第52話:ピントの先に、君がいる
更衣室から出てきた和夢は、用意された衣装に身を包んでいた。それは明るめのデニムジャケットに白いシャツ、そして足元にはカジュアルなスニーカーというシンプルなコーディネートだった。
鏡を見てみると、普段とは少し違う自分がそこにいて、少しだけ落ち着かなかった。
「いいわね。肩の力を抜いて、そのままで大丈夫よ」
真紀が軽くうなずいて微笑む。そんな彼女の言葉に少しだけ緊張が和らいだ気がした。
和夢がセットに向かうと、既に撮影が始まろうとしていた。明日香も準備を終えたようでさりげなく飾られたアクセサリーが撮影用だと分かる。だがそれでも明日香らしい自然体が溢れていた。
「和夢君、ありがとうね。それじゃあ行こうか!」
明日香がいつも通りの明るい声で声をかけてくれる。その笑顔に和夢はほんの少し勇気をもらい、
「が、頑張ります!」と胸の前で両手をぎゅっと握りこんだ。
撮影はまず簡単なポーズから始まった。
「二人とも、このベンチに座って。高坂君は明日香を少し気にかける感じで視線を向けてみて。ただし、目線はカメラに入らないようにうつむき加減でね」
真紀の指示に従い、和夢はぎこちなく明日香に視線を送る。
「そうね、もう少し自然な感じに。肩の力を抜いて」
真紀の言葉に和夢は深呼吸して、視線を少し柔らかくした。その瞬間、シャッター音がリズミカルに聞こえてくる。真希は満足そうな声をあげる。
「いいわね、凄くいいわ――じゃあ次は立ち姿ね」
続いて、二人で手を繋いで歩くシーンが始まった。和夢の指先が、自然と明日香の手に触れる。ぎこちなさと照れが入り混じる中、ほんの少しずつその感触に馴染んでいくのを感じた。
「高坂君、少し前を向きながら、軽く明日香をリードしてみて」
「わ、わかりました!」
明日香が和むような笑顔で「大丈夫大丈夫、自然にだよ!」と声をかけると、和夢も少しだけ肩の力を抜く。二人はゆっくりと歩き出し、その姿をカメラが追う。
和夢の表情は映らないが、当初の予定通り、二人の距離感や空気感が写真にしっかりと収められていった。
その後も撮影は続く。上出来とは言えないが、それでも何とか撮影をこなしていくといよいよ最後のポーズを指定される。
「じゃあ、これがラストカットね。高坂君、明日香を後ろから軽く抱きしめてみて」
「…………ええっ⁉」
思わず大きな声をあげおどおどと周りを見てしまう。カメラマンは和夢の心情を理解してくれているのか「本当にごめんね」と何度も頭を下げていた。
(抱きしめるって……いきなりそんなこと言われても。いやいや、これは仕事だし……でも僕は本当のモデルじゃないし……)
あまりの混乱で和夢の頭の中がグルグルしてしまう。そんな和夢を落ち着かせるように明日香が彼の手を優しく握っていく。
「大丈夫だよ和夢君。この前の大会の前みたいに、優しく受け止めてくれたら嬉しいな」
「この前の大会……?」
カードショップ『ヘイヴン』でのことを思い出す。トラウマを乗り越えた明日香の約半年ぶりの大会。明るく見せていた明日香は少しだけ体を震わせていた。そんな彼女の手を和夢は握り締めたのだ。
あの時とはもちろん状況は違う。だが明日香は今この瞬間も、あの時と同じくらいの重荷を抱えているはずだ。
(だからこそ、明日香さんはあんなに取り乱して助けを求めたんだ。明日香さんはこの撮影を成功させるために本当に一生懸命なんだ)
普段から世話になっている明日香に何としても報いたい。和夢は恥ずかしい想いをぐっと胸の奥に押し込むと覚悟を決める。
「わ、分かりました。頑張ります!」
「――――うんっ!」
明日香はひまわりのような笑みを浮かべると和夢に背中を見せていく。和夢はその小さな背中を後ろから抱きしめていく。
シャッター音が鳴り響く中、和夢は緊張のあまり面持ちが固くなる。今回の写真に自分の顔が載らないことに深く感謝していると、撮影に一呼吸置かれる。
そのタイミングで明日香が呟くように声をあげる。
「和夢君凄く緊張してるね。心臓の音が……ドクンドクンって聞こえてくるよ」
「す、すす、すみません」
「ううん、全然謝ることじゃないよ。だって……」
そこで言葉を止めると、明日香はほんのり頬を染めながらチラリと和夢を見る。
「……だって私も和夢君と同じですっごくドキドキしてるから」
「や、やっぱりプロの方でも本番は、きっ、緊張してしまうものなんですね」
和夢がそう言うと明日香はくすりと笑う。
「あーあ、そんなこと言っちゃうんだ。でも……そういう和夢君だから私は」
と明日香が何かを言おうとした瞬間、「OKです! 撮影終わりまーす!」と声が響く。
「お疲れ様、和夢君」
「は、はいお疲れ様です」
明日香が何を言おうとしたのかは少し気になる。だが今は撮影を全て終えた開放感の方が大きかった。
今はただやり遂げた充実感とともに、肩の力をゆっくり抜いていくのだった。




