第9話:7年間、夢見ていたこの瞬間
放課後。一度家で準備をすると制服から着替えてバロックへ向かう。いつも通り少し建付けの悪い木製の扉を開けると、店内からすぐに声が聞こえた。
「あっ、和夢君いらっしゃーい」
制服にエプロン姿の明日香が笑顔で近づいて来る。明日香は和夢に向かって「うぇーい」と手をかざす。
「うっ、うえ~い」
頬を染めながら手が触れるか触れないかぐらいにタッチする。和夢はテンションの高い明日香を見て不思議そうな顔をした。
「明日香さん凄く上機嫌ですけど何かあったんですか?」
「和夢君のデッキの完成が見れるのが嬉しいんだよ! 和夢君とバトルしたのは私が最後だけど、今回は私が一番最初だね‼」
明日香が「ブイ!」とピースする。和夢はそれに習い「ぶ、ぶい」とぎこちないピースを作っていった。
明日香と喜びを分かち合うと、早速残りのカードを購入する。そして二人はデュエルスペースへと移動した。
「これで……全部揃ったんだ」
「和夢君おめでとう。どう、早速組んでみる」
「もちろんです! あっ……でもしまったな……」
和夢は購入したカード、そして三人からプレゼントされたブラックブレイズを交互に見る。
「次の休みになったらスリーブとデッキケースを買いに行こうと思ってたんですけど……流石にノースリーブじゃ危ないですもんね」
「そうだね、おすすめ出来ないかな。スリーブがないとカードが傷ついちゃうし、あともちろんカードは値段じゃないけど…………エレナさんと蓮さんのブラックブレイズは結構値段がするやつだから……」
「そ、そんなにするんですか」
「うん、値段はね」
明日香は耳元でコショコショと二枚のカードの値段を言う。和夢は目をかっぴらくと信じられないと明日香の顔を見た。
「そ、そそそ、そ、そんなに高いカードなんですか⁉」
「特にエレナさんのは結構な値段なんだよね。だからやっぱりスリーブはおすすめかな」
「わ、分かりました‼」
和夢はスリーブから外そうと思っていたブラックブレイズをおっかなびっくり戻していく。手が小刻みに揺れている和夢を見て、明日香はわざと明るめに声を出す。
「ちなみに私のはお菓子のおまけだからそこまで気にしなくて大丈夫だからね~」
「いえ! 明日香さんも言ってましたが、カードは値段じゃありません‼ 三人からいただいたブラックブレイズは特に丁重に扱っていきます!」
他の二枚と同じように明日香のブラックブレイズも慎重に戻していく。そんな和夢を見て、明日香は微笑みを浮かべる。
「あーあ、そんなこと言ってくれちゃうんだー」
「何か言いましたか?」
「んーん、何でもなよー」
と言った明日香の口元にはどこか楽しげな色がにじみ出ていた。明日香はエプロンのポケットから取り出したスリーブを机に置く。
「そんな和夢君にプレゼント、もし良かったらこれ使ってほしいな」
「これって……ブラックブレイズ飛空隊のスリーブ? そ、そんなもらえませんよ。ただでさえ明日香さんには色々良くしてもらってるのに」
「でもさっきも言ったように、私のブラックブレイズはそこまで値段もしてないし。これで少しでも二人と釣り合いが取れたらなーって思ってね」
「釣り合いなんてとっくに取れてますよ! 可愛いカードが好きな明日香さんが、今では手に入らないカードをプレゼントしてくれたんですよ! 十分に伝わってますって‼」
和夢は真っ直ぐ明日香の目を見てそう言葉にする。明日香は虚を突かれ息を飲む。だがすぐに平静を取り戻し、少しだけ微笑んだ。
「そう言ってくれる和夢君だからこそもらってほしいかな。もしそれで和夢君が気がかりに思うならさ」
明日香はそこで言葉を切ると、エプロンのからデッキを取り出し続ける。
「盤面が可愛いで何度も埋め尽くされるくらい、いっぱいバトルして欲しいかな。ほら、お互いのスリーブが可愛いなら、幸せも倍になるからさ」
明日香はそう言ってスリーブを和夢のほうに押し出していく。和夢は一瞬だけ悩んだが、それでも迷いなく受け取った。
「そしたらありがたくいただきます。でもいつか……お返しさせてくださいね……」
「うん、その時が来たらお返し楽しみにしてるね」
「――――はいっ!」
和夢はスリーブの梱包を解くと、今日買ったカードを仕分けしていく。初めて組むデッキは、もちろん≪ミニブラックブレイズ≫と≪ベビーブラックブレイズ≫を主体としたブラックブレイズビートダウンだ。
スリーブ入れが初めての和夢は、カードが折れないように丁寧にカードを入れていく。そんな一生懸命な和夢の横顔を明日香は楽し気に見つめていくのだった。
◆
明日香とのバトルが進むにつれ、和夢の心は熱を帯びていた。目の前の盤面はまるで嵐のように動き続ける。
「私のターン! ドロー! コストを2払って――≪カワケモの騎士≫を召喚!」
明日香の声が弾む。彼女が場にカードを出すたび、まるでお気に入りのぬいぐるみを見せるかのように嬉しそうな表情を浮かべる。
「さらに騎士の効果で、手札から≪カワケモの救援隊≫を召喚! 救援隊の効果で墓地の≪カワケモの魔術師≫を蘇生するよ!」
次々に増えていくカワケモたち。カードが愛らしく並ぶその姿に、明日香は頬を綻ばせた。
「カワケモって、本当に可愛いよね~。次々に出てくると愛らしくて堪らないよ!」
その言葉通り、彼女は心から嬉しそうだった。カワケモが場に出るたび、笑顔が零れ、愛おしげにカードを撫でる。
(明日香さんは、自分の「好き」を全力で表現している)
そんな明日香の姿を見ていると、和夢の胸にじわりと熱が灯るのを感じた。
(手札も……ドローも……全部、自分のカード……!)
和夢はこの盤面を見て焦るどころか、むしろワクワクしていた。
小学三年生のあの三ヶ月間も、バロックでのバトルも、心の底から楽しかった。けれど、今この瞬間の感覚はそれらとはまた違う――自分のカードで戦っているという実感が、和夢の胸を震わせた。
カードを引くたびに、デッキの奥底から手元へと「自分の大好きなカードたち」が姿を現す。それだけで心が躍る。次の一枚は――
(……⁉)
指先が僅かに震えた。
視界に飛び込んできたそのカード――それは、明日香がプレゼントしてくれた≪ブラックブレイズドラゴン≫だった。
ずっと、ずっと待ち望んでいた。
あのとき、憧れた漆黒の竜。和夢は指の腹でカードの表面をそっとなぞると、心の奥底から湧き上がる感情が、言葉にならないほど溢れてくる。
喉が渇くほど興奮していた。
鼓動が速くなるのが分かる。
七年間、夢見ていたこの瞬間。
和夢は、震える指でコストを支払い、胸を張って高らかに宣言する。
「僕は――≪ブラックブレイズドラゴン≫を召喚します!」
カードを場に出すその手には、子供が憧れのヒーローを目の前にしたときのような、純粋な喜びが滲んでいた。
黒き炎をまとう竜が、和夢のフィールドに降り立つ。その瞬間、彼の目は輝き、頬が熱を帯びる。
和夢にとって、この一手は単なる召喚ではなかった。
それは「七年間の想い」を乗せた、大切な一手だった。
◆
試合結果は五戦全敗。だが和夢は満面の笑みで天井を見上げた。
「ああぁ~、負けました。やっぱり明日香さんとカワケモは強いですね」
「そんなに嬉しそうにニコニコされると、どっちが勝ったかんだか分からなくなっちゃうね……でもカードゲームって本当はそう言うものなんだよね」
「明日香さん?」
「う、ううん何でもない」
明日香はブンブンと首を振ると、少しだけぎこちない笑みを浮かべる。多分これ以上は突っ込んで欲しくはないのだろう。代わりに和夢は先ほどのバトルについて話をする。
「でも今のところ明日香さんのカワケモに勝てるビジョンが全然見えないですね」
「和夢君のブラックブレイズビートと私のカワケモはちょっと相性悪いかもだからね~」
「そうなんですか?」
「うん。そしたら少し説明するからカードを並べてみようか」
明日香がカワケモデッキを広げると、それに習い和夢もカードを並べる。明日香は指が触れないように指さしながら説明を始める。
「私のカワケモも和夢君のブラックブレイズビートも、どちらも小型アタッカーを並べて高速で相手のライフを奪うデッキなのは分かるよね?」
「はい、大丈夫です」
「和夢君のミニブラックブレイズやベビーブラックブレイズは≪飛行≫能力がある。このモンスターを止めるにはこちらも同じ≪飛行≫かそれに類似する能力が必要になる。それだけ言えば強いんだけど、≪飛行≫がある分、ステータスも抑えめにされてる。ここまでも大丈夫かな?」
「大丈夫です!」
「私のカワケモはそれらの能力がないけど、その分ステータスが強く調整されてる。だからフルアタックのぶつかり合いになると必然的に私の方が有利なんだよね」
「そうなるとこのデッキで明日香さんに勝つのは難しいですか?」
「相性的には不利だけど、もちろんやれる手はあるよ。私のデッキレシピでサイドデッキっていう項目があったよね」
「確か一試合ごとに入れ替えることの出来る予備のカードでしたっけ?」
「うん、それだね。そこにある、あっ、この召喚に必要なレコードを減少させるカードが必要かな」
「でも小型ビートを主体にしてるなら、小型のモンスターを増やした方がいいんじゃないんですか?」
「だからこそサイドデッキの採用なんだよ。相手が小型のビートだとわかったら、レコード減少カードを増やして、まずは≪ブラックブレイズドラゴン≫の召喚を目指す」
「そうか! ステータスの高いブラックブレイズを壁にして相手の小型の攻撃を抑える。そして≪飛行≫持ちの二体の小型で一方的に相手のライフを削っていくってことですね!」
「うん、正解! こ、こんな感じで分かったかな? 私、蓮さんみたいに説明が上手じゃないから」
「凄くわかりやすかったです! ありがとうございます明日香さん‼」
和夢が深々と頭を下げると、明日香は「えへへ」と恥ずかしそうに髪を弄る。和夢は早速デッキを弄る。
「そしたらもう一戦お願いできますか明日香さん」
「うん、もちろんだよ! それじゃあまた盤面を可愛いで埋め尽くしていこー!」
明日香が「おー!」と手を上げる。今度は恥ずかしがることなく和夢も「おー‼」と手を上げた。
その後も明日香にアドバイスを受けながら、夕方になるまで二人はデッキを回していくのだった。




