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第15話 ボランティア

 雅が、廊下の掲示板にポスターを貼っていた。

 生徒会主催のボランティアの募集。


「ボランティア?」

「そう。老人ホームで、お年寄りの方たちとおしゃべりするの」

「へえ」

「あ、名簿に名前、入れておいたからね」

「え?」

「あたしは当然行くから。一緒に行くでしょ」

「いや、あ、はい」

「よしよし」



 伺うのは、休日の土曜日だった。

 学校に集合して、バスで施設に向かう。


 参加者は16名。

 全員制服。



 到着したら、食堂みたいな広間に大勢のお年寄りが集まっていた。

 生徒会長の3年生が、代表で挨拶。


 そして、まずは合唱。

 伴奏役の生徒が机を借りて、その上に電子キーボードを置く。

 少し演奏して、指揮者である生徒会長と目で会話。


 まずは「遠き山に日は落ちて」

 そして、「ああ、人生に涙あり」

 最後に、ちょっとアップテンポで「幸せなら手をたたこう」


 お年寄りやスタッフの方々も一緒に手拍子を入れてくれて、まあ、結構、盛り上がったようには思う。



 そこからは自由歓談。



 僕は語彙が少ないので、雅、楓と一緒になって動く。

 そして、こういう時に実力を発揮するのが楓だった。


 目ざとく、手にした文庫本のタイトルを見て、そこから話を広げていく。


「お婆様は、御本がお好きなんですか?」

「そうね。大好きよ」



「その御本はどんな本なんですか?」

「若い方は、知らないかもしれないわね。これはね、紫式部日記っていうの」



「あ、紫式部、授業でやりました。源氏物語……ではないんですね」

「そうね。紫式部日記はね、文字通りの日記、随筆」



「どんなことが書かれているんですか?」

「まあ、いろいろ。ぐちみたいなことも書かれているわ。清少納言ってご存知かしら」



「はい。授業で習いました。」

「紫式部はね、この日記の中で、『清少納言のはとても偉そうに威張っている人で、人を見下しているから、人としてはたいしたことない』みたいなことを言っているの」



「うわー、ひどい」

「そうなの。でも、まあ日記だからね。こんな時代まで残ってしまった事自体どうかな、っていう部分もあるわね」



「ツイッターみたい」

「ツイッター?」



 楓がスマホを取り出してみせる。

「みんなが140文字で書き込めるんです。お返事もできます」

「時代なのねえ」



「はい。あたしたちは、ここに『日記』を書くんです」

「新しい時代の文学ね」



「そうかもしれません」

「ところで、お婆様ってひょっとして……」



「ええ。昔は国語の先生をしていましたわ」

「やっぱり……。途中から授業受けているみたいでした」

 そして、みんなで笑った。




 そんな感じで一日が過ぎ、楓が老人ホームに忘れ物をしてきたことに気づいたのは、その夜のことだった。



「ごめんねー」

 楓は、僕たちに謝る。



 その朝、楓のお母さんが、老人ホームに電話をしてくれて、忘れ物がそこにあることを確認した後、取りに行くことになったのだ。

 そして、一人で行くのが嫌だったのか、「一緒にどう?」というお誘い。



 その結果、よく晴れた日曜の昼下がり、僕たちは三人でとぼとぼと歩くことになったのだ。

 バス停からは、ちょっと距離があるため、おしゃべりしつつ歩く。


「昨日のお婆様、素敵だったな。ああいう風な知的なお婆様になれたら嬉しいんだけどね」

「そうね」とは雅の言葉。

「凛として素敵だった。私もあんな風になりたいわ」



 まあ、たしかに老人ホームに入るような年齢で、あれだけの知的な会話ができれば格好いい。素敵な歳のとり方だよね。



 老人ホームの入り口で呼び鈴を押す。

 すると、スタッフの人が中へと入れてくれた。

 入り口の受付で、楓が、忘れ物のポーチを受け取った。

「よかったね」

「うん」



 するとそこへ一人のお年寄りが通りかかった。



 昨日のお婆様だった。

 杖をつきながら、ゆっくりと歩いていらっしゃった。



「あ、昨日は面白いお話、ありがとうございました」

 楓が率先して声をかけた。


「あらあら。可愛らしいお嬢様たち。《《はじめまして》》」

 ぺこりと礼。



「え?」

 楓が口ごもった。



「今日はどなたのお使い? それともどなたかのお孫さんかしら。ゆっくりしていらしてね」



 それだけ言って、ゆっくりと立ち去っていく。



 楓以下、僕たちはみんな呆然と見送った。



 たしかに言った。「はじめまして」と。



「ごめんね。あの方、認知症でね。昨日のこととか、覚えられないのよ」



「覚えられない?」

 楓が、そう口にした。

「でも、昨日はあんなに……」



「そういうものなの。認知症というのは、そういう症状なのよ」



 僕たちは、返す言葉もなく、一礼して老人ホームを立ち去ることになった。



 バスに乗って駅まで。


 チェーンのハンバーガーショップの前を通ると、すでに閉店状態。

 僕と雅がイベントに参加したショップだった。

 まあ、刃傷沙汰の記憶があると、なかなか座りにくいものがあるのだろう。



 三人で、フードコートへ入って座る。



 ため息。



 天気は晴天。

 フードコートはにぎやか。

 歩く人たちは笑顔。

 話す声とBGMの混ざりあった「人の空気」がそこにある。



 だけど、僕たちの心は、あまり晴れやかではなかった。

 特に楓の顔が曇っていた。

 慰める言葉はなかなか紡げない。




 僕たちは無言でジュースを飲んだ。



 何となく、さよならを言い出しにくく、夕方まで、そのフードコートに居座ることとなった。


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