第55話:分かりますか? 分かりませんよね!
買い物を終え蓮に導かれながら和夢は古びた民家が立ち並ぶ道を歩いていた。
やがて、一際風格のある門構えの家が現れる。丁寧に手入れされた木製の門と控えめな家紋が印象的で、その佇まいからただ者ではない家だと一目で分かった。
「ここが……蓮先輩の家?」
「そうだよ。ほら、立ち止まってないで入れって」
蓮に急かされながら門をくぐると、白砂が敷かれた広々とした庭が目に入った。中央には庭石が配置され、苔むした石灯籠が控えめに存在感を示している。蓮は立ち止まることなく家の玄関へ向かう。
「…………あっ」
蓮はずっと握り続けていた和夢の手をじっと見つめる。蓮は最後に一度ギュッと手を握りこんで離した。そして慣れた手つきで漆塗りの引き戸を開けていく。
「靴、ここで脱いでスリッパ履いて……そしたらこっちのに来い」
「は、はい」
そう言い残して蓮は廊下を小走りで進んでいった。和夢は言われた通りに靴を脱ぎ、来客用のスリッパを履く。そして言われるがままに客室へと案内された。
「あたしの出番は三十分もない。それまでここで待ってろよ」
「あ、あの蓮先輩?」
「それじゃあちょっと行ってくるな」
蓮はその場で深呼吸をし息を整えていく。そして和夢から荷物を受け取ると足早に去って行ってしまった。部屋に一人残された和夢はとりあえず周りを見渡す。
そこは、和の趣を全面に押し出した空間だった。薄い障子から差し込む柔らかな陽光が、部屋全体を穏やかに照らしている。床にはきっちりと敷かれた畳の香りがほのかに漂い、掛け軸には山水画が控えめに飾られていた。
「え、えっと……どうしたらいいんだろう……」
流れで家まで上がりこんでしまったが、人の家に一人でいるのは流石に落ち着かなかった。
そうやって居心地悪く部屋の中を見回していると、障子の向こうから静かな足音が聞こえてきた。軽やかで整った動きだが、どこか慎重さを感じさせる。やがて障子がそっと開けられ、一人の少女が現れた。
彼女は小学三年生くらいだろうか。黒髪をきっちりとまとめ、日本人形のように整った顔立ちと、どこか落ち着きのある雰囲気をまとっている。まるで和の空間そのものから現れたかのような印象だった。
「蓮姉さまのお客様ですね。お待たせしました」
透き通るような声でそう告げると、少女は和夢の前に膝をつき、慎重な動きで湯呑みを卓上に置いた。お茶とともに小さな菓子皿も添えられている。
「あ、ありがとうございます」
和夢は少し戸惑いながらも頭を下げ、湯呑みに視線を落とす。湯気がゆらゆらと揺れ、ほんのりと香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
恐る恐る湯呑みを手に取り一口含む。口の中に広がったのは、これまで味わったことのない深い旨みとほんのりとした甘さだった。
「……美味しい!」
思わず声が漏れた。和夢は湯呑みを見つめながら、「なんだこれ……すごく上品で飲みやすい」と驚きを隠せなかった。
そんな彼の様子を、少女は静かに見守っていた。やがて和夢が湯呑みをそっと卓上に戻すと、彼女は口元に微かな笑みを浮かべた。
「お口に合ったようで何よりです」
「はい、すごく美味しかったです。あっ、えっと」
「わたしは七瀬沙良です。わたしもお名前を伺っても?」
「あっ、これは失礼しました。僕の名前は高坂和夢って言います。蓮先輩の後輩でいつもお世話になっています」
「………………高坂和夢」
和夢の名前をまるで親の仇のように復唱すると、沙良は静かな笑顔のまま圧が強くなる。
「もしかして最近蓮姉さまにLRを教わっているというお方ですか」
「は、はい……そうです……」
沙良の圧力に思いきり尻込みしてしまう。沙良はテーブルを軽く叩くとカッと目を開く。
「高坂という名字だけはよく聞いていましたが、まさか男の人だったなんて――――貴方が! 貴方が現れてから蓮姉さまがわたしと遊んでくれる時間が減ってしまったんですよ!」
「えっ、ええっ⁉」
そう言って小学生らしくバンバンと机を叩き駄々をこねる。和夢は年下相手にどのような対応をしていいのか分からず「すみません、すみません」と謝っていった。
「ほんの少し前は姉さまはいつも家にいてくれて、わたしと一緒に遊んでくれました。わたしの話をたっくさん聞いてくれて、茶道についてもいっぱい教えてくれました」
「そ、それは本当にごめんなさい」
「でも今は土曜日も日曜日も暇があればバロックに行って、夜のお話も高坂さんの話ばかり! わたしが今どんな気持ちか貴方に分かりますか!」
「そ、それは、その……」
「分かりませんよね。貴方には分かりませんよね!」
沙良はそう声を荒げるとその場から立ち上がる。和夢はその迫力に思わず身構えてしまう。だが沙良はその場から動かなかった。そしてそのまま声を荒げ続ける。
「でもこの一ヶ月間、蓮姉さまは去年みたいに凄く楽しそうにしています。わたしの話を聞くだけでなく、自分の話もいっぱいしてくれるようになりました。家に引きこもるばかりでなく、たくさん外に出るようになりました! だから――――ありがとうございます、高坂さん‼」
そう言って沙良は深々と頭を下げていった。和夢は身構えていた姿勢を崩すと負けじと頭を下げた。
和夢は少し照れくさそうに頭をかいた。
「えっと……僕のほうこそ、いつも蓮先輩には助けてもらってばかりなんです。本当に頼りになるし、落ち着いてて、かっこいいっていうか……」
言葉を選ぶように一拍置き、沙良へと視線を向ける。
「先輩って、大人びてて憧れる人だなって、ずっと思ってたんです。でも――」
そこで言葉を切り、ふっと笑みを浮かべた。
「まさか妹さんまで、こんなにしっかりしてるなんて。正直、ちょっと驚きました」
その一言に、沙良の目がぱっと輝いた。
「――――そうなんですよ!」
沙良は乗り出すように身を傾け、まるで待ってましたとばかりに力強く言う。
「蓮姉さまは、いつも冷静沈着で、かっこよくて、本当に大人の女性なんです! 私、昔からずっと姉さまに憧れていて!」
和夢も思わず笑みをこぼす。その熱量は、まっすぐで清々しい。
「ですよね。周りにもちゃんと目を配ってくれて……僕なんて、何度助けられたか分からないくらいで」
「趣味も勉強もそつなくこなして、頭の回転も早くて。まさに才色兼備。私の自慢の姉さまですわ!」
沙良は胸を張ると、ふんっと鼻を鳴らし、誇らしげに和夢を見た。
「高坂さん、貴方、なかなか姉さまのことを分かっていらっしゃるじゃないですか」
「いえいえ、とんでもない」
和夢は慌てて手を振った。
「沙良さんに比べたら、僕なんて蓮先輩のこと、ほんの一部分しか知らないと思います」
そう言って微笑んだ和夢に、沙良もまた柔らかく頷き返す。二人の間に、蓮という存在を通して、少しだけ距離が縮まった気がした。
沙良は「まあそれほどでもありますけどね」と嬉しそうにふんぞり返る。さらに和夢の言葉に気を良くした沙良は、和夢の服を引っ張りその場から立ち上がらせた。
「蓮姉さまの魅力はまだこんなものではありませんよ! 今日は特別に高坂さんの知らない姉さまの魅力を見せて差し上げます」
そう言って引かれるまま客室を後にした。




