第69話:アマルフィーナ・ノクターン
時間はいったん、中間テスト前まで戻る。
昼下がりの生徒会室は、いつもと変わらない穏やかで賑やかな空気に包まれていた。窓から差し込む春の陽光が、磨かれた長机の上で柔らかく反射している。
その机の一角では、エレナが持参した豪華なランチボックスが、まるで高級ホテルのビュッフェのように並んでいた。銀色の留め具を外して蓋を開けるたび、ふわりと漂う香りに周囲の空気がほんのり甘くなる。
明日香はその隣で、自分で作ったお弁当を嬉しそうに披露していた。カラフルな野菜や、キラキラと照りのあるウインナー、そして今日の目玉は――。
「今日はね、ハートの卵焼きを作ってみたんだ!」
そう言うや否や、明日香は小さな竹串で卵焼きをすくい、何のためらいもなく和夢の方へ差し出してきた。
「はい和夢君、一個あげるね」
有無を言わせぬ勢いで置かれていく。和夢はその見た目の可愛らしさに軽く目を瞬かせたあと、笑みを浮かべる。
「明日香さん、ありがとうございます!」
「うん、どういたしまして。ほら、ハートだよ、ハート♡」
明日香は両手でハートマークを作り、にこりと笑う。その仕草は少し子供っぽくもあり、けれど自然体で愛らしい。だがそのポーズの意味が和夢にはあまり分からず、小首を傾げながら卵焼きを頬張った。
「甘くてふわふわしてて、凄くおいしいです!」
そう言う和夢の声に、明日香は満足そうに目を細める。だが、その表情の裏で――。
「むぅ~~~~」
和夢の全く動じない様子に、明日香は唸り声を上げていた。照れの一つも見せてくれないのか、といった表情だ。
そんな二人のやりとりを、エレナは微笑ましげに見つめている。けれど、この賑やかな空気の中で、ただ一人だけ雰囲気の違う人物がいた。蓮だ。
彼女は箸を動かすでもなく、スマホの画面に視線を固定している。その眉間にはうっすらと皺が寄り、親指が画面を何度もスクロールしていた。
「……おいおい、マジかよ」
小さく漏らしたその声は、驚きとも喜びともつかない、不思議な響きを帯びていた。
エレナだけでなく、和夢も明日香も、その声に反応する。エレナは箸を置き、首を傾げた。
「蓮、どうかしましたの?」
呼びかけられた蓮は、ハッと顔を上げた。しかしその手はまだスマホをしっかりと握ったままだ。
「……別に、大したことじゃねえよ」
そう言いながらも、視線はすぐに画面へ戻る。だが次の瞬間、蓮は画面を凝視したまま肩を震わせ――
「……わりぃ、やっぱりあたし的には大したことだ」
その声は、さっきとは比べ物にならないほど熱を帯びていた。
蓮はスマホをテーブルの真ん中に置き、三人に見せる。和夢は首を傾げながら、その画面に浮かんだ文字を読み上げた。
「レジェンドレコード……コラボカフェ?」
たちまち、三人の視線がスマホに集中する。画面の中では、カラフルで華やかなデザインのホームページが表示されていた。
『あの感動を再び! レジェンドレコードコラボカフェ開催決定‼』
≪ファーストシーズンのメンバーが食卓を彩る! オリジナルメニューが目白押し!≫
≪人気キャラクターの描き下ろしイラストを使用したグッズや、キャラクターをイメージしたフードやドリンクが楽しめます。今回はなんと歴代ボスが主役として登場するぞ!≫
写真には、色鮮やかな料理やドリンクが並び、その横には歴代ボスキャラクターたちが描かれた描き下ろしイラストが添えられている。
和夢はアニメをまだ一年分も見終えていない。だが、この並びだけは知っていた。エレナから借りたブルーレイボックスのジャケットで見覚えがある顔ぶれだ。
「このコラボカフェって、そんなに珍しいイベントなんですか?」
何気ない疑問を口にすると、明日香が答える。
「コラボカフェ自体は珍しくないかな。私もカワケモグッズ目当てで何回か行ってるし、ほら、この前見せたファイルについてたチャーム、あれもコラボカフェで当てたやつなんだ」
「なるほど……じゃあ、蓮先輩はどうしてそんなに驚いてるんです?」
その問いに、蓮は一瞬黙り込んだ。複雑な感情が混じった目を伏せたまま、ほんの数秒。その僅かな時間でエレナは答えに辿り着いた。
「……もしかして、まさかアマルフィーナが?」
エレナの言葉が放たれた瞬間、蓮はまるで堰を切ったように声を張り上げた。
「そうだよ! アマルフィーナ・ノクターンが、ついにグッズ化されたんだ‼」
スマホの画面には、黒と紫のドレスをまとった女性が堂々と立っていた。
長い髪は夜の帳のように滑らかで、冷徹さと儚さが同居する瞳がこちらを射抜く。
その名は――『アマルフィーナ・ノクターン』だ。




