第4話:盤面を埋め尽くす可愛いの渋滞
一年A組の教室の扉が勢いよく開き、明るい声が飛び込んできた。
「みんな、おはよー!」
ブラウンのミディアムヘアが揺れる。声の主は桜井明日香。彼女の姿に、教室の空気が一瞬ふわりと揺れる。
明日香はにこにこと教室を見渡しながら、「今日も一日、がんばろーね」と手を振った。目が合った子には小さく手を振り返し、近くの子には自然と「おはよう」と声をかける。その立ち居振る舞いに、教室のあちこちから微かな笑みがこぼれる。
「……あ、桜井ちゃん来た」
「今日も元気そう」
誰かのそんなつぶやきが聞こえてきた。
普段なら張りつめた空気が漂うこの教室で、なぜか彼女の声だけが、緊張を解いてくれる。特別なことはしていない。ただ、誰とでも同じように接するその姿勢が、心地よかった。
そんなふうに感じられるのは、たぶん和夢だけではないはずだった
「高坂君もおはよ!」
「お、おはようございます」
「もぉ~、また表情が固いよ。リラックスリラックス」
明日香はにこやかに言うと和夢の前の席に座る。席が後ろだということもあり、明日香は何かにつけて気にかけてくれた。そのおかげで、少し人見知り気味の和夢もクラスからあぶれることはなかった。
(桜井さん、すごいな。噂だと中等部からそのまま進学してきたみたいだし、なんだかどこにいても目立っちゃうタイプなんだろうな。こんな風に自然にみんなを引きつける力、僕には絶対真似できないな)
そんなことを考えていると、ホームルームを告げる鐘が鳴る。
(桜井さんの言う様に今日も一日頑張ろう!)
和夢の学園生活は少しずつ望む形へと向かい始めている。だがここで勉学を疎かにしてはせっかく手に入れた自由を失うことになるかもしれない。
和夢は気合を入れながら鞄の筆記用具を鷲掴みにする。そうして机の上に出したものの中に、思いもよらない物があった。
「――――あっ」
ブラックブレイズのカードだ。蓮と初めて会った日から、鞄に入れっぱなしだったことを思い出す。和夢は弾かれるようにブラックブレイズを手に取ると急いで鞄に収めていく。そして左右にあたふたと視線を向けた。
(だ、誰に見られてないよね)
和夢の心配を余所に、誰かが見ている様子はなかった。和夢はほっと息を漏らす。
「………………」
そんな和夢の安堵を余所に、彼の正面にいる明日香はチラリと視線を向ける。明日香は誰にも聞こえない小声で「今のって」と漏らすと、再び前に向き直るのだった。
◆
「今日はエレナ先輩いるかな。でも生徒会長って何かと忙しいんだろうな~」
バロックの来店も三度目だ。エレナか蓮がいてくれると嬉しいなと思いながら、和夢は木製の扉を開けていく。だが残念ながらデュエルスペースには誰もいなかった。
「まあそういう日もあるか。せっかくだし、一人回しでもしてようかな。すみませーん、またデッキを借りますねー」
「しょ、少々お待ちくださーい」
店の奥から店長のものではない張りのある若い声が聞こえてくる。トットットと耳心地いい足音が聞こえると、奥の扉から顔見知りが現れた。
「いらっしゃいませ、ってあれ、高坂君?」
「桜井さん、どうしてこの店に⁉」
和夢の目が見開かれる。まさか明日香がここにいるとは夢にも思っていなかった。それは明日香も同様のようで、和夢の顔を見て、少し目を丸くして驚いた。
「それはこっちのセリフだよ。まさかこの店にエレナさんと蓮さん以外の人が来るなんて思いもしなかったよ」
そう言葉にする明日香は、今の和夢よりも困惑した表情を浮かべる。
(エレナ先輩と蓮先輩以外人がいる? そういえば蓮先輩も同じようなことを言っていたような??)
その言葉の意味を理解しきれず、和夢は頭に「?」マークを浮かべる。しばらくの沈黙が続くと、和夢は伺い立てるように声をあげる。
「えっと、桜井さんはどうしてこのお店に?」
和夢が問いかけると、明日香はにっこりと微笑む。明日香は軽く肩をすくめ、エプロンを整えるように手をひらひらと動かしながら、ちょっとしたポーズを決めた。
「実はここ、私のお姉ちゃんのお店なんだ。だからちょっとしたお手伝いをしてるんだよね。高坂君こそ、どうしてうちに?」
「えーっと、それはですね……ちょっと話せば長くなるんですけど、エレナ先輩と蓮先輩にデッキの相談をしたくて」
明日香に聞かれ、和夢はこれまでの経緯を話す。エレナと蓮との出会い、デッキについて相談に乗ってもらうことなどだ。
大体のことを話し終わると、明日香はブーっと不服そうな顔をした。
「えー、二人とそんなにバトルしたんだ。ズルいな~、最近は二人ともあんまり遊びに来てくれないのに~」
「たまたま気が乗っただけだと思いますけどね。そのちょっと前にはさっさと出てけって言われましたし」
「あははは、蓮さんなら言いそう。それにしても~」
そこで言葉を切ると明日香はじろじろと和夢を見る。蓮のように圧はなく、どちらかと言えば好奇の視線だ。
「高坂君ってやっぱりLRやってたんだ」
「やっぱりと言いますと?」
「今日机の上でカードがチラッと見えたんだよね。すぐに隠してたから何のカードかは分からなかったけど、あの枠組みはLRのカードだなって。あっ、多分他の人には気づかれてないから大丈夫だと思うよ」
「そ、それなら良かったです」
「あと同い年なんだから敬語じゃなくて大丈夫だよ」
「それはそうですね。あっ」
明日香は「ぷっ」と短く息を漏らすように笑う。それにつられた和夢も、少し顔を赤くして、申し訳なさそうに乾いた笑いを浮かべた。
「高坂君ってもしかして結構面白い子だったりする?」
「いえ、全然そんなことはないと思いますけど。すみません他人行儀で」
「まあこうやって思いっきり話すのも初めてだしね。それじゃあ友好を深める意味も込めて一戦やってみる?」
そう言って明日香はエプロンから可愛い動物が描かれたデッキケースを取り出す。バトルの申し出に和夢はキラキラと目を輝かせた。
「いいんですか! で、でもお店の方は」
「この店、全然お客さんこないから大丈夫だよ。まあだからこそ高坂君が来て慌てちゃったんだけどね」
「そ、そうなんですね」
それは店としてどうなのだろうとも思う。だがそんな和夢の思いなど気にせず、明日香はデッキを取り出し始める。
(まあお客が来たら中断すればいいか)
明日香自身がそれでいいと言っているのだ。和夢はレジに向かう。
「すみません。まだ僕自分のデッキを持ってなくて、貸しデッキをお借りします」
「おっけー、好きなの使ってねー」
(せっかく前回練習したし、今日は白のデッキケースにしようかな)
和夢はパーミッションのデッキを手に取ると机に戻る。明日香は自身のデッキをシャッフルしているようだ。和夢はそのスリーブを見て自然と感想を口にする。
「スリーブもデッキケースも凄く可愛いですね」
「だよね! 可愛いよね‼ エレナさんも蓮さんもこの可愛さを分かってくれないんだよね~、二人ともキャラスリにすればいいのに~」
明日香はそう言いながら可愛らしく頬を膨らませる。和夢は「あはは」と声をあげると自分のデッキをシャッフルした。互いにデッキをシャッフルし終えるとバトルの準備完了だ。
「まだカードの種類もほとんど分かってなくて、もたつくと思いますがよろしくお願いします」
「こっちこそよろしくね!」
じゃんけんで先攻後攻を決めるとバトルが始まった。
◆
バトルが始まって僅か数ターンで、盤面はとんでもないことになっていた。
「私のターン、ドロー。コストを2払って≪カワケモの騎士≫を召喚だよ!」
明日香は目を輝かせながらカードを出す。カワケモが場に出るたび、彼女のテンションは自然と上がっていく。
「わぁ〜、この子、やっぱりかわいいなぁ~。カワケモの騎士、可愛くて強いんだよね!」
「でしたら僕は≪撤退≫を発動します。召喚されたコスト2以下のカードを手札に戻します」
「うーん、そっかぁ。そしたらもう一回! コスト2払ってバウンスされた≪カワケモの騎士≫を再召喚!」
明日香は再び楽しげにカードを場に出し、照れたように笑う。
「やっぱりカワケモの騎士、可愛いなぁ〜!」
「……召喚に対して対応はありません」
「そしたら騎士の効果で手札の≪カワケモの救援隊≫を召喚。さらに救援隊の効果で墓地の≪カワケモの魔術師≫を蘇生するよ!」
明日香の場に次々と可愛らしいカワケモたちが出現し、そのたびに彼女の顔はキラキラと輝く。
「カワケモって、どれも本当に可愛いんだよね~。次々に出てくると愛らしくて堪らないよ!」
そんな愛くるしい明日香の盤面と違い、和夢の盤面にはモンスターは皆無だった。
和夢がLRにまだ詳しくないこともある。だがどれだけ妨害カードを使っても、カワケモの展開は止められず、気が付くと手札は空になっていた。
(これは、コントロールデッキじゃなかなか難しいかも)
いやきっと蓮なら自分よりも何倍も上手くやるはずだ。だがこの怒涛の展開を捌き切るのはかなりの集中力が必要になるだろう。
明日香はさらにカードを発動する。
「場のカワケモの数だけコストを軽減し≪カワケモ突撃≫を発動! 場のカワケモモンスター全てに≪速攻≫を与える。そしてカワケモモンスターでフルアタック!」
その瞬間、明日香の目がキラキラと輝き、笑顔が広がる。和夢はその笑顔を見ながら、思わず軽く肩をすくめる。
「……負けました」
「ありがとうございました」
明日香の笑顔とその明るいテンションに、和夢もつい笑ってしまうのだった。
互いに軽く会釈すると明日香は「ねえねえ」とカワケモのカードを見せてくる。
「カワケモってすっごく可愛いと思わない? ショーケースでこの子たちを見たら一目でファンになっちゃって、私もデッキを組もうってなったんだ」
「確かに皆愛嬌のある可愛いモンスターですよね」
「本当にそうだよね~」
「それにカワケモはただ可愛いだけじゃないですよね。この騎士なんかは太い眉毛が凛々しいですし、救援隊の鬼気迫る顔なんか普通にカッコいいです」
「――――分かる! 分かるの⁉ そうそうそうなんだよね。この子達こんなに皆可愛いのに、それでいて凄くかっこいいんだよね。でも、でも、そう言ってくれたの高坂君が初めてだよ」
明日香は相当嬉しいのか、和夢の肩をパンパン叩いていく。明日香はその場から立ち上がると、和夢の隣に座り直した。
「魔術師のカードは杖の装飾が凄く凝ってるし、今回は出さなかったけどほら、この≪集まれカワケモの城≫なんて色んなカワケモが映ってて本当に可愛いんだよね~」
「そ、そそ、そうなんですね」
和夢は何とか受け答えしている。だが肩と肩がぶつかる距離にドギマギしてしまい、正直内容が半分も入っていない。そんな和夢の緊張が伝わったのか、明日香はハッとした顔をすると、顔を赤らめ少しだけ俯く。
「ご、ごめん。ついテンションが上がっちゃって」
「い、いえ」
明日香が少しだけ席を離すと、心臓の高鳴りがようやく落ち着いた気がした。和夢は疑問を投げかける。
「エレナ先輩や蓮先輩とはそういう話しはないんですか?」
「エレナさんは強いドラゴンが大好きで、蓮さんは美人系天使が好きだから、なかなか分かってくれないんだよね~。だから高坂君がカワケモの魅力に気付いてくれてすっごく嬉しかった。って、あれ?」
明日香はそこまで言うと頭に「?」を浮かべる。
「今更だけど二人の事名前で呼んでるんだね」
「はい、何か成り行きでそんな感じになりました」
「…………なるほどね~」
明日香は含みのある顔をするとレジに向かう。そして緑色のデッキを手に取ると和夢に渡してきた。
「せっかくだから次はこのデッキ使って欲しいかな。カワケモみたいに可愛いモンスターがたくさん出て来るデッキなんだー」
「はい、ありがたく使わせてもらいますね!」
「そしたらまたバトルしよう、和夢君」
「……………………えっ?」
可愛い呼ばれ方をして思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。明日香はその反応を見て、ボッと顔を真っ赤にした。
「あ、あのね、エレナさんと蓮さんは名前呼びみたいだし、私も二人みたいに仲良くできたらなーって思って……へ、変だったかな」
「いえ、変と言うことはないんですけど。桜井さんと違って異性に名前呼びされるのがまだあまり慣れてなくて」
「わ、私だって慣れてないよ。男の子を下の名前で呼んだのは、か、和夢君が初めてだし」
「そ、そうなんですか」
「……そうなんです」
お互い気恥ずかしくなり無言になってしまう。だが和夢は勇気を振り払い明日香に応える。
「え、えっと、それじゃあデッキの確認が終わったらバトルの方よろしくお願いします。あ、明日香さん」
「――――うんっ!」
和夢がそう呼ぶと明日香は嬉しそうに顔をほころばせた。和夢はじわじわと熱くなる顔を見られないように、緑のデッキの中身を確認していくのだった。




