第97話:乱れ髪のあとに笑顔を
和夢はその後ろ姿を見送りながら、胸の奥がほんのりあたたかくなるのを感じていった。
「沙良さん、良かった……」
「おうおう、そりゃ良かったな」
「えっ――――れ、蓮先輩⁉」
いつの間にか、和夢のすぐ隣に蓮が立っていた。その姿に気づいた瞬間、心臓が跳ね上がる。
蓮は無言のまま、じっと和夢を睨んでいる。
「……………」
「……………」
静寂が重たくのしかかる。何も悪いことはしていないはずなのに、なぜか罪悪感が胸にじわじわと広がっていく。
そんな空気を破るように、沙良が買い物を終えて戻ってきた。彼女は蓮の姿を見つけた瞬間、目を見開き、ぴたりと立ち止まる。
「れ、蓮姉様……」
「どうして沙良がここにいるんだ? 一人でカード屋に行くのは十歳までやめとけって何度も話したはずだよな」」
「そ、それは……」
「それとも和夢後輩に頼んで、ついてきてもらったのか?」
鋭い視線が和夢に向けられる。
(そ、そうだ……僕と一緒に来たことにすれば、沙良さんが約束を破ったことにならない……いや、いっそ僕から誘ったことにして――)
せっかく沙良もLRの楽しさに気付いたのだ。だからこそこんな形で仲たがいして欲しくない。和夢は瞬時に察すると、すぐに頭を下げようとする。
「れ、蓮先輩、実は僕が――」
「蓮姉様、ごめんなさいっ!」
けれど、和夢の言葉よりも早く、沙良が前に出て深く頭を下げた。
「和夢さんとは、たまたまお店の前で会っただけです。本当に偶然で……和夢さんは、なんにも悪くありません。わたしが約束を破ったんです。だから、和夢さんを責めないでくださいっ!」
沙良の小さな肩が震えているのが伝わってくる。和夢を守るように両手を広げる姿は、あまりに健気だった。
蓮は一瞬だけ目を細め、そしてふぅっとため息をついた。
「……はぁ~~」
次の瞬間、蓮の手が沙良の頭に伸びて、わしゃわしゃと乱暴に撫で回す。
「れ、蓮姉様っ⁉」
「一人で出歩いたのは褒められたもんじゃないけど……ちゃんと謝れたのは評価に値する。これで嘘までついてたら、あたしもどうなってたか分からなかったな」
沙良の髪が、すっかり鳥の巣のようになった。それでも、蓮の手の動きには明らかに愛情がこもっていた。
「……それに、あたしが頑なにカードやらせなかった責任もある。だからまあ、半分はあたしのせいだな」
そう言って、蓮は和夢の方を振り返る。
「和夢後輩」
「は、はい!」
「……あたしの頭もぐしゃぐしゃにしてくれ」
「えっ⁉」
「ほら、沙良とお揃いの感じにな~」
と言って蓮は「んっ」と頭を差し出してくる。和夢は「えっ、えっ」と右往左往する。だがこのままでは話が進まないようだ。和夢は戸惑いつつも、おそるおそる手を伸ばした。
(こ、これじゃあ普段とは逆だな)
蓮の髪は、驚くほどしなやかだった。指が触れた瞬間、まるで水面を撫でたようにさらりと流れ、細く、柔らかく、そしてふんわりとした感触が掌に残る。和夢はその感触にドキリとしながら伺い立てる。
そして――――
「んっ……」
蓮が、喉の奥で小さく甘い吐息を漏らした。
「えっ、す、すみませんっ!?」
和夢が慌てて手を引こうとした瞬間、蓮がじとっと睨む。
「今のはその……そういうんじゃない。ほらもっとぐしゃぐしゃにしてくれ」
そう呟いた蓮の頬には、ほんのりと朱が差していた。
和夢は、ごくりと息を飲み込みながら、両手を蓮の髪に深く差し入れた。触れれば触れるほど、その柔らかさと温かさに心が和らいでいく。
撫でるたび、蓮の身体がわずかに揺れ、「ふぅ……」と気の抜けたような吐息がこぼしていく。普段の彼女からは想像もつかない、力の抜けたその表情に、思わず和夢の手もぎこちなくなる。
「こ、こんな感じでいいでしょうか……」
「足りない。全然足りない。あたしへの罰なんだから遠慮しないで、もっと全力でいけ!」
「は、はいっ!」
言われるままに、和夢は両手を蓮の髪に深く差し入れ、思い切り撫で回す。ふわりと舞うような髪が、指の間をすべっていくたび、心地よさと同時に、どこか申し訳なさが込み上げる。
気づけば二人とも髪がぐしゃぐしゃで、すっかり乱れてしまっていた。けれど、沙良がくすっと笑うのに続いて、蓮もつられて微笑んだ。
「……沙良は、あたしと違って明るいし、友達も多いし、運動もできるし……だから、わざわざカードなんかに関わる必要ないって思ってた」
「で、でも、わたしは――」
「ああ、見てた。初めから見てたし、聞いてた……あたしは親しい人相手だと、いろいろと鈍くなるらしいな」
「それじゃあ……」
「帰ったら一緒にデッキ組むか。良く見えなかったけど、お気に入りのカードを見つけたんだろ?」
「はいっ! わたし、このカードでLRを始めたいです!」
沙良が嬉しそうに差し出したのは《虚無に微笑む少女 ネフィリス》だ。
蓮はそのカードを見た瞬間、驚いたように和夢の方をちらりと見る。けれど、和夢は何も言わず、小さく首を横に振る。
「なるほど。《ネフィリス》か」
「こ、このカードじゃ難しいですか……?」
「ふふ、大丈夫だ。そいつでの構築なら、もう何十通りも考えてきてる。……ただ、一つだけ」
「えっ――――ぷぎゅっ⁉」
蓮の拳が、軽く沙良の頭を叩いた。痛くはない。けれど、唐突すぎて沙良の口から変な声が出る。
「カードの話は、まあ良い。けどな、家族のことでも勝手に話すのは、ちょっといただけないぞ」
「えっ……えっ? な、なにが……?」
沙良がぽかんとしている中、和夢だけが気まずそうに目を伏せる。
「す、すみません……蓮先輩」
「謝るなって。……いつか話すつもりだったし、それが予定よりかなり早まっただけ」
そう言って、蓮はそっぽを向いたまま歩き出す。
「あっ、蓮姉様、待ってください!」
沙良が慌てて追いかけていく。和夢は少し居心地が悪そうに頭を掻く。だが蓮の将来を聞いてしまったことを謝らなくてはと、二人の後を追っていくのだった。




