10月13日(木)
運動場、一周二百メートルのトラック上、俺は第一走者が来るのを今か今かと待っていた。来た。距離、約三十メートル。雲の多い晴天の下、手にバトンを持ち、必死の形相で近づいてくる第一走者。距離十メートル。俺は走り出す。距離とタイミングを見計らい、適切に加速し、互いの呼吸を合わせる。リレーで一番緊張する瞬間。リレーはバトンパスで結果が大きく変わる。たとえ個々の実力が劣っていたとしても、パス次第で逆転もありうるのがリレーの面白いところだ。
第一走者が目前に迫ってきた。そこで俺はさらに加速する。第一走者のスピードよりやや遅いくらいの速度にあわせる。速度と位置を調節し、手を後ろへと伸ばす。ジャストタイミング。手に確かなバトンの感覚が伝わってきた。落とすまいとギュッとそれを握りしめた。確実にバトンを掴み、同時に速度を上げる。完璧なバトンパスが出来れば、あとは俺が完璧に二百メートルを走りきり、次にバトンを伝えるだけだ。
俺は走った。ただひたすら走った。地を蹴り、腕を振り、心臓を弾ませ、血をたぎらせた。二百メートル、それは短いようで長い距離。一瞬のようで長い瞬間。ただひた走る。バトンを持ち変えることなく次の走者へと走る。
何も考えないし、何も感じないし、何も聞こえない。ストレートを、コーナーを、次の走者へ向かって駆け抜けてゆく。必死に、ひたすら懸命に。
二百メートルは正直言ってキツイ。百メートルを過ぎたところで疲労感が出る。そこで少し冷静になる自分がいた。疲れが俺の頭に雑念という思考を生んだ。
(なんでお前はこんなことしてるんだ?)
頭の中で俺が俺に問いかけてくる。皮肉で面倒でときに嫌な俺の一部が、必死に走る俺に茶々を入れてくる。
(たかが体育祭の練習だろ? そんなもんに必死になってどうすんだ? それが将来何かの役に立つのか? 金になるのか?)
二百メートルを走り抜こうとする俺を馬鹿にしてくる。そういう冷静を通り過ぎて冷徹な考え方、実は嫌いじゃない。クールな俺の言うことは、突き詰めれば事実だ。何も間違っちゃいない。おっしゃるとおりです、将来の役に立たなければ金にもなりません。
だけど、あえて言い返すなら、
(それがどーした)
だ。そんなことわかってる。俺だって別に走りたいわけじゃない。ただクラスで五番目に足が速かっただけだ。ただそれだけでクラスメイトから推薦されて第二ランナーにさせられただけだ。でも、それでいいじゃないか。それのなにがいけない? クラスの期待をほんのすこしばかり背負って走るのもたまにはいいじゃないか。将来とかそんなものは賢しらぶったやつの言うことだ。俺は今走るだけだ。二百メートル走る機会なんて、どうせ今しかないんだから。
そのときだった、
「頑張れ~!!」
声が聞こえた気がした。タツミの声だ。そんなわけない。今は授業中だ。授業中に他のクラスの授業の応援をするやつなんていない。そうだ、これは俺の心が生み出した幻聴だ。だけど俺は、幻聴のタツミの応援に背中を押された気がした。疲れが一瞬吹っ飛んだ。残り三十メートルの一番キツイこの瞬間に、俺は最後の力を振り絞った。
「いけ~、走れ~!!」
また聞こえた。二百メートル走ることのメリットがわかった。タツミの応援だ。これ以上のメリットはなかなかないだろう? タツミが応援してくれるなら、たとえ幻聴だろうと妄想だろうと、二百メートルだろうが一万メートルだろうが走りたい。『死せる孔明生ける仲達を走らす』、なんて言葉があるが、タツミの応援は死にかけの俺を走らせてくれる。
残り二十メートル、最後の力を振り絞る。残り十メートル、限界ヘロヘロをなんとかこらえながら次の走者との距離を計る。速度を調節する。五メートル、三メートル、一メートル、ここが最後の踏ん張りどころだ。次の走者も加速する、最後まで俺は速度を落とさず、次の走者のてにしっかりバトンを託した。直後、足がもつれた。
「うおっ……!」
すってんころりん。俺は一回転。ずっこけたが、そこは俺、しっかりと受け身で無傷。全身が砂まみれになっただけで済んだ。しばらくそのまま横になっていたかったが、また一周してくるからすぐにどかなきゃならない。俺はぜーはー言いながらよろよろ起き上がってトラックの内側に移動して、すぐ座り込んだ。
「なかなかやるじゃないか、マツザキ」
体育教師のウマダが声をかけてきた。俺は息が上がっているのでうまく返事ができず、苦笑いと荒い息で答えるしかできなかった。
「それに勝利の女神もついてるしな。羨ましいな~まったくぅ。俺もお前の歳には青春してたなぁ~」
なんのこっちゃよくわからないことを言っていた。俺はやっぱり苦笑いと荒い息で答えるしかできなかった。今はもう何も考えたくなかった。それだけ疲れ切っていた。早く本番走ってさっさと終わらせたい、としか今は思わなかった。
授業が終わって教室に帰る途中、タケウチとイシカワコンビが声をかけてきた。
「いいよな~マツザキは」
「ほんと羨ましい」
「俺たちにも勝利の女神をわけてくんない?」
ニヤニヤする三人。
「なにをわけのわからんことを」
俺がそう言うと、やっぱり三人はニヤニヤしたまま、
「照れるな照れるな」
「勝利の女神の方は大胆なのに、マツザキときたらシャイなのね~」
「しかし、本当にうらやましい」
「なんなんだお前ら……」
わけのわからん三人をテキトーにあしらっていると、スマホに着信があった。タツミからメッセージが着ていた。開いて確認した。
『マツザキくんて意外と足が速いんだね!(アキレス?の絵文字) それとも、私の応援のおかげかな?(ガソリンタンクの絵文字)』
『へぇ~、見てたのか。応援はありがたいが、授業はちゃんと聞いてないと先生に怒られるぞ?』
『へぇ~、見てたのか。じゃないよ!(槍の絵文字) 声かけたじゃん、頑張れ~って教室の窓から二回も!(悪魔の絵文字) おかげで先生に怒られちゃったよ(天使の輪っかの顔文字)』
幻聴じゃなかったらしい。俺は授業中に教室の窓からこっちに向かって大声で応援タツミを想像して脱力した。なるほど、ウマダやタケウチたちの言っていた『勝利の女神』ってそういうことか、青春云々はそういうことだったのか……。
「タツミめ……」
俺は勝利の女神の名を口にした。授業中に応援されるなんてちょっと恥ずかしいが、そんなに悪い気はしなかった。
タイトルの変更を予定しています。とりあえず候補として以下の二案がありますが、どちらがいいでしょうか? よろしければ感想欄とかメッセージで教えてやってください。他にもタイトルのアイディや案、ご意見等々ありましたら、どうぞお気軽に。
1 タツミさんとマツザキくんの青春ラブコメディな365日
2 俺の日常に突然美少女が現れた ~俺とタツミさんの青春ラブコメディな365日~




