べたいものは(猫さん的に)猫さんの食べ物であるため、残業が多かった時期の僕の夕食はしばしば危険に晒されていたものです。ラップ1枚かけてテーブルの上に置いてある夕食のお皿など、猫さんにとっては己の食事も同然でした。鶏カラや焼き魚などがメインになっていた場合、僕は猫さんの食べ残しを夕飯にすることになります。ちょっとした隙にテーブルに飛び乗り、器用にラップを剥がして目的のモノを舐めたり齧ったり持ち去ったりするんですよね。
晩年の猫さんは身体能力が衰えたことや交渉(だいたい食事中の人類の膝に乗って視線で欲しいものを追うことを指す。たまに手や口が出る)により食事の分け前を貰えるようになったことで、テーブルに飛び乗って直接食糧を強奪していくことは少なくなっていったように思います。
ただ、膝をよこせと要求してみたり、勉強やお仕事の邪魔なのかお手伝いなのかをしてみたりと、案外テーブルの上での活動は最晩年まで活発に行っていました。長男の試験勉強を邪魔していたときは、さすがにやめてやれよと思ったものですが、長男も「どうやっても勉強ができない」という状態になるまでは結構寛容に対応していました。まあ、かわいい兄貴分ですからね。
僕もデビュー作の校正作業の際、机に広げた紙の校正原稿を物珍しそうに眺めて踏んでもらったりしています。そのあと彼は、飽きるまで僕の膝を占拠して、そのくせ「なんでお前はぼくが膝に乗ってやっているのに手や身体を動かすのだ?」みたいな態度を取っていました。
猫さんは歳を取っても常に気ままでありつつ、徐々にできないことが増えていきました。
以前は飛び乗れた棚に上れなくなり、どこかから飛び降りるときも躊躇するようになり、だんだん「見えるけれども移動できない場所」というのが増えていったように思います。
そのほかにも食事の制約が増え、徐々に体重が落ちてゆき、少しずつ痩せて、撫でたときに毛皮の下の骨格が否応なしに意識されるようになっていきます。
それでもお気に入りの棚の上や妻の膝の上、僕の椅子の上、椅子経由でテーブルの上など、猫さんが好むという「高さの差がある移動」は、つい数週間前まで頻繁に行っていました。
もうひとつ猫さんが終生大好きでいたのが妻でした。妻が声をかけてうちに連れてきたことを憶えていたのか、普段の態度に理由があったのか、たぶん両方だと思います。よく膝に乗って甘え、寒い時期は毎晩妻の布団に潜りこんで眠りました。
コロナ禍で妻の仕事がリモートワーク中心になった際、大声を上げてオンライン会議に割り込んでみたり、ウェブカメラの画面に顔を出してみたりと、妻の会社の人たちにも顔を知られていた、と聞きます。
僕は正直なところ両方が羨ましくかつ妬ましい、という状況でした。
妻は猫さんにひっつかれているし、猫さんは妻にひっつかれているわけです。けしからんが過ぎる。どっちでもいいからどっちか代わってほしい、みたいなことをTwitter(現X)で呟いていた気がします。
猫さんは妻の言葉をよく理解していたようです。
毎晩、寝るときに「もう寝るよ」と声をかけると、猫さんは小さく鳴いて立ち上がり、だいたいは伸びをして、とことこ寝室へ歩いていきました。妻のうしろをついていくこともあれば、先に立って歩いていくこともあり、あれは完全に「自分が声をかけられたこと」「その声の意味するところ」「妻の行き先」が全て理解できている態度だったな、と思います。
そうやって妻と一緒に寝室に行き、布団に潜りこむと、だいたいは爆音で喉を鳴らして満足そうな顔をしていました。
彼が好んでいたことは他にもいろいろあります。
窓の外を眺めること、庭に来た鳥を監視すること、畳まれそうなお布団に座り込むこと、顎の下や首回り、耳の後ろを撫でてもらうこと、尻尾の付け根のあたりをとんとん叩いてもらうこと。
どれも大好きで、布団は畳まれているのを理解しつつ動こうとせず、窓の外が見たくなれば窓の近くに移動して声を上げ、撫でてほしいときや叩いてほしいときは人類の手の届く位置で立ち止まって「いいよ撫でても。ぼくが許す」みたいなツラしてこっちを見るのです。手を止めると「え、もう終わり?」って顔するんですよね。こちらが朝のクソ忙しい時間帯であっても、彼はそんなことを斟酌してくれません。なにせ彼は家でいちばんえらいし、人類は彼に仕えるべき存在だからです。
まことに堂々としていて、自分が好まないことはせず、好きなことを好きなようにして、それでいて賢く、優しい。
彼はわが家に来てからずっと、そのような猫でありました。
そんな彼が癌と診断されたのは今月上旬です。
年齢的なことも考え合わせると、実質的に治療手段がなく、緩和ケアをしていくほかない、というのもそのときに告知されました。
そこからは坂を転がるように体調を悪化させ、固形物が食べられなくなり、ペースト状のごはんやクリームもやがて食べるのを止め、猫さんは衰弱していきました。動物病院に連れていって点滴をお願いしたこともありますが、以後頑として食事を摂らなくなった猫さんを見て、妻は覚悟を決めたようでした。
「あれはたぶん、自分の意思で食べないと決めている」
だからもう無理な延命はすまい、というのが、僕と妻の間の了解事項になりました。
数日後に猫さんは亡くなり、昨日火葬をして、お骨になった猫さんが家に戻ってきました。
僕も家族も、これから猫さんのいない生活を送らなければいけません。
家に帰ってきたとき、朝起きたとき、僕はつい癖で猫さんがいつもいる場所を確認してしまいます。
好きに出入りができるように細めに開けた寝室の戸も、外の空気に触れられるようにとほぼ常に網戸にしていた小窓も、たぶんしばらくはそのままでしょう。
探して、ああもういないのかということを改めて確認して、そのたびに悲しくなるのだと思います。
思い出して悲しくなってたまに泣いて、それでも僕は寝て食って仕事をして、それから書かなければいけません。猫さんはいなくなってしまったけれど、僕や家族の人生はまだ続くし、〆切はやってくるからです。
書いて言葉にしたら少しは消化できるかもしれないと思って書き始めた文章ですが、僕にはまだ無理だということが確認できただけでした。
彼のことをひとつひとつ思い出すたびに悲しくて仕方がありません。あの毛皮に触れて、抱っこして、少し嫌がられながら吸って、ごろごろいう喉の音を聞いて、高くてはっきりした鳴き声を聞きたい。もう叶いませんが、強くそう思います。
悲しいけれど、それはきっと今までの幸福からの落差なのだろうとも思います。
猫さんが幸せだったかどうか、僕にはわかりません。妻と一緒にいる猫さんはいつも幸せそうでしたが、彼が本当のところどう思っていたのか、知る術はありません。ひょっとしたら、もっと幸せな猫としての生活が、どこか別のところにあったのかもしれない。
ただ、18年間一緒にいた僕も妻も、間違いなく幸せでした。生まれたときから彼が側にいた子供たちも同じだと思います。彼が家に来たときにはまだいなかった子供も、ひとりは高校生、もうひとりも中学生になりました。
いちばん仕事が辛かった時期、彼がいなければ僕は誇張抜きで、どうなっていたかわかりません。心を病んでいたかもしれないし、もっとどうしようもなく体調を崩していたかもしれない。激務であっても家で温かく迎えてくれる妻と子供たちと、そして猫さんがいたから、僕は病まずにあの時期を乗り越えられました。
だからごん、ありがとう。ここ何か月か、君は本当に苦しかったと思う。そんな中を生きて、僕たちにお別れの心構えをする時間をくれたことに、僕は感謝しています。お疲れさまでした。
僕も妻も子供たちも、君のことが大好きでした。
別れるのは本当に悲しいし辛いけれど、僕が君の所へ行くにはもう少し時間が要ると思います。
まだやることがいろいろと残っているので。
でも、いつか会えたなら、もう一度君に触れさせてほしい。
それまでしばらくのお別れです。
さようなら。