第43話:あの時、出会えたのが貴方だったから(後編)
新一年生の入学式。エレナは代表挨拶をし、その日の仕事を終える。
放課後、エレナはバロックに向かう。もし二人がいたら、今日こそ自分が環境デッキを使い始めたことを伝えようと思っていた。
だが当然ながら足取りは重い。エレナは一度立ち止まると鞄の中のデッキを確認する。そこにはこの二ヶ月弱、使い続けた環境デッキ、そしてバッグの奥底に押し込まれたクリアシャインデッキがあった。
エレナは思わずクリアシャインのデッキケースからカードを取り出す。
ずっと仕舞われ続けたカードたちは、静かにエレナを見つめ返す。カードは何も語らない。だが、彼女にはそのカードたちがどこか冷ややかに自分を見ているように感じられた。
「――――――ッ⁉」
エレナはカードから視線を外しデッキケースに戻すと、そのままバロックへと走り出した。
異変に気づいたのは、バロックに到着した後だ。環境デッキを一人回しした後、ふとクリアシャインデッキが気になりケースを開ける。すると≪アルティメットクリアシャインドラゴン≫がなくなっていることに気づいた。
鞄の中をひっくり返し、ケースのカードを一枚一枚並べていく。それでも、カードはどこにも見当たらなかった。
「そんな……わたくしの大好きなカードが…………」
手が震え、胸の鼓動が早まる。信じられない気持ちと共に、胸の奥にぽっかりと穴が空いたような虚しさが広がっていった。これまで積み重ねてきた日々、夢見てきた未来が、一瞬で崩れ落ちてしまうかのような絶望感が押し寄せる。
その瞬間、エレナの中でここ数年の記憶がフラッシュバックする。
蓮と初めて出会った日。明日香と友達になった日。初めてバロックに行った日。アニメの感想を話し合ったり、皆でパックを開けて一喜一憂した日々。
そして、自分の「好き」を輝かせるために、ユニークビルダーとして頑張ろうと誓い合ったあの日。楽しい思い出は全てクリアシャインドラゴンと共にあった。
「神崎美咲さんに勝つことは、確かに目標ですわ。でも、それだけが全てではありません。わたくしは――クリアシャインドラゴンで、あの人に勝ちたい」
エレナはようやく、自分の本当の願いに気づいた。
神崎美咲に勝つ――それは確かに目標だった。けれどそれは、自分の「好き」を押し殺してまで叶えたいものではなかった。勝ちたいのは、ただの強者になりたいからではない。自分が心から信じる、大好きなカードで、真正面からぶつかりたいのだ。クリアシャインドラゴンと共に。
だが、何度デッキケースを開けても、何度カードを一枚一枚確認しても、≪アルティメットクリアシャインドラゴン≫はそこになかった。
ありえない。けれど確かに、どこにもない。焦りが手先を冷たくし、目の奥が熱くなる。信じられない現実が、心を締めつけてくる。
「……こんな仕打ち、こんなことってありますの……⁉」
こらえていた感情があふれ、胸の奥から込み上げるようにして涙がにじむ。ずっと張り詰めていたものが、ぷつんと音を立てて切れてしまったかのようだった。
「せっかく大切なことに気づけましたのに、こんなこと、こんなことってありませんわ!」
公私共にこの数ヶ月で溜まりに溜まったモヤモヤとストレスが一気にこみ上げてくる。勝てなかった悔しさ、空回りしてばかりの焦燥感、好きなものを見失いかけていた自分への苛立ち――そのすべてが今、形にならない叫びとなって胸を締めつける。
「ありません、ありませんわ! わたくしの大切なアルティメットクリアシャインドラゴンがーーー‼」
大きく吸い込んだ息と一緒に、押し殺していた悲鳴が飛び出してしまう。
その時、不意に聞き慣れない男性の声がした。
「あ、あの……」
「何ですの! わたくしは今忙しいのですけど‼」
苛立ちと混乱が混ざったまま振り返ると、そこには気まずそうに立つ一人の少年の姿があった。彼は戸惑いつつも、両手で何かを差し出している。
「いえ、その……落としたカード、これじゃないですか?」
「――――――⁉」
その少年が差し出したカードは、紛れもなくエレナの≪アルティメットクリアシャインドラゴン≫だった。手の中でまばゆく輝くそのカードに、胸の奥で何かが静かにほどけていくのを感じる。
そしてこれが、天城エレナと高坂和夢の初めての出会いだった。
口ぶりから察するに、カードショップに訪れたのは初めてなのだろう。
彼の表情は輝きに満ちていた。まるで宝物を前にした少年のような瞳の輝きだ。
「ここで出会ったのも何かの縁ですわね。アルティメットクリアシャインを拾っていただいたお礼として、わたくしと一緒にLRをプレイしてみませんこと」
自然と、エレナの口から言葉がこぼれていた。
それは目の前の少年――高坂和夢へのお礼であり、同時に、再びこの手にクリアシャインを握ると決めた自分自身のためでもあった。
ルールを説明しながら始まった一戦。和夢は、基本的なルールこそ理解しているものの、細かな処理や定石には疎く、プレイングも危なっかしい。
けれど、彼はそのたびに笑った。召喚に成功すれば嬉しそうに、攻撃が通れば無邪気に、逆にやられても悔しがるより先に「すごい!」と声を漏らす。
(ああ、こういう感情を、わたくしはいつから忘れてしまっていたのでしょうか)
そんな気づきを得るころには、すでに五戦目を終えていた。
エレナは、懐かしい手触りを取り戻していた。勝負の感覚でも、デッキの操作感でもない。カードと向き合う気持ち――あの頃、無邪気にバトルを楽しんでいた自分の心だ。
一戦終えるごとに、その気持ちは強くなる。だが同時に、身震いするほどの寒気が彼女を襲う。
(もし、今日ここで、和夢さんに出会えていなかったら――)
エレナはふと、そんな可能性を考える。
エレナは先ほど、クリアシャインドラゴンと共にあった、蓮、明日香との日々を思い出した。懐かしくて、あたたかくて――確かにそこにあった、大切な記憶。
けれど、もしあのままアルティメットクリアシャインが見つからなかったら? 自分の愚かさを悔やみながら、もう自分にはクリアシャインを使う資格はないと思っていたかもしれない。
仮に代用のカードを入れ大会に出られたとしよう。そのバトルで、数ヶ月前のように、何も掴めずに打ちのめされていたとしたら――。
そのとき、この胸に再び灯った小さな火を、果たしてエレナは守り抜けただろうか。
正直、エレナには自信がなかった。それほどまでに、エレナの心はすり減っていた。
考えている間に、盤面は思いがけず劣勢に傾いていた。 エレナのライフは風前の灯火。敗北は必至だ。
けれど――エレナの瞳に迷いはなかった。
クリアシャインドラゴンを使っているエレナは、最高で最強なのだから。そんな彼女に応えるようにアルティメットクリアシャインがドローされる。
「透明な光が闇を切り裂き世界を照らす! その輝きは無限に広がり、あらゆるものを浄化する! 今、天空から舞い降りるは、無比の力を持つ竜の姿――降臨せよアルティメットクリアシャインドラゴン!」
高鳴る気持ちのままに、エレナは詠唱を口にした。
こんな“ごっこ遊び”のようなセリフ――付き合いの良い蓮や明日香ですら、恥ずかしいと拒否するものだ。
けれど、和夢は違った。引くどころか、目を輝かせて、まるで憧れのヒーローを見るような視線を向けてくれたのだ。
その視線に、心が震えた。
ああ、そうだ。天城エレナは、カードでこうして遊ぶのが大好きだったのだ。
お気に入りのカードで、まるでアニメのキャラクターのようにバトルして、誰かと一緒に盛り上がって……。
アルティメットクリアシャインとの出会いも、そんな遊びの延長だった。
子どもっぽい? くだらない? 構わない。
始まりなんて、いつだってささやかで、でもかけがえのないものなのだから。
「さあ行きますわよ! ≪飛行≫持ちのアルティメットクリアシャインで直接攻撃、セレスティアル・グレアですわ‼」
クリアシャインが一直線に和夢のライフへと突き進む。その瞬間、彼のライフはゼロに――勝負が決した。
エレナの勝利。だが、それ以上に印象的だったのは、目の前の和夢の表情だった。
「今のバトルすっごく楽しくてドキドキしました! カードゲームって凄く選択肢があって、どのカードを使うか、どう戦うかは自由で……それが楽しくて、何度戦っても新しい発見があって、そんなカードゲームが僕は本当に大好きです!」
彼は、心の底からの笑顔を浮かべていた。負けたというのに、まるで自分が勝者であるかのように。
その笑顔を見た瞬間、エレナの胸に、透明な風が吹き抜けた。軽やかで、澄みわたるような風。
(もう、迷わない。わたくしはもう、道を見失ったりしない)
和夢がそのことを思い出させてくれた。今にも消えそうだったこの小さな灯火に、もう一度、確かな光を注いでくれたのだ。
エレナはふっと目を細め、和夢に向けてやさしい微笑みを浮かべた。
「このカードを拾ってくださったのが和夢さんで……本当に良かったですわ。さっ、次のバトルも楽しみましょう」
そして、エレナの心に宿った光は、かつてよりも眩しく、まっすぐに――これからの戦いを照らしていくのだった。




