第64話:ご機嫌斜めなお姫様
平日の放課後。和夢は生徒会の雑務を手伝うため、生徒会室に呼ばれていた。
いつも通り淡々と作業を進めてはいるものの、今日の空気はどこか重たい。静かに沈んだ空気の原因はただひとつ、明日香の機嫌にあった。
「むうぅ~~」
頬をぷくっと膨らませながら、明日香がジト目で和夢をにらむ。そのふくれっ面も、どこか愛らしい。だが――今日、彼女に会ってからすでに三度、四度と繰り返されているこの無言の抗議。
和夢は内心で冷や汗をかきながら、そっと口を開いた。
「あ、あの、明日香さんどうかしましたか……?」
恐る恐るかけた声に、明日香はそっぽを向きながら、ふいっと顔を背ける。その横顔にはかすかな赤みが差していた。
「……ふーん、何でもありませんよーだ」
つんと澄ましたその態度にも、どこか子供っぽさがにじんでいる。本気で怒っているわけではないのだろう。だが、明らかな不満がその小さな肩からも滲み出ていた。
そんな様子を横目に、隣にいた蓮がひそひそと話しかけてくる。
「お、おい、何したんだよ。うちのお姫様プンプンじゃねえか」
困ったように眉を下げる和夢が小さく答えた。
「それが僕にも理由が分からないんですよ。朝挨拶をしたときにはもうこんな感じで……逆に僕が帰った後何かありましたか?」
「い、いや、これと言って何もねえと思うけどな。あの後は土曜日のことを話してただけだし……」
蓮は指をポリポリと頬に当てながら思い返す。だが浮かんでくるのは、どうでもいいような雑談ばかりだった。
二人で揃って「う~ん」と悩み込む。そんな姿を見かねたのか、エレナが小さく咳払いをして場の空気を切り取った。
「蓮は頭の回転は早いですけど、乙女心に関しては少しスローテンポですわね」
「えっ、じゃあエレナは明日香が何で機嫌が悪いのか知ってるのか」
「ええ、分かりますわ。多分わたくしも同じ立場だったら……ほんのちょっとだけ、拗ねてしまったかもしれませんわね」
優雅な口調でそう告げたエレナは、意味ありげな笑みを浮かべながら和夢のほうをじっと見つめる。その視線に和夢がたじろぎながら尋ねた。
「えっと、僕はどうしたらいいんでしょうか」
「それは……わたくしが言うべきではありませんわ。むしろわたくしが解決策を口にした時点で、それは解決策ではなくなってしまいますから」
「ええっ??」
「明日香さんは別に本気で怒っているわけではございませんわ。先ほども言った通り、ほんの少し拗ねているだけですから」
そう言ってエレナはすっと立ち上がると、生徒会室を一瞥しながら声を張る。
「ホッチキスの針がなくなってしまいましたわね。蓮、取りに行くのを手伝ってくださいませんか」
「はぁ? 針くらい一人で十分だろう」
「そういうところがスローテンポなのですわ。いいから、一緒に行きますわよ」
「ちょ、おい、理屈が分からないぞ」
エレナは蓮の腕を軽くつかむと、問答無用でずるずると引きずっていく。二人が生徒会室を出ると、部屋は急に静かになり、和夢の居心地は悪さを増した。
目の前にはふくれっ面の明日香――その可愛いプレッシャーに気圧されつつ、和夢は沈黙を埋めるように口を開いた。
「あ、あの……明日香さん、本当に何でもないんですか?」
ぴくりと肩を動かす明日香。そっぽを向いたまま、かすかに唇を尖らせて言葉を返す。
「ふ~んだ」
だが、その頬にはじんわりと紅が差し、感情が隠しきれていない。和夢はわずかに戸惑いながらも、言葉を探して続けた。
「えっと……もし僕が何かしちゃったんなら謝ります。謝らせてください。でも、本当に分からなくて……教えてもらえませんか?」
その真っ直ぐな言葉に、明日香はちらりと和夢を見やる。潤んだ瞳が揺れるのは、気持ちを飲み込もうとしている証だった。だが、すぐに視線をそらし、小さく呟く。
「だって……土曜日……」
「土曜日?」
首をかしげる和夢。明日香の声は消え入りそうに小さく、次の言葉は、まるで独り言のようだった。
「土曜日に……エレナさんと蓮さんに綺麗だって言ったんだよね……」
「えっ? はい、そう、ですね……?」
記憶をたどる和夢。あの時の自分は確かに、よく言葉が出ていた気がする。しかし、目の前の明日香の機嫌にどう関係するのかまでは、すぐに理解が及ばなかった。
「それが……どうかしましたか?」
問い返す和夢に、明日香は唇をきゅっと結びながら、伏し目がちに口を開く。
「……私だって、あの日は撮影用の衣装でいっぱいおしゃれしてたのに……和夢君、私のことだけ綺麗って言ってくれなかった……」
その一言で、すべてがつながった。
和夢は目を見開き、あの日の記憶を思い返す。明日香に手を引かれ、突然の撮影。頭は混乱しっぱなしで、周囲を見る余裕すらなかった。
「そ、それは……ごめんなさい!」
慌てて頭を下げる和夢。だが、明日香は頬を膨らませたまま、どこか寂しそうに目を伏せていた。
「別に謝らなくていいよ……だって、撮影も大変だったし、和夢君は無理を言ったのは私を助けてくれたしわけだし……」
ぽつりぽつりと、明日香は自分を責めるように言葉を紡ぐ。
「こんなことで拗ねるなんて……ほんとに子どもっぽいよね、私……」
その呟きは、まるで独り言のようだった。
けれど和夢にとって、そんな理屈は関係なかった。いま明日香が目の前でしょんぼりしている――それがすべてだった。
真剣な眼差しで彼女を見つめ、和夢は言葉を選びながらゆっくりと口を開いた。
「あの日の明日香さん、すごく綺麗でした。髪も服も全部似合ってて、堂々としてて……何より、僕が緊張してたときに優しく声をかけてくれたことが嬉しくて。あの瞬間の明日香さん、本当に輝いてました」
その言葉に、明日香の頬がぱっと赤く染まる。驚いたように目を見開き、思わず息を呑む。けれどすぐに視線をそらし、小さな声で漏らした。
「……遅いよ」
その一言に和夢は思わず肩を落としたが、明日香はくるりと向き直り、顔を上げて微笑んだ。
「でもありがとう和夢君……すっごく嬉しい……あと本当にごめんね……こんなわがままで……」
柔らかな声音。その表情はようやく雲が晴れたように明るく、和夢はほっと胸をなでおろす。続けて、少し照れながら言葉を継いだ。
「でも、本当に綺麗だなって思ってたんです。あの時は撮影でいっぱいいっぱいで、ちゃんと言葉にできなかったけど……手を繋いだり、後ろから抱きしめたりって、あまりにドキドキしすぎて、正直、頭が真っ白になってて……」
その言葉に、明日香の顔は一瞬で真っ赤に染まる。
「あ、あははは、そ、そうだよね。あの時はお互いすっごくドキドキしててそれどころじゃなかったよね」
「そ、そうなんですよね!」
ちょうどその時だ。
――ガラガラピシャン‼
その瞬間、生徒会室の扉が豪快な音を立てて開かれた。そこに立っていたのは、ホッチキスの針を手にしたエレナと蓮。絶妙なタイミングだった。
「あらあら二人とも、そのお話、わたくしも詳しく教えてほしいですわね」
「いっつもあたしを話のオチに持ってきてたけどよ。今日は明日香の出番みてえだな~」
にっこりと微笑みながら、エレナは威圧感すら漂わせる完璧な笑顔を向ける。蓮はいたずらっ子のような目で明日香を見てニヤリと笑った。
明日香は「あ、あわわわ」と声を震わせて、真っ赤な顔をさらに赤くし、さっきまでとは一転、完全に立場が逆転してしまうのだった。




