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第36話:始まりのカードは机の上に

 日曜日の予定を決めた後の事、蓮は和夢のマンションにデッキケースを置き忘れたことに気付き少し早めの解散になった。蓮は今日二度目の訪問をする。


「いやー、わりいわりい。あたしとしたことがこんなうっかりをするなんて」


「いえいえ、と言うか僕が急かしたせいだと思いますし――蓮先輩、今日は本当にありがとうございました」


「なに、これであたしの日常が帰ってくるなら安いもんだ。ただな~」


 蓮はそこで言葉を止めると、少しだけ不服そうに天井を見上げる。


「何か最終的にエレナと和夢後輩が持っていったから、あたしの見せ場って感じはしなかったな。ふーむ、なにかご褒美的なのはないか? あたしだけ知れる和夢後輩のひ・み・つ、的な奴は」


「い、いきなりそんなこと言われましても……」


「まあ和夢後輩は嘘つくのとか苦手そうだし――んっ、うん?」


 蓮はピタリと言葉を止めると和夢の学習机を見る。いや、正確にはそこに飾られた≪ブラックブレイズドラゴン≫のカードに見ていた。和夢はその視線に気づくと慌てたように頭を下げる。


「す、すす、すみません。いつかこのブラックブレイズについても話そうと思ってたんですけど、なかなか言い出せなくて!」


 次の機会にとは思っていた。だが流石に今日において心構えは出来ていない。和夢がペコペコと頭を下げるなか、蓮は目の前のカードに釘付けになっていた。普段の冷静な表情が一瞬で崩れ、口がぽかんと開く。


「すまん、このカードちょっと持ってみてもいいか」


「も、もちろんです!」


 和夢の許可を得た。だが蓮は目の前に置かれたカードをじっと見つめたまま動こうとしない。その指先は震え、カードに触れるのをためらっている。


「…………よしっ」


 小さく囁くように呟きながら、蓮はおっかなびっくりカードを持ち上げた。まるで壊れ物を扱うかのように、恐る恐る両手で支える。その瞬間、冷静なはずの蓮の顔に緊張と不安が滲み出る。


「うっわ……これ、マジかよ……」


 彼女の声はかすかに震えていた。普段の落ち着いた雰囲気とはまるで違う、心の奥底から湧き上がる驚きと畏敬の念が込められていた。


「和夢後輩、これって……えっ、でも後輩はLRはほぼ初心者だよな? どういうことだ?? 訳が分からねえ???」


 蓮は疑問の感情を露わにしながらブラックブレイズを机に戻す。和夢は額に冷や汗をかきながら謝罪した。


「本当に黙ってるつもりじゃなかったんです。実は僕、昔の友達に一枚だけブラックブレイズを貰っていて。でも三人にプレゼントされたこともあってなかなか言い出せなくて、ほらLRって同じカード三枚しか入りませんし……」


「い、いや、そう言う問題じゃなくてだな……ちなみにこのカードをもらったのって、いつの話だ?」


「小学三年生の頃ですね。僕にこれをくれた人は中学生か高校生くらいだったと思います」


「女か?」


「はい、女性ですけど?」


「……時期も、それに年齢も大体ぴったりじゃねえか、おいおいおい」


 蓮は言葉を失ったまま、口をぱくぱくさせていた。驚きのあまり、蓮の頬はわずかに赤らみ、緊張感と興奮が入り混じった不思議な雰囲気を醸し出している。


「これをくれた奴は、このカードを渡すときに何か言ってなかったか?」


「えっ? ええと、本当に信用できる友達が出来たら、使ってやってくれって――あっ、も、もちろん蓮先輩達が信用できなかったとか、全然ないですからね! 三人に四枚目のブラックブレイズを見せるのが本当に怖かっただけなので……」


 蓮は一瞬、口を開きかけて止まった。言葉が出ない。視線が無意識にブラックブレイズドラゴンに向かう。


 そのカードが――無防備にそこにあることが、どうにも信じられなかった。


「……いや……ほんとに、それだけなのか……?」


 かすれた声が漏れる。怒っているというより、呆れていた。けれどその奥に、じわじわと苛立ちがにじんでいた。


「ちょっと待てよ。お前、そのカードが……どういうものか、何も聞いてないのか……?」


 思わず語尾が強くなった。返ってくる和夢のきょとんとした顔に、蓮は眉をしかめて深く息を吐く。


「いやいやいや、落ち着けあたし……怒るとこじゃない。怒るとこじゃ……」


 ひとり言のように繰り返して、それからぽつりと呟いた。


「……どれだけ、和夢後輩のこと……信じてんだよ……いや、信じすぎてるだろ、これはもう……」


 ぽつぽつと、言葉がこぼれ落ちる。


「“本当に信用できる人ができたら”って、たしかに言ってたのかもしれないけどよ……それだけで済ますか? ほんとに? もうちょっと、言うことあっただろ、普通……」


 目元に手をやり、蓮は深いため息を吐いた。蓮はひとしきり驚き終えると、一度言葉を切り大きなため息をつく。


「……なあ、和夢後輩。このカードのことを知ってるのはあたしだけか?」


「はい? ええ、そうですね」


「ああ、まあそりゃそうだよな……」


 様々な感情が渦を巻いていた蓮の表情から、次第に色が抜け落ちていく。驚きも、怒りも、呆れも、すべてが沈殿し、やがて「もういいや」と言わんばかりの空虚な静けさが残った。


 そして――考えることに疲れたように肩を落とすと、蓮はぽつりと漏らした。


「……まあ、もう無事に終わったことだしな」


 その言葉とは裏腹に、唇には皮肉げな笑みが浮かぶ。まるで、自分でも納得しきれない現実に、せめてもの意地を返すように。


「…………くっくっく、こりゃ凄えネタが出来たもんだ。なあ後輩、これの話をエレナと明日香にするのはもうちょっと待ってくれねえか」


「はい、それは大丈夫ですけど?」


 会話の意図がいまいち見えてこない。和夢は頭に疑問符を浮かべたまま、心底意地の悪い笑みを浮かべる蓮を眺める。


 蓮はふっとため息をつき、最後にもう一度ブラックブレイズをちらりと見た。少しの間、沈黙が二人を包む。


「……さって、それじゃあそろそろ帰るかな。今日のこと、くれぐれも他言無用だぞ?」


「は、はい! 分かりました‼」


「よっし、それじゃあな」


 上機嫌に手を振りながら、蓮はドアの向こうに消えていった。和夢はその背中を見送りながらも、混乱したように視線を彷徨わせていくのだった。


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