第1話:七年越しの夢とカードショップバロック
和夢の両親は学歴主義の厳しい人間だった。そのため和夢は小学生に入るとすぐに進学塾に通わされ、同級生と遊んだ記憶など数えるほどもなかった。
学校でも塾でも、常に正解することを求められ、間違えることは許されなかった。だがそんな和夢にも宝物のような時間があった。
塾帰りのたった三十分。当時小学三年生の和夢は公園のベンチで隠れるように、同じ進学塾の中学生女子とLRをプレイするのが日課だった。
と言っても和夢はデッキを持っていない。彼女にデッキを借り、ルールを教わりながら、いつもたどたどしくプレイしていた。終始彼女に勝つことはなかったが、それでもその時間は和夢にとって唯一子供らしくいられる時間だった。
カードゲームには無限の選択肢があった。塾の問題のように、唯一の正解が決まっているわけではない。どのカードを出すか、どんな戦略を取るか、それぞれに異なる正解があり、選択肢の幅が広がるほど、新しい可能性が生まれる。その自由さが、和夢にはたまらなく楽しかった。
何より、間違えても許される、失敗してもまた次のチャンスがあるというところが、和夢にとって新鮮で魅力的だった。
その日のゲームでも、和夢は必死にカードを並べ、手をこね回しながら悩んでいた。あどけない顔つきで真剣に悩む姿に、思わず彼女は微笑んだ。
「少年、そんなに悩んでどうしたんだ? 手札を見てあげようか?」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと待って、頑張って考えるから」
と、和夢は頬を膨らませて、しばらく考え込んでいく。結局そのバトルも和夢は勝つことは出来なかった。だがそれでも心の底から和夢は楽しく笑った。
そして「僕もいつかお姉さんみたいに強くなりたいな!」と、可愛らしく言ってのけた。
だがそんな幸せな時間は彼女の引っ越しによりたった三カ月で終わってしまう。最後の日、彼女は泣きじゃくる和夢に、一枚のカードを手渡した。
「少年はこのカードが一番好きだったよね。だからこれ受け取ってくれないかな」
「これ≪ブラックブレイズドラゴン≫、い、いいの⁉」
「再録されているカードだし、使う分は確保してあるから問題ないよ」
「あ、ありがとうお姉さん!」
「うん、どういたしまして。もし少年がカードゲームを出来る環境になって、本当に信用できる友達が出来たら、使ってやってくれ」
友達という単語を聞くと、和夢の顔は少しだけ曇る。
「……僕にそんなお友達出来るかな」
「少年なら絶対いい友達が出来るさ。私もこの三カ月、久しぶりにLRをプレイしたけど、少年のおかげでLRの楽しさを思い出せた。そんな君に救われたお姉さんが保証してあげよう」
そう言って彼女は厚みのあるケースに包まれたブラックブレイズを手渡す。金箔で加工されキラキラに光るブラックブレイズ。その姿を見て和夢もまたキラキラと目を輝かせた。
彼女はそんな和夢を慈しむように眺める。だが二人の微笑ましい時間を裂くように、アラームが響き渡った。
「それじゃあもう行かないと。この三カ月間、本当に楽しかったよ」
「ぼ、僕も、僕も本当に楽しかった。また……会えるかな……」
「さあー、それはどうなるか分からないかな」
その言葉を聞くと和夢は寂しそうに俯く。彼女はそんな和夢の頭をわしゃわしゃ撫でた。
「そんな悲しそうな顔をするな。大丈夫、君がLRを忘れないでいてくれるなら、きっと私たちはまた出会えるさ」
「――――うん、うんうんうん! いつになるか分からないけど、僕きっとLRを始めるよ。そしたらまた一緒に遊ぼうね!」
「ああ、少年がLRを忘れないでいてくれたら、きっといつかその時にな」
そうして、彼女との時間は終わりを告げた。
それから先も親の教育は厳しさを増していく。だがどんなに日々が辛くても、引き出しに隠したブラックブレイズが和夢を励ましてくれた。そしていつの日か必ず、LRをプレイすることを目標に頑張ってきた。
そうして和夢は両親の望む、高校大学一貫校の冬華学園に合格を果たした。
地元から離れ一人暮らしも決まり、和夢の青春はこれから始まる。そのはずだった。
◆
入学式が終わると和夢は冬華学園の周りをふらふらと歩いていた。行く当てなどない。学園の周辺には娯楽施設がほぼ存在していないからだ。一番近くのカード屋でも電車で四駅、その駅に向かうのだって歩きで二十分かかる。
「クラスのみんなも勉強ばっかりでピリピリしてるし、遊ぼうって感じじゃないんだよな。カードを広めたい気持ちはあるけど、そもそも僕が持ってないしなぁ……」
子供の頃から少ない小遣いをコツコツ貯めてはきた。だがお姉さんのようにいくつもデッキを組める金額ではない。つまり八方塞がりだ。
深くため息をつくと項垂れていく。すると視界の端に見覚えのある絵柄が見えた。
「あれって――――もしかして⁉」
和夢は路地裏に走るとそのカードを拾い上げる。透明なスリーブで二重に包まれているが、それは確かにLRの背面柄だ。和夢はカードをひっくり返す。
「アルティメットクリアシャインドラゴン?」
そのカードは金箔加工がない代わりに、ブラックブレイズ以上にギラギラに光っていた。
「やっぱりLRのカード、誰かが落としたんだ。でもいったい誰が?」
キョロキョロと辺りを見るがそれらしい人影はない。
「可能性があるとすれば……この奥かな……」
路地裏は薄暗く、まだ昼間だというのに太陽の光がほとんど届いていない。
「本当にここに入るのか……」
そう言葉にすると小さな体が緊張に震える。
和夢は同年代と比べて体は細く小柄だ。こんな場所に踏み込んで、何かが起こったら、そんな不安が胸に広がった。
別段、このカードの持ち主が路地裏に入っていった確証はない。風で流れてきたのかもしれないし、もしかしたら捨てた可能性だってある。頭の中で様々な否定材料が浮かび上がる。
「う、ううっ……」
竦んだ足で一歩下がろうとする。だがその時、ブラックブレイズのカードが頭の中で思い浮かんだ。ずっと和夢を支えてくれた大切なカード。このカードが持ち主にとってそれと同じだったら。
「…………よしっ」
震える身体を鼓舞するように、両手を胸の前でギュッと握り締めていく。そして勇気を出して和夢は路地裏に入っていった。
奥に進むごとにアスファルトのひび割れが酷くなる。だがそこには浮浪者がいる様子も、ゴミなどが散乱している様子もなかった。
「……意外と綺麗な場所みたい」
少しだけ気持ちが軽くなると、さらに奥へと進む。そしてその看板の前で和夢は足を止めた。
「カードショップ、バロック?」
引っ越しが決まった時に周辺の店は何度も検索した。だがそれは初めて聞く名前だった。
「でも全ての店がネットに載ってるわけじゃないか…………よし行こう!」
ここにカード屋があるなら、このカードの持ち主がいる可能性はかなり高い。最後の勇気を振り絞って店のドアノブに手をかける。木製のそれは建付けが悪いのか少しだけ重い。力を込めると扉がギギギッと重い音を立てて開いていく。
だが不気味なその音は女性の声で一気にかき消されていった。
「ありません、ありませんわ! わたくしの大切なアルティメットクリアシャインドラゴンがーーー‼」
店内のテーブル席で、金髪ロングのハーフアップの美しい女性が錯乱している。彼女は小柄な和夢より頭一つ背が高い。だがその凛とした姿は絶賛絶望に包まれていた。
テーブルの上には、財布や化粧ポーチが散乱し、その一方でカードが種類ごとにきちんと並べられている。
彼女の表情はまさにこの世の終わりを思わせるほど痛ましく、その姿を見た和夢は、すぐに声をかけずにはいられなかった。
「あ、あの……」
「何ですの! わたくしは今忙しいのですけど‼」
「いえ、その…………落としたカードってこれじゃないですか?」
「――――――⁉」
見開いた目がこちらを見つめる。和夢は恐る恐るカードを差し出すと大慌てで彼女が近づいてきた。
「ああ、わたしくしのアルティメットクリアシャイン‼ こ、これをいったいどこで」
「路地裏の手前で……」
「あ、ああぁー、あの時ですわー! あ、あの、これはわたくしの大切なカードでして、ほらそこに明らかな空きがあるのがわかります?」
女性はそう言って二枚しか並んでいないカードを指さす。それは和夢の持っているカードと同じアルティメットクリアシャインだった。和夢はワンテンポ置いてカードを女性に渡す。
「持ち主が見つかって良かったです」
和夢は微笑みながら、そう言った。その笑顔は、どこか無邪気で、相手を安心させるような優しさが溢れている。女性は少し驚きながらも、その笑顔に心を温かくしていく。
「し、信じてくれますの?」
「机に並んでるカードとスリーブが同じですし、青ざめた表情とこのカードを見た時の反応を見たら、噓だなんてとても思えませんよ」
和夢は安心してくださいと、ふわっとした微笑みを浮かべた。
「そ、それは…………ん、んんっ、お恥ずかしいところを見せてしまいましたわね」
彼女は恥ずかしそうにカードを受け取ると、心からほっとした表情を見せた。肩の力が抜け、軽く息をつく。
「本当に……本当にありがとうございますわ」
和夢は少し照れながらも、優しく頷いた。
彼女は大切な宝物を慈しむように優しくカードを撫でていく。本当に良かったと和夢はほっと胸を撫で下ろす。そうして緊張の糸が解けたからか、狭まっていた視界が一気に開いていった。
「そうか、こういうところがカード屋っていうんだ」
その店はかなり狭めだ。だからこそ壁一面のショーケースが存在感を出していた。所狭しと並ぶシングルカードを見て和夢は子供のように目を輝かせる。
「凄い、ここにあるの全部LRだ」
「貴方もLRを嗜みますの?」
「昔に少しだけ……それ以降あまり機会に恵まれなくて……」
「そうでしたのね。ではここで出会ったのも何かの縁ですわね。アルティメットクリアシャインを拾っていただいたお礼として、わたくしと一緒にLRをプレイしてみませんこと」
和夢の顔がぱっと輝き、思わず一歩前に出る。しかしすぐに「はっ」として足を止め、しゅんと肩を落とす。
「で、でも僕はまだカードも持ってなくて」
「こういう機会を見逃さないのも神聖な紙プレイヤーというものですわ。店長さーん、貸出デッキをお一つ借りますわー」
彼女が声をあげると、店の奥から「あいよー」と気の抜けた声が聞こえてくる。今更ながら店としてこんなに無防備でいいのだろうか。
彼女はレジの奥に行くと赤色のデッキケースを手に取り、それを和夢に渡した。
「最新のルールの方はご理解なさって?」
「ルールだけならネットを追っていたのでなんとか。でもカードの能力は全然知らないですし、初めてのデッキで戦っても迷惑になるだけじゃ……」
「あら、そうですの? わたくしには早く戦いたいって貴方の顔がウズウズしているように見えますけど?」
「――――えっ⁉」
彼女に指摘されると、和夢は自身顔と胸に手を当てる。その心音はバクバクと大きく高なっている。緊張だと思っていた。だがそれは期待と喜びを告げる音ようだ。
和夢の表情を見て彼女は柔らかい笑みを浮かべた。
「バトル中、わたくしはプレイの度にカードを一枚一枚説明していきますわ。貴方、えっとお名前は?」
「あっ、申し遅れました。僕、高坂和夢って言います」
「和夢さんですわね。わたしくしは天城エレナ。気軽にエレナと呼んでください。エレナちゃんでもいいですわよ」
エレナが真面目な顔で答えるのでそれが冗談か分からない。だがどう見てもエレナは年上のように思えた。
「それじゃあ……エレナ先輩」
「あら、ちゃん付けでも良かったですのに――それでは和夢さんは今のうちにデッキの中身を確認してください。ある程度の内容を確認したらバトル開始ですわよ」
そう言ってエレナは慣れた手つきで優雅にカードをシャッフルする。先ほどまで青ざめて錯乱していた人と同じとは思えないほど顔つきだ。
和夢はエレナから視線を外すと渡されたデッキに目を通す。正直に言えば、見たことのないカードばかりで戦略など立てられたものではない。だがそんな不安を吹き飛ばすほど、和夢の心は躍っていた。
(一ターンに一枚、レコードを溜めてそれをコストにカードをプレイする。ルール自体はあの時と同じだ)
カードをプレイしたのは小学三年生の三カ月間だけだ。その間カードを買うことも遊ぶことも出来なかった。
(でもいつか来るこの日を夢見て、妄想の中ではあの三ヶ月のバトルを何度も何度も繰り返してきた)
和夢はわくわくに心震えながらデッキの確認を終える。
「エレナ先輩、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いしますわ和夢さん」
和夢は七年ぶりにカードを手に取り、デッキをシャッフルする。その感触が懐かしく、まるでタイムスリップしたかのようだった。