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10月1日(土)

 近所に評判のラーメン屋がある。屋号は『金魚』。

 『金魚』だが、もちろんトッピングに金魚が入っているわけじゃない。のぼりに赤と黒の金魚がデフォルメタッチで書かれてあり、こいつがなかなかブサイクで可愛らしい。


 『金魚』の前を通ると、いつもそこそこの列ができている。『金魚』は地元じゃちょっとした有名な人気店なのだ。しかし行列の理由はそれだけじゃない。『金魚』はなんと、定休日の月曜日以外の昼にたった三時間ほどしか営業しないのだ。この希少感が真の人気の秘密なのだと、俺は密かに睨んでいる。


 ちなみに俺は店に並ぶのが苦手だ。行列なんて並ぶどころか見ただけでも辟易としてくる。それに食に執着するタイプでもないから、長蛇の列の美味しい店に並ぶよりは、空いているそこそこの味の店に躊躇なく行く。


 実のところ俺は『金魚』には一度しか行ったことがない。そこでブラックニンニクニララーメンを食べたきりだ。人気店だけあって不味くはなかったが、正直なところ味の記憶がない。美味しければ美味しかった記憶が残るはずなので、記憶がないということは可もなく不可もなく、といった味だったのだろう。


 しかし、今日突然、俺は『金魚のラーメン』が食べたくなった。

 理由も原因もわからない。カレーが食べたいな、コーラが飲みたいな、なんて思うときはままあるが、『金魚のラーメン』という具体的な品が食べたくなったのは初めてだ。


 見えない力に引き寄せられるように、俺は財布を持ってふらふらと家を出た。


 十月というのまだ暑い。ちょっと歩いただけで汗が出てきた。スマホで気温を確認すると二十八度だった。夏を思わせる日差しだが、時折吹く冷たい風はたしかに秋だった。


 徒歩約五分で『金魚』についた。いつもどおり列ができていた。その列の中段やや前にタツミの姿があった。どうやら一人らしい。女一人でラーメン屋とはなかなか粋な女だ。そういうの、嫌いじゃないぜ?

 とりあえず声をかけた。


「よっ」


「うわぁっ」


「おわっ」


 なぜかめちゃめちゃビックリするタツミ。

 そんなタツミにビックリさせられる俺。


「ま、マツザキくん!? ど、どうしたのこんなところで?」


「近所を()()()()()()って言うか? それにラーメン屋に来れば、することは一つだろ」


「え、あ、そ、そうなの? あ、私は別にラーメン屋に並んでたんじゃないから! 女の子が一人でラーメン屋に来るとかないから!」


 やけに焦り、聞いてもいないのに謎に言い訳がましいことを言い出すタツミ。


 そこで俺はピンときた。なるほど、女の自分が一人でラーメン屋に並んでいるのを見られて恥ずかしいらしい。俺は思わず苦笑した。


「何も恥ずかしがることないだろ。別にフツーだろ、女の子が一人でラーメン屋に並んでも」


 そもそも見られたくないならこんな近所で並ばなきゃいいだろ、というツッコミは心の中にしまっておいた。


「そ、そうかなぁ……? マツザキくんはラーメン屋とか牛丼屋に一人で食べに行く女の子、嫌いじゃない?」


「ぜ~んぜん嫌いじゃない。むしろ良いと思う。付き合うならそういう女の子のほうがいいね、驕るのも安上がりだし」


「そ、そっかぁ……」


 タツミははにかんだ。ラーメン屋に並ぶタツミも可愛いが、こういうところもとても可愛い。そんなタツミを見ていると、こっちまで頬が緩む。

 挨拶はこのくらいにしておこう。今こうやって話している間にも列が伸びつつある。無性に腹も減ってきた。早く並んだほうがいいだろう。


「んじゃ、俺は後ろで並んでるから」


 そう言って、俺は踵を返して列の最後尾についた。なぜかタツミもついてきた。


「来ちゃった」


 古いドラマにありそうな、田舎の両親の反対を押し切って都会に行った恋人の部屋に上がり込もうとする女性みたいなセリフを言って、タツミはニッコリと笑った。


「いいのか? 今から並ぶとだいぶ時間かかりそうだけど」


「でも美味しく食べれるよ。やっぱり一人より二人で食べたほうが美味しいもんね」


 そういえば前は俺一人で『金魚』に食べに行ったんだった。一人ならそうでもないものでも、二人なら、皆で食べれば美味しい、そういうこともあるかもしれない。いや、きっとそうなんだろう。タツミが言うなら間違いない。


 前に食べたときのことはほとんど覚えていない。でも、今回は違う。素晴らしい思い出が約束されていると言っても過言じゃない。たとえラーメンが美味しくなくても、タツミと過ごす時間はかけがえのないものだから。

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