10月30日(日)
近所にちょっとした林がある。
昔、俺とタツミが住むこの辺りは森だった。昔からここを知るじじい曰く、
「昔はカブトもクワガタもトンビもキツネもおった。川は鮎もいたし、フナもいた。たくさんの虫けらや動物がうじゃうじゃおった。わしがガキの頃なんかはよく魚釣りしたり、虫取りしてはしゃぎまわったもんだ。ひろしってやつがいてな、そいつはちょうどこの川で溺れて死んだんだが、面白いやつでガキ大将だった。話力と暴力と行動力のあるカリスマ的ガキ大将だった。だが無茶なやつでな。飛んだり跳ねたり、ねじれたり弾んだり、無茶のし過ぎで最期はここじゃ。そのひろしなんじゃが、セミの素手捕獲数の町内記録をもっていてな。たしか一日で五十六匹捕まえていた。その上何匹か素揚げして食べて見せる豪傑だったな。やつはいたずら小僧で、当時ここらじゃ有名な町のアイドルさゆりちゃんのスカートをめくったり胸を――」
老人の話は長くなりがちだ。じじいの話はこのあたりで割愛する。このじじいは近所じゃ有名なじじいで一度話しかければ、いや、挨拶しただけでも相手を掴んで離さず、延々と自分語りをすることでよく知られている。ま、一種の妖怪だ。もしこのあたりのことを知りたければ、この妖怪を探すといい。だいたい、いつも徘徊している。
じじいの話はどうでもいい、話を元に戻す。
俺とタツミの住むこの辺りは八◯年代に開拓され、住宅街になった。その過程でじじいの言っていた色々な動物は死に絶えた。人間は自分たちの棲家を作るために、他の生き物の棲家を奪った。森を切り開き、川を汚し、地面は平らに固くなった。この大変動は彼らにとっちゃ隕石が落ちたようなものだったろう。
森は一新され、新興住宅地となった。だが、その名残が少しだけある。近所の公園の林がそれだ。そこはかすかながら、しかし確かに森の一部だった。住宅街の中でかつての数百分の一だけ残されたそこはもはや森とは言えないまでも、ちょっとした林ではあった。森ではないから、森の生物はもうほとんどいない。いるのは森以外のどこにでもいるような生き物たちと、奇跡的に残された当時からの木が数十本だけだ。
「なんでも知ってるんだね」
隣のタツミが感心したように俺を見て言った。
「なんでもは褒め過ぎだな」
俺は苦笑して言った。
俺とタツミは林のベンチに座っていた。
『ちょっと散歩でもどう?(ロケットの絵文字)』
自室で本を読んでいる俺に、タツミからこんなメッセージが飛んできて、今に至る。
林は秋真っ盛りだった。辺り一面落ち葉が絨毯のように敷き詰められ、ドングリがたくさん落ちている。ドングリはブナやシイやコナラやクヌギの実らしいのだが、俺にはどれがどれだか区別がつかない。住宅街の中にあっても、この辺りはさすがに自然の豊富なところとあってか、寒くなりかけているというのに虫もまだ元気に鳴いていた。足元では死んでいるスズメバチもいたが、まるまると太ったイモムシなんかもいたりして、まだまだこれから生命を謳歌する生き物たちでいっぱいだった。
そのとき、タツミの足元をカナヘビがちょろっと走っていった。
「見た、今の!?」
「ああ、カナヘビだったな」
「捕まえよう!」
「えぇッ!?」
俺はてっきり女の子は爬虫類とか苦手だと思っていた。しかしそこはタツミ、こいつはただの女の子じゃない。タツミという希少種であり、突然変異種であり、特殊なのだ。並の女の子のように扱ってはいけない存在なのだ。
タツミは追いかけだした、が、すぐに諦めた。林はカナヘビの棲家だ。あっちのエリアで人間たちは無力に近い。いかにタツミといえど、野生の瞬発力と落ち葉の海のなかではどうしようもなかった。
「あ~……行っちゃった」
残念そうに言いながら、タツミはカナヘビの消えた方向にあるヤブを落ちていた枝で突き始めた。
「おいおいやめとけって。やぶへびってことばもあるだろ?」
「それならそれでいいよ」
「いや、よくねーよ。このへんはマムシだっているし、ヤマカガシだって毒あるんだぞ?」
「噛まれたら、毒、吸い出してね?」
「そんなリスク犯してまで追いかけるなよ。昔のテレビ番組のナントカ探検隊じゃないんだから……」
ようやくタツミも諦めた。タツミは枝を持ったまま、こちらに振り向いた。その枝に、なにかがくっついていた。一瞬、それがなんだかわからなかった。
「なんかついてない?」
俺はタツミに近づいてそれをまじまじ見て、ようやくその正体が判明した。
使用済みの近藤さんだった。俺が気づくとほとんど同時に、タツミも気づいたらしい。
「おまっ……!?」
「………………!!!!????」
顔を真赤にして枝を投げ捨てるタツミ。宙を舞う枝と、それにくっついた近藤さん。二つは踊るようにもつれ合い、空中を舞って少し離れた落ち葉の絨毯の上に落下した。
俺たちは言葉もなかった。気まずいってレベルじゃない。秋の林とは思えない、清々しさとは真逆のなんともいえない空気が、俺たちを包み込んだ。
「……帰ろう」
「うん、そうだね……」
俺たちは虫の鳴く林を後にした。虫が鳴くのは、盛っている証拠だが、林で盛るのは人間も同じらしい。俺とタツミは……いや、考えたくもない。少なくとも野外でそんなことする趣味はない。今のところは。




