第23話:何も問題……ありませんわ……
火曜日。お昼休みになると、和夢はこっそり教室から抜け出していた。なぜこっそりかと言うと、前の席にいる明日香にお昼ご飯を見られたくないからだ。
(……今週はこれで乗り切らないとな)
今日の和夢のお昼は八枚切りの食パン二枚。そう、エレナと出かけた時にギリギリまで買い物をし、明日香とのデートで和夢は今月の予算を完全にオーバーしてしまったのだ。
(出費に関しては別に後悔はない。でも詰めれるところはちゃんと詰めていかないとな)
どこか人目につかないところはないだろうかと廊下を彷徨う。そこで和夢はハッと顔を上げた。
(駄目だ。このまま人がいない方に流れていったら、また生徒会室の方に行ってしまう)
これではたかりに行ってしまうようなものだ。和夢は回れ右をすると、職員室の方へと向かう。すると和夢の目の前で職員室の扉が開いた。
「それでは先生、失礼いたしますわ。あら、和夢さん」
「え、エレナ先輩……」
「和夢さんも職員室に何かご用がおありですの?」
「あっ、ええ、そう言うわけではなくて……」
この場をどう抜け出したものかと和夢はしどろもどしてしまう。エレナは不思議そうな表情をするが、和夢の食パンを見て眉をひそめた。
「和夢さん……まさかお昼はそれだけと言うわけではありませんわよね?」
「えっ⁉ い、いやこれだけと言うか、これよりもと言いますか――あっ‼」
「…………あらあら、和夢さん」
そう言うとエレナは優雅に微笑みながら一歩近づいてきた。エレナの様子は少し離れて見れば上品に見えただろう。だが目の前にいる和夢には大層圧のある顔に見えた。エレナはその顔のまま言葉を続ける。
「まずは生徒会室に参りましょう。お話はそこで伺いますわ」
「で、ですが僕は部外者ですし」
「か・ず・む・さ・ん」
名前を呼ぶ声には有無言わせない強引さがあった。和夢は本当にゆっくり一度だけ頷くと「分かりました」と何とか答えていくのだった。
◆
生徒会室には和夢とエレナしかいない。和夢から話を聞き終わると、エレナは驚きと感謝の気持ちが交錯する表情を浮かべた。しかし、すぐにその表情は柔らかくなり、少しだけ安堵の色を見せた。
「明日香さんの件、そういうことだったのですわね。それに蓮ともそんなやり取りがあったなんて……」
「蓮先輩には廊下を彷徨ってたら偶々声をかけてもらったんです。このことは明日香さんも知らないと思いますし、言わなくてもいいと思ってます」
「そうですわね。でもこれで和夢さんのお昼について納得がいきましたわ」
「僕が限界ギリギリまで買い込んだのは一緒にいたエレナ先輩しか知りませんもんね。あっ、ココアありがとうございます。これで飲み物代浮きました」
本当は水道水で済まそうと思っていたとは心配をかけるので言わない方がいいだろう。和夢は食パンを机に置くと、エレナもお弁当箱を用意する。
彼女のお弁当箱は光沢のあるシャンパンゴールドのプラスチック製で、シンプルながらも高級感を漂わせていた。蓋を開けるとほんのり漂う香りが和夢の食欲をそそる。
(流石エレナ先輩、お弁当箱も気品に溢れてるな。さてありがたくココアをもらったことだし、つけパンにしようかな)
和夢とエレナは「いただきます」と手を合わせる。するとエレナはすぐに鶏肉のハーフグリルを箸でつまみ和夢の方に寄せていった。
「エレナ先輩?」
「和夢さんもし良かったらこちらをお食べください。うちのシェフが作ったのものなので、味の方はわたくしが保証しますわ」
「えっ、だ、大丈夫ですよ。エレナ先輩の分がなくなっちゃいますよ」
「おかずの一つや二つ、問題ありませんわ。それよりも、わたくしは和夢さんの体調の方が不安です」
「でも昨日も二枚で大丈夫でしたし」
「――――まさか、食パン六枚でなくて二枚だけでしたの⁉」
「えっ、あっ、ああ、その」
「駄目ですわ駄目ですわ! ほら、和夢さん、食べてください。そんな食生活では、和夢さんの体がどうかしてしまいますわ!」
エレナはぐいぐいと鶏肉のハーフグリルを突き出してくる。こんがりと焼けた皮目は照りを帯び、ふっくらとした身の間から、肉汁がうっすらと光っている。香ばしい匂いが鼻をくすぐり、空腹だった和夢の胃が、きゅううと音を立てた。
いや、それよりもだ。
(ま、まって、これって……)
一瞬、頭の奥で警報が鳴る。これは俗に言う「あーん」なのではないかと。
空腹のせいか、思考はまとまらない。朝食は食パン一枚、しかもマーガリンすら塗らずに口に放り込んだだけだ。エレナの差し出すグリルチキンが、いまにも幻のように消えてしまいそうに見える。
(で、でもエレナ先輩は気にしてないみたいだし……こ、これはただの優しさだ!)
和夢は内心「う~~ん」と項垂れながらも、ついに覚悟を決めた。
「それじゃあ、いただきますね、エレナ先輩」
「はい、それじゃあこれを食パンに――――」
「あむっ」
エレナの言葉が終わる前に、和夢は勢いよく鶏肉を口に運んだ。パリッと香ばしい皮が歯に弾け、噛むほどに肉の旨味がじゅわっと広がる。絶妙な塩加減に、思わず目を細めた。
(うまっ……なにこれ、めちゃくちゃ美味しい……!)
一口一口、まるで宝物を確かめるように噛みしめて食べ終えると、和夢は両掌を合わせ、素直に感謝を伝えた。
「大変、物凄く美味しい鶏肉でした。エレナ先輩、ありがとうござ……エレナ先輩?」
ふと顔を上げると、エレナは口をぱくぱくと動かし、目を丸くして固まっていた。
「あ、あの、実は……食パンの上に鶏肉を乗せて……挟んで食べて……もらおうかと……」
つまり、これは「あーん」ではなかったのだ――!
ワンテンポ遅れて、エレナの頬が一気に紅潮し、体全体をプルプルと震わせ始める。
(ま、まずい! エレナ先輩凄く怒ってる‼)
和夢は机に額を叩きつけるとそのままの姿勢で声を上げる。
「すみません! 本当にすみませんでした! すぐに洗ってお返しを、いや、新しい、新しい箸を今すぐ買ってきます! 少し待っててください‼」
そう言って和夢は飛び跳ねるようにその場から立ち上がる。そしてその場から走り出そうとするが、エレナがそれを全力で止めた。
「だ、大丈夫ですわ和夢さん。誤解を招いてしまったわたくしにも問題はありましたわ」
「エレナ先輩は悪くないですよ! 僕が変な勘違いをしただけで‼」
「和夢さんなら大丈夫ですわ! ほらご覧になってください‼」
そう言ってエレナはもう一切れの鶏肉を掴み自身の口に運ぶ。そうして箸がエレナの口に入ったことにより、未遂だったそれは完全な間接キスになった。エレナは裏返った声をあげる。
「ほ、ほら、な、何も問題あり、ありませんわ」
エレナは耳まで真っ赤にし視線を泳がせ、さらに物凄くぎこちない笑みを浮かべる。エレナは次にフィッシュフライを摘まむと、和夢の方に持って行った。
「ほ、ほら、和夢さん。こちらのお魚もおいしいですわよ。は、はい、あーんですわ」
本当は断るべきだ。だがここで断ってしまっては、エレナの覚悟が完全に無駄になってしまう。和夢は己の愚かな行いを悔い、太ももを思いきり抓りながら口を開いた。
「あ、あーん」
そうやってフライを口に運ぶが、様々な感情が入り乱れもう何も味はしない。その後も和夢とエレナは一歩も引くことが出来ず、まるでバカップルのように食事をしていくのだった。




