第90話:それはきっとライクではなく(前編)
アニメ鑑賞会を終え、エレナ、蓮、明日香の三人は駅前へと続く道を歩いていた。
夏の夕暮れは茜色の空が街並みを優しく包み込み、徐々に夜の気配を帯びていく。照り返しの強かったアスファルトも、今はひんやりと落ち着きを取り戻し、風が肌を撫でるたび、昼間の熱が静かに逃げていくのがわかる。
その中でひときわ浮かれているのは蓮だった。
普段は落ち着いている彼女が、今日は鼻歌まじりにスキップするような足取りで歩き、軽く手を振ったり、リズムを取りながら通りを進む。ぎこちない動きも、嬉しさを隠せない様子を誰の目にも明らかにしていた。
「ふふふーん♪ ふふふーん♪」
明日香が微笑みながら声をかける。
「蓮さん、ものすごく機嫌いいですね」
蓮は一瞬立ち止まり、目を輝かせながら胸の前で手を握る。
「そりゃそうだろ! ようやく和夢後輩が第三シーズンに突入するんだ! 待ってたんだぞ、もう!」
その声に続くように、蓮は興奮気味に口を開いた。
「そしてようやくアマルフィーナ・ノクターンが登場だ! あたしの推しがついに――くぅ~、早く視聴して、生の感想を聞きてぇ~~!」
言葉を吐き出すようにして、蓮は再び鼻歌を交えながら歩き出す。明日香はその横顔を、にこやかに、そして少し微笑みを浮かべながら見つめていた。
夕暮れの静かな通りに、蓮の鼻歌が小さく響く。明日香はふと視線を上げ、後ろを見やる。すると、エレナの姿が少し離れて歩いているのに気がついた。二人の歩くペースに合わせず、ゆっくりとした足取りで、ひとり言葉少なに進んでいる。
「……あれ、エレナさん、どうしたのかな?」
蓮が少し不安げに声をかけると、明日香も同じく尋ねた。
「大丈夫ですか、エレナさん?」
エレナははっと顔を上げ、いつもの凛とした笑顔はどこか影を潜めている。瞳は遠くを見つめているようで、何か考え込んでいる様子だ。
「ご、ごめんなさい……少し考えごとをしていましたわ」
微笑むものの声には元気がなく、蓮は心配そうに手を軽く上げる。
「大丈夫か~?」
明日香は胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。普段なら、蓮の浮かれた様子にすかさず茶化しの一言を入れるエレナが、今日は何も口を挟まない。それが、どこか彼女らしくないと感じたのだ。
(そういえば……エレナさん、今日は口数が少なかった気がする)
茜色の空はさらに深みを増し、街灯がひとつまたひとつと灯り始める。明日香はそっとエレナの横に並び、優しい声をかける。
「エレナさん、大丈夫ですか? もし辛かったら、どこかで一休みしますか?」
エレナは少し驚いたように明日香を見つめ、そしてふわりと微笑んだ。
「大丈夫ですわ。二人とも、感謝いたします」
その笑顔の奥に、かすかな陰りを明日香は見逃さなかった。彼女はそっと視線を送ったまま言葉を紡ぐ。
「……私が辛かったとき、エレナさんも蓮さんも、いつも親身になって話を聞いてくれました」
その想いは、白獣の件で二人に壁を作っていた間も変わらなかった。明日香は深い思いを込め、エレナを見つめる。
「もしエレナさんが何か悩んでいるなら、私は力になりたいんです。いえ、力にならせてください」
エレナは目をわずかに見開き、ふと視線を茜色の空へと向けた。街灯の灯りが揺れるたび、彼女の長い睫毛の影もわずかに揺れる。
「……ありがとうございます、明日香さん」
その言葉とともに、エレナは少し考え込むように足を止めた。




