第3話:黒い少女と美しき女神
あの日からはや数日。和夢は一人暮らしと学校のサイクルにようやく慣れ始めた。
「ここ最近は慌ただしかったけど、今日はバロックに行ってみよう!」
エレナがいたら相談に乗ってもらおうと、ブラックブレイズのカードは鞄に入れてきている。和夢は薄暗い路地を抜け、バロックの木製の扉を開けた。
(エレナ先輩はいるかな?)
店内を見渡すがエレナの姿は見当たらない。今日は誰もお客さんがいないようだと、視線を一周させると何か違和感を覚えた。
(あれ、今何か動いたような)
視線を戻すとテーブル席に目を向ける。既に先客がいたようだ。
「……………………」
テーブルの一番隅には肩にかからないくらいの黒髪のボブカットの少女がいた。小柄な和夢よりもさらに背が低い少女は、軽い猫背のため余計に存在感が薄い。声をかけるべきだろうかと和夢が考えていると、先に彼女が口を開いた。
「……何でここに知らない奴がいるんだ?」
「えっ、でもカード屋ですし、知らない人がいることもあるんじゃないでしょうか?」
「そういう意味じゃなくて……そもそもどうやってこんな辺鄙なカード屋を見つけたんだ。ネットとかには載ってない店のはずだぞ」
「路地裏の入り口でたまたまLRのカードを見つけたんです。それがエレナ先輩のカードで、その流れでLRを教えてもらうことになりました」
言った後に、エレナの名前を出してよかったものかと思う。だがこの店にいるということは、彼女もエレナの知り合いという可能性が高いはずだ。
(それに、凄く威圧感があって嘘をつける雰囲気じゃないんだよな)
黒髪の彼女は値踏みするような視線で和夢を見る。一通りそれを終えると「ハアァ~~」とわざとらしく大きなため息をついた。
「……エレナの奴、何をやっているんだか。おい、お前」
「は、はい!」
「LRをやりたいなら四駅先のでかいカード屋に行け。ここに来られても『あたし達』の迷惑だ」
彼女は心底怠そうにそう言うと、鞄から黒いデッキケースを取り出す。あまりにもあんまりな物言いに和夢は口をパクパクさせる。
(い、いったい何なんだろうこの人は……)
とてもこのまま居続ける雰囲気ではない。今日のところは帰るべきか、和夢はそう思いながらチラリと彼女の方を見る。黒髪の彼女はどうやら一人回しを始めたようだ。
カードの一人回しなど特に見入る光景ではない。だが和夢はその姿から目を離せなかった。
(さっきまでの猫背の姿とはまるで別人だ。それに背筋がピンと伸びているのに全然堅苦しく感じない)
その動作一つ一つがまるで舞踊を見ているかのようだ。エレナの姿に気品があるなら、目の前の彼女は風格があった。和夢の視線に気づき、彼女はムッとした顔をする。
「……何だ? 言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
「えっ、あっ、綺麗だなって思いました」
「………………はっ、はああぁ~~⁉」
和夢の注釈のないストレートな言葉に、彼女はぼっと頬を染める。そして自身の顔を両腕で隠した。
「こ、こんな偏屈女捕まえて何を適当なこと言ってやがる」
「適当じゃありませんよ。カードをプレイする姿勢や手さばき、全てが堂に入っていて本当に綺麗だと思いました」
「うっ、うるさいうるさい! 何さっきから勝手にペラペラ喋ってるんだ!」
「だって正直に言えって言われましたし」
「~~~~ッ! そんな社交辞令言われたって、あ、あたしは騙されないからな!」
「そんなことないんですけど。そうだ、もしよかったら僕とバトルしてくれませんか。最近復帰したばかりで、もっとカードのこと知りたいんです!」
「か、勝手に話を進めるな! それに…………あたしとバトルしても面白くないぞ」
「そんなことありませんよ」
「そんなことあるんだよ…………はぁ、じゃあバトルしてやる。それで嫌でも理解できるはずだからな」
「バトルしてくれるですか! ありがとうござます‼ 店長さーん、貸しデッキ使わせてもらいますねー‼」
バトルが出来る。和夢は目を輝かせながらウキウキで赤いデッキを手に取った。和夢はどこか子供っぽい無邪気な笑顔が浮かび、心の中でテンションがぐんぐん上げると「やったぁ!」と、思わず声を漏らす。
LRが出来ることを純粋無垢に喜んでいる和夢を見て、彼女は「……ほんと調子狂うな」と悪態をついた。
◆
「僕のターン、レコードをチャージ。コストを払って≪巨人の降臨≫を発動したいです」
「≪拒絶≫をプレイ。≪巨人の降臨≫を無効」
「っ……そしたら1コスト払って≪シールドジャイアント≫を召喚します」
「≪一時撤退≫をプレイ。召喚されたコスト1以下のモンスターを手札に戻す」
「……ターンエンドです」
「……あたしのターン、ドロー」
その瞬間、彼女の視線が鋭くなる。カードに指先を触れる彼女の動作は、静かで、無駄がなかった。和夢はその雰囲気に思わず喉を鳴らす。
(――すごい。通したいカードだけ的確に止められてる)
盤面を見下ろす彼女の目は、まるで獲物を捉える猛禽類のようだった。次の瞬間、手札からカードが滑るように場へ出される。
「≪剣の女神エクスシア≫を召喚。エクスシアでアタック。通れば、あたしの勝ちだけど」
「負けました……」
「……はい、ありがとうございました」
彼女はゆっくりと盤面を片付ける。その手付きも冷静で、まるで作業のようだった。
(……すごい。まるで僕の全てを見透かしてるみたいだった)
対戦中、和夢は何度も状況を覆そうと最善手を探した。だが、そのたびに彼女の的確なカウンターが待ち受けていた。まるで手札の中身を知っているかのように、和夢のあらゆる戦略が潰されていった。
先日のエレナとのバトルは華やかで、まるで舞踏会のように言葉や技が飛び交っていた。しかし、彼女とのバトルはその対照的なものだった。言葉数は少なく、ただひたすらに集中して、次々と繰り出されるカードに全神経を注いでいた。
(まるで、魔法使い相手に戦ってるみたいだ……)
それほどまでに彼女のプレイングは圧倒的だった。和夢はカードを片付けながらも、興奮と畏敬を抑えきれず、心臓がドキドキと高鳴り続けていた。
「だから言っただろ。あたしとバトルしても面白くないって」
彼女は物音一つ立てずに滑らかにカードを重ねていく。それが終わると物凄い猫背になり和夢を見た。
「これに懲りたら今度は普通のカード屋にでも――」
「――――先輩! 僕、すごく感動しました‼」
「はぁぁっ⁉」
彼女が声を裏返して驚愕する。だが和夢はそんな彼女の反応も気にせず、まるで弾けた水風船のように興奮をぶつけた。
「本当に凄かったです‼ 僕がどんなに考えても、次の手を全部潰されるし、出すモンスターはすぐ戻されるし、まるでカードが生き物みたいに動いてるみたいで‼」
「な、な、な……っ⁉」
完全に想定外だったのだろう。彼女は目を丸くし、じりじりと後ずさる。だが和夢は止まらない。
「すごくかっこよかったです! まるで僕の動きを全部見透かしてるみたいで……やっぱりこれも経験なんですか?」
「はぁっ⁉ な、なに言って――えっ、いや、まあ……多少は……っ」
「そうなんですね! やっぱり強い人は違いますね!」
「~~~~~~ッツ‼」
顔を真っ赤に染めながら、彼女は手元のカードをがしがしと片付ける。あたふたと動くその姿が、プレイング中の冷静さとは対照的で、妙に可愛らしく見えた。
「……って、お前はムカつかないのかよ。一方的にデッキバレしてる状態でボコボコにされたんだぞ?」
「全然です! 僕は誰かとバトルできるだけですごく楽しいですし、それに――」
和夢はぱっと顔を上げ、まっすぐに彼女を見つめた。
「先輩のプレイング、すっごくかっこよかったです!」
「~~~~ッッツ‼」
黒髪の彼女は目を見開いたまま硬直する。そして次の瞬間、目をそらしてぶっきらぼうに返す。
「……は、恥ずかしいことをハッキリと言いやがって」
少女声は低いが、頬はしっかりと赤くなっていく。と、その時だ。彼女は何かに気付いたように「うん?」と声をあげる。
「そういえば、なんだよ先輩って」
「先輩は先輩じゃないんですか?」
「……いや、だってあたしこんな小柄で、小学生ぐらいの背しかないし……」
「あれ、随分と大人びてるから年上だと思ってました? 違うですか?」
「………………ふっ、ふ~~~ん」
和夢の言葉に、彼女は一気に気を良くする。胸を張り、得意げに鼻息を鳴らした。
「……どうやらお前、少しだけ見る目があるみたいだな。あたしの名前は七瀬蓮、冬華学園の二年生だ」
「僕は高坂和夢です。同じ冬華の一年生です!」
「いよーし、和夢後輩。お前は他の男と違って、ちょっとだけマシみたいだ。そこでだ」
蓮は立ち上がり、店のレジへと向かう。そしてデッキ棚から白色のデッキケースを手に取り、和夢に差し出した。
「次はこれ使え。コントロールデッキの醍醐味を教えてやる」
「じゃあ僕と一緒にバトルしてくれるんですか!」
「ま、まあ……あたしはお前の先輩だからな。ほら、早くデッキの中身確認しろ」
「――――はいっ!」
和夢は満面の笑みでデッキケースを開く。その顔を見る蓮は、ほんの少しだけ、頬を緩ませていくのだった。




