10月28日(金)
午前十時半、チャイムが鳴った。解放を告げる福音だった。秋季中間テストが終わったのだ。長きにわたる戦いの終結に、俺の中の全俺が沸き立ち、俺の脳内は歓喜の声と盛大な拍手で包まれた。開放感と安堵でいっぱいになった俺は、
「はぁ~~~~……」
クソデカため息をついて椅子の背もたれに身体をあずけ、天井をあおいだ。安らかなる瞬間。十二月の期末テストまでの束の間の休息を今はひたすら貪るときだった。
「お疲れ様。手応えはどうだった?」
隣のトキさんが声をかけてきた。さすがのトキさんもテスト終わりとあって、このときばかりは心なしか声が弾んでいた。
「トキさんのおかげでいつもよりかなりいいと思う。ほんと、助かったよ」
「お役に立てて何より」
「いやぁ、今回の数学難しかっただろ? トキさんに教えてもらえてなかったら、赤点は取らないまでも平均よりかなり下の目も当てられない酷い点数だったと思うんだよねぇ。ほんと、トキさん様々、神様トキ様だよ。さしずめ俺はジャギだね」
「なにそれ。意味わかんない」
クスッと笑うトキさん。
「そっちはどうだった?」
「いつもどおりかな?」
「てことは、また学年ベストファイブってことですか。あ~、言ってみたいねぇ、そんなかっこいセリフ! トキさんなら学年一位もありうるもんなぁ~。俺もトキさんみたくクールで頭良く生まれたかったなぁ~」
「別にそんなかっこよくもクールでも頭もよくないと思うけど……」
トキさんは照れてはにかんだ。俺は冗談めかして言ったのだが、そこを大真面目に受け取るのがトキさんの可愛いところ。
そのとき、タツミから着信があった。見てみると、
『やっほー(山の絵文字) テスト終わったから、早速今から第一回秋季中間テスト勉強会の皆で集まって打ち上げしよーよ!(人間がブリッジしてる絵文字) トキさんとウンノさんに声掛けよろしく(注射器の絵文字)』
とのメッセージ。相変わらず絵文字のチョイスは意味不明だが、その案には大賛成なので早速トキさんに聞いてみた。
「今タツミからメッセージが来たんだけど、今から勉強会のメンツで打ち上げしよって。どう?」
「え? いいの? せっかくテスト終わりなんだから、カップルでイチャイチャしたいんじゃないの? 私がいたらお邪魔じゃない?」
トキさんの言葉に、俺はギャグマンガみたいに思わず椅子から滑り落ちそうになったが、あくまでもギャグ漫画ではないのでそこをなんとか堪えた。
「俺たちはカップルじゃないし、アベックでもツガイでもないから! そんなんじゃないから!」
「アベックって、また古い言い方……。ごめん、私、マツザキくんとタツミさんて、てっきりそういう関係だと思ってたから……」
「……つーか、前に一度そんな関係じゃないって言ってたと思うけど」
「その後に付き合い出したのかな、て思って」
「……ま、とにかく付き合ってないから、何も心配要らないよ」
「そう? なら遠慮なく」
トキさんがパーティに加わった!
誤解は解けたし、次はウンノのところに行く。
ウンノは窓の外を見ていた。秋晴れの陽を受けて、ウンノの横顔が眩しい。意外と絵になる女だった。その横顔に声をかける。
「よっす。今から第一回秋季中間テスト勉強会で打ち上げするんだけど、どう?」
「あれ? タツミさんはいいの?」
「そのタツミが発起人なんだ」
「テスト終わりくらい恋人同士でいたらいいのに」
どうもみんな俺とタツミのことを勘違いしているらしい。
「恋人同士ならな。でも、俺たちはそんなんじゃないから……。てことはさ、そっちはこれからカレシと、か?」
「私のカレシは忙しいんだ。私たちと違ってね。タツミさんがいいなら、私も参加させてもらうわ」
「じゃ、全員参加だな。タツミに連絡しとくわ」
ウンノが仲間に加わった!
というわけで我ら四人はホームルームが終わった後、打ち上げ会場へと向かった。途中、ウンノだけは小用があるからと一人一時的に離脱し、とりあえず三人で打ち上げ会場となるカラオケに入った。フリータイムで、ドリンクバーもちょい高いオプション付きのやつにした。テストを戦い抜いたご褒美だ。
タツミがマイクを取り、音頭を取った。
「秋季中間テストが無事終了したことを祝して――」
「無事かどうかはテストが返ってくるまでわからないぞ」
俺は素早くツッコンだ。
「もう、変なちゃちゃ入れないで! 第一、その危険性が一番高いのはマツザキくんでしょ!?」
「ぐはッ!」
的確な反論に俺は血を吐き倒れ……はしなかったが、ダメージを受けてソファーに寝転がった。しかし、いい気持ちだった。真っ昼間からカラオケなんて学生の特権だ。マイクを持つタツミをややローアングルから眺めるのも悪くない。
「なにはともあれ、これより打ち上げをはじめまーす! 皆様、お飲み物をお手に!」
皆様と言っても、あとは俺とトキさんだけだ。ウンノはまだ用事が終わらないからいない。三人がコップを軽く上げ、
「かんぱーい!」
「「かんぱーい!」」
乾杯の挨拶が終わり、第一回秋季中間テスト勉強会無事終了記念打ち上げパーティが始まった。
パーティと言ってもやることはいつものカラオケと変わらない。飲み食いして、歌う、それだけだ。それだけで充分楽しいのがカラオケの魅力だ。
二十分ほど遅れて、ウンノがやってきた。教室を出たときよりカバンがパンパンに膨れ上がっている。ウンノがカバンを開くと、そこから大量のお菓子が飛び出した。尋常じゃない量だった。はたして四人にその量が食べ切れるのかと思うくらい。
「奢りよ。皆で食べて」
ウンノが言った。
「「「えぇッ!?」」」
俺たち三人はビックリ仰天。
なぜならそれは量もさることながら、学生には手が出しにくいお高めのものがかなり混じっていたのだ。合計で万の桁はいきそうなほどだ。さすがに万単位で奢ってもらうのは気が引ける。
「ああ、遠慮しないで。これ、全部貰い物なの。私の親戚がお菓子メーカーで、試供品だとか色々と送ってくれるから、いつもご近所さんとかに配ってるのね。さっきは奢りって言ったけど、別にお金かかってるわけじゃないし、全然気にしないでいいから」
なるほど、そういうことなら遠慮はいらない。それに人生で一度くらいはお菓子だけで腹一杯になってみたいと思っていたところだ。子供の頃の夢が叶う瞬間だった。
俺はほとんど歌うことそっちのけでお菓子を食べた。食べたことのないもがたくさんあって、手が止まらなかった。歌うことは女性陣におまかせし、俺はお菓子担当として頑張ることにした。
歌い終わったウンノに、俺は話しかけた。
「親戚にお菓子メーカーって羨ましいなぁ」
テキトーな世間話のつもりだったが、
「ああ、あれね、嘘。みんなが遠慮してるみたいだったから」
「え゛」
「カレシから好きに使っていいカードを渡されてて、それで、ね」
小声で言い、妖しく微笑むウンノ。ゾクッとさせられるその顔に、俺は言葉もなかった。
好きに使えるカードだって? 羨ましいやらけしからんやら……。いや、他人のカードを持ってるなんて普通じゃない。触れるべきではない深淵を除いたような気分になった。少なくとも俺にとってそれは日常じゃないし、なにか危険な感じもした。
「カレシには気をつけろよ……。そういうのって、あとになってモメがちだからさ」
俺の曖昧かつふわふわとした忠告に、ウンノはやはり薄く笑って、
「お互いにね」
と、茶化され、かわされてしまった。ま、ウンノも馬鹿じゃないだろうし、彼女のほうがその道じゃ俺より一歩も二歩も進んでいるに違いないから、これ以上この話を続けるのは止めた。
俺はコーラを飲み、お菓子を食い、女の子たちの歌を聴いた。良い時間だった。アイドルのディナーコンサートを見てるような気分だった。美味い菓子とジュース、可愛い女の子たちの歌声、合間に女の子と話す、至れり尽くせりの至福の時間。キャバクラやアイドルやメイド喫茶にハマるおっさんの気持ちが少しわかったような気がした。
みんな歌が上手い。その中でもタツミは別格だった。素人意見だが、タツミの歌声は感情の乗りが違うし、表現の幅も広い。なによりただのカラオケでも一生懸命に歌っていた。本当にアイドルみたいだった。おかげでジュースと菓子が進む。
ひょっとしてタツミは、アイドルの才能があるんじゃないだろうか? 俺は夢想した。アイドルになるタツミ、水着グラビアのタツミ、華やかなステージで踊り、歌うタツミ、銀幕でいろんな表情を見せるタツミ、最終的にはイケメンタレントと爛れた関係に陥るタツミ……。
ハァッ!? イカン、イカンぞタツミ! 君はそんな子じゃないはずだ! いや、そんな子であっていいはずがない! 俺のタツミはそんな子じゃないんだ! 俺が一番、タツミを理解しているんだ……!
「私がどうしたの?」
ハッと気がつくと、タツミが隣に座り、俺の顔を間近で覗き込んでいた。
「た、タツミ!?」
「タツミだよ? どうしたの、さっきからブツブツ言ってたけど、テスト勉強の後遺症?」
「え……いや、なんでもない、なんでもないよ、アハハ……」
「それならいいんだけど。でも、もし体調が悪かったりしたら言ってね?」
「お、おう。大丈夫大丈夫……」
今日の俺はどこかおかしい。おそらくテスト終わりの開放感のせいだろう。それにカラオケがあまりにも楽しいから、テンション上がりすぎて頭が馬鹿になってしまったにちがいない。気を引き締めないとな。これ以上タツミの前で馬鹿を晒す前に……。
俺は気を引き締めるためにコーラを止めてウーロン茶にした。氷を大量に入れたウーロン茶を喉に流し込む。美味くて爽やかだった。これで少し頭が冷えてくれるといいのだが……。




