第68話:この距離が壊れないように
「協力って、僕は何を協力すればいいんです?」
「い、いえ今のは何でも…………」
「エレナ先輩大丈夫ですよ! 僕、エレナ先輩の為だったら何だって協力しますから‼」
穢れを知らぬ無垢なる瞳に嘘偽りはない。だからこそエレナはそのまま声に出してしまいそうになる。
『それは貴方の一番の恩人に牙を剝くことになってもですか』と。
和夢はきっとエレナのお願いを快く受け入れてくれるだろう。蓮も明日香もそう言っていたし、エレナ自身もそう思っている。だが、それでも――心の奥底から浮かび上がる「万が一」が恐ろしかった。
二ヶ月。和夢との付き合いは、まだそれだけの短い時間だ。そんな短い時間の間でエレナにとって、和夢はすでに失いたくない存在になっていた。
(わたくしがお願いを口にしてしまったら、和夢さんは必ずそのために尽力してくださる。それがどんなに大変なことでも、きっと全力で応えてくださいます。でも……和夢さんは本格的にLRを始めてまだ二ヶ月しか経っていない……)
和夢の今の目標は大会に出場することだ。だが参加意欲はあろうとも、和夢はまだ『勝つ』ことには拘っていない。
むしろ『勝つ』ことへの拘りを見せることで、エレナは一度、和夢にしり込みをさせたくらいだ。あの時、涙を流してしまったことをエレナは今でも覚えている。
和夢はカードゲームを通じて新しいことを覚え、今はすべてが新鮮で楽しい時間を過ごしている最中だ。そんな彼に、エレナ自身の目的――「勝つための力を貸してほしい」と頼むことは、本当に正しいのだろうかと葛藤してしまう。
(和夢さんにとって、一番大切なのは今の楽しい時間。わたくしのために、あの輝きを失わせるようなことだけはしたくありません)
さらに、エレナが抱える懸念にはもう一つの大きな理由があった。それは和夢の一番の恩人である神崎美咲の存在だ。
彼女こそが、エレナがバトルで倒したい相手。エレナの撫子杯本選出場を三度阻んだ神崎美咲に勝つこと――それがエレナの追い求めた目標だった。
だが、そのために和夢の力を借りることは、彼にとってどんな意味を持つのか。恩人である彼女を倒すために協力を頼むのは、和夢に重荷を背負わせることにならないだろうか。
そんな様々な前提が頭に浮かぶと、エレナは力なく首を振る。
(いえ、そうではありませんわ。わたくしはただ単純に……和夢さんに嫌われるのが怖いのですわね)
「エレナ先輩?」
和夢の優しい声が、エレナの思考を引き戻した。彼の顔には少し心配そうな表情が浮かんでいる。それでも、その瞳には一切の疑いも迷いもない。純粋にエレナを信じてくれている――そのまっすぐな思いが、ひしひしと伝わってきた。
「……和夢さん言葉、本当に嬉しいですわ。でも今はその言葉だけで十分ですわ」
「えっ、でもエレナ先輩……」
「大丈夫ですわ。今のわたくしにはまだ、それ以上をお願いする勇気がありませんの。でも、いつか……その時が来たら、和夢さんの力を貸してくださいね」
エレナは、少し切なげに微笑んだ。それはどこか自分自身を奮い立たせるような表情でもあった。
そんな顔をされてはこれ以上和夢には何も言えない。だからこそその答えだけは、目一杯の気持ちを込めて答えた。
「もちろんです! 僕、エレナ先輩の力になれるなら、何でも頑張りますから!」
和夢の力強い返事に、エレナの心の中の不安がほんの少しだけ和らぐ。けれど、それが完全に消えることはなかった。
「ありがとうございます。さて、次はわたくしが環境デッキを使って、和夢さんのブラックブレイズと戦わせていただきますわね」
「はい! よろしくお願いします‼」
そう言って和夢は三つのデッキをエレナに渡していく。
その何気ない仕草にさえ、彼の真っ直ぐな善意と信頼が込められていることを、エレナは痛いほど感じ取っていた。
バトルが始まってしまえば、もうこれ以上、何も語らずに済む。
――そう思ってしまう自分に、エレナはほんの少しだけ落胆した。
逃げているわけではない。けれど、彼の純粋なまなざしを前に、これ以上言葉を重ねることが怖かった。
心のどこかで、もし少しでも踏み込んでしまえば、取り返しがつかない何かが壊れてしまう気がしたのだ。
だからカードを交えることで、思考を止めたかった。対戦中だけは、自分がどんな願いを抱えているのかを忘れていられるから。
エレナの胸には、和夢に対する深い信頼があった。それは確かなもので、嘘偽りのない想いだ。けれど、それと同じくらい強く、まだ言葉にできない感情が胸の奥に疼いていた。
その感情が何なのか、自分でもわからない。ただ、それが日に日に大きくなっていくのを感じるたび、心の中がざわついて仕方がなかった。
(和夢さんのことを信じているはずなのに、どうしてこんなにも怖いのかしら……)
自分の中にある不安と欲――信じたいという気持ちと、それでも怖くて近づけない弱さ。
その相反する感情の狭間で揺れる心は、思っている以上に脆く、息苦しささえ伴っていた。
和夢の何気ない笑顔を見るたびに、胸が締めつけられる。あの笑顔を曇らせることだけはしたくない。その思いが、エレナの足を縛る鎖となっていた。
彼に寄りかかってしまいたい。けれど、寄りかかることで、彼の大切な何かを奪ってしまうのではないか。
――そんな葛藤が、彼女の心に静かに、けれど確かに影を落としていくのだった。




