第63話:あの時、出会ったのが私でなかったら
その日の夕方。和夢は「ちょっとジャケットを保管するために買い物をして帰ります」と言い残して、いつもより少し早めに帰宅していた。
一方その頃、バロックにはエレナ、蓮、明日香の三人が顔をそろえていた。柔らかな夕陽が窓越しに差し込む中、少し重たい空気が漂っていた。沈黙を破ったのは、エレナだった。
彼女は椅子に腰かけたまま視線を宙に漂わせ、慎重に言葉を選びながら話し始める。
「確かに、わたくしと初めて出会ったときの和夢さんは、見たところ完全な初心者でしたわ。でも何戦か重ねるうちに、ずいぶんスムーズにプレイしていました。だからただ久しぶりのカードに緊張していただけだと思っていましたわ」
記憶をたどるような口調に、蓮が肩をすくめながら応じる。
「あたしは、和夢後輩は一、二年ぶりに復帰組だと思ってたな。赤の貸しデッキも上手く使えてたし、そのあとコントロールデッキを渡したらかなりいい線いってたしな」
言葉を受け取るように、明日香も続く。
「私も蓮さんと同じ意見です。でも七年前のカードプールしか知らなかったって……だって、和夢君は緑の貸しデッキを渡したとき、中身をパラパラっと見ただけですぐに戦えてましたよ」
その瞬間、三人の間に沈黙が落ちた。口を閉ざし、互いの視線を交わすこともなく、ただ自分の中で事実を再構築していく。
しばらくの後、蓮が大きく息を吐いて口を開いた。
「神崎美咲が和夢後輩とLRをしてた理由。あたしはずっと、純粋にカードを楽しんでいる和夢後輩とバトルするのが楽しいからだと思ってた。あたし自身もそう感じてた。だけど、それは理由の半分だったのかもしれねえな」
その言葉の意味を追うように、明日香が小さく首を傾げる。
「じゃあ蓮さん、残りの半分って……?」
問いかけに対し、エレナはふと目を伏せ、長い睫毛の下に陰を落とした。蓮は彼女の様子を横目で見ながら、言葉を重ねる。
「和夢後輩には、とんでもない才能があるんだよ。それこそ、一度全国の頂点を取って引退した王者を、再び戦場に呼び戻すだけの才能がな」
その真剣な言葉に、明日香も自然と背筋を伸ばした。
「和夢君の才能……」
しかし蓮はすぐに肩をすくめ、現実的な調子で言い添える。
「まあ、ただの憶測でしかねえけどな」
明日香がふと隣を見ると、エレナが小さく唇を噛みしめていることに気づく。その表情には、言い知れぬ不安がにじんでいた。
「あれ、エレナさん、どうしたんですか?」
声をかけると、エレナはためらいがちに口を開いた。
「…………あの時、出会ったのが本当にわたくしで良かったのでしょうか」
「エレナさん?」
明日香が心配そうに声を上げるなか、エレナは自らの思いを語り始めた。
「アルティメットクリアシャインを拾っていただいたあの日、和夢さんに出会うことでわたくしは救われました。でも、もしあの時わたくしと出会わなければ、神崎美咲さんに見初められた才能をもっと早く開花できたのでは……そう思ってしまったのですわ……」
その告白は、まるで胸の奥に溜め込んだ思いを吐き出すようだった。
「和夢さんはずっとLRをプレイすることを夢見ていました。もしバロックを知らなければ、きっとカードキャッスルが彼の活動拠点になっていたはず。和夢さんの人柄なら、すぐに友達もできて、そして環境デッキでその才能を……」
「エレナ」
不意に蓮が遮る。語気は静かだが、どこか不穏な気配を孕んでいた。
「……はい?」
「悪い、先に謝っておく」
そう言うなり、蓮は弓を引くように後ろへ指を引き――そのまま放った。
パチン‼
小気味よい音が店内に響き、エレナの額に軽い衝撃が走る。いわゆるデコピンだ。
「い、痛いじゃありませんの……!」
エレナは目を見開いて蓮を見返した。だが蓮は腕を組んだまま、呆れたように言葉を続ける。
「エレナは神崎美咲が絡むと少しネガティブになる傾向がある。まあ、ずっと負け続けてる相手だから、分からないわけではない。だけど、お前が和夢後輩の気持ちを決めつけるのは違うだろ。あいつはそんな男じゃねえよ」
明日香もその言葉に深く頷いた。
「そうですよ、エレナさん。和夢君は勝っても負けても本当に楽しそうに笑ってて、そんな和夢君がいてくれて――――ううん、そんな和夢君だからこそ一緒にいたいって思うんじゃないんですか」
そのまっすぐな言葉に、エレナの肩が微かに震えた。
「蓮、明日香さん……」
エレナの瞳に光が宿り始めるのを見て、蓮は言葉を重ねる。
「和夢後輩がカードキャッスルで心無いプレイヤーと出会う可能性だってあった。ブラックブレイズドラゴンを使いたいって伝えた和夢後輩が、鼻で笑われて、馬鹿にされて、LRを辞めていたかもしれない可能性だ。ずっとクリアシャインを使い続けているお前なら、よく分かるだろ」
エレナは、その言葉に過去の傷を思い出す。静かに唇を噛みしめ、そして頷いた。
明日香の声が、力強く部屋に響いた。
「私はエレナさんや蓮さんのいるこのバロックだからこそ、私の“可愛い”を諦めずに突き進むことができました。他のショップじゃなく、私たち四人がいるこのバロックだから、いいんです!」
「明日香さん……わたくし……」
「それにエレナ。そんなに和夢後輩のことを思うなら、あたしたちが和夢後輩の力になってやればいいんだよ。だってあたしたちはユニークビルダーズなんだから」
その言葉に、エレナの胸に再び灯がともる。ゆっくりと手を胸元に当て、確かな熱を感じながら笑みを浮かべた。
「そうです、そうですわね。わたくしたちはユニークビルダーズ。大好きなカードで環境に挑む挑戦者。もし和夢さんが強くなりたいと願う時が来たのなら、わたくしたちが力になる。それで、それだけで良かったのですわね」
柔らかな光を取り戻したその笑顔に、蓮が茶化すように声を上げる。
「まっ、もしかしたらあっさり環境デッキに鞍替えするかもしれないけどな~」
「も、もぉ~、蓮~~」
怒るエレナを見て、蓮と明日香は堪えきれずに笑い出す。その笑い声は、どこまでも明るく、あたたかかった。
ひとしきり笑い終えた後、蓮が少しだけ真剣な顔を見せて言う。
「だからよ、そろそろ神崎美咲とのこと、和夢後輩に話してもいいと思うぞ。大丈夫だ、あいつならきっと協力してくれるからさ」
「そ、それは……もう少し勇気が出てからに致しますわ……」
「まっ、お前に任せるけどよ……さって、それじゃあ清算しておくか」
蓮は前髪をかき上げ、額を突き出す。
「一回は一回だ。遠慮しないでいいぞ」
「蓮……ふふっ、手加減いたしませんわよ♪」
「い、いや、やっぱり少しは手加減して、あいたっ⁉」
パチン! 今度はエレナの指が蓮の額に命中した。冴え渡る音とともに、また三人の笑い声がバロックに響き渡った。
その笑顔の奥には、強く、しなやかな絆と、これからを支える希望が、確かに芽吹いていくのだった。




