9月20日(火)
今日は一転、めちゃくちゃ涼しい日だった。朝、家を出ると冷たい風が吹いて寒いくらいだった。台風は昨日、タツミと会っていたときがピークで、その後は特に何事もなく過ぎていった。あとには少しばかり強い風の余韻を残すだけだった。その余韻がときどき厄介で、登校中の人間を容赦なく煽ってくる。チャリで登校していた俺は、学校へ行くのに少しばかり用心しなければならなかった。
学校に着き、教室へと入るとウンノと目があった。そういえばあのときぶりだ。ウンノが意味ありげな微笑と視線に、俺は片方の眉と唇をかすかに歪ませた。苦笑とも目礼ともつかない微妙な顔しかできなかった。
席につくと、隣のトキさんが挨拶をしてきた。
「おはよ、マツザキくん」
「おはよう、トキさん」
トキさんは読んでいた文庫本を閉じ、少しだけ顔をこちらに向け、横目で鋭く俺を見た。
「教師と生徒の恋愛ってどう思う?」
「え゛っ……!?」
突然、朝っぱらからトキさんの口からそんな言葉を聞かされれば、驚くのも当然だろう。ウンノのこともあったから、驚きは強烈なものだった。
思わず、俺はウンノの方を見た。ウンノはトキさんとは反対方向の窓際の席にいる。開けられた窓の外を見ている。朝の光を受けて白い横顔が、やけに大人に見えた。
「どう思う、って言われてもなぁ……。ま、あんまり良くないことなんじゃない? いい歳した大人が子供を誑かすような真似はしないほうがいい、と思うね」
俺はちらちら横目でウンノを見ながら言った。ウンノへの警告のつもりだったが俺もあまり大きな声で言ったわけじゃないので、おそらくは聞こえていないだろう。ウンノは相変わらず、所在なさげにボーッと外を眺めている。
「ふーん、そうなの。私はアリだと思うけど」
「ほぅ……」
意外だ。真面目そうな見た目のクセして、恋愛ごとは大らかかつアグレッシブでオープンなのか? うーむ、やはり女の子は侮れない。
「だって、面白いじゃない。ダメなことをしてる人たちって、端から見るぶんにはすっごく愉快だし、見ものじゃない?」
「あー、自分がするんじゃないのか……」
なるほど、そういう考えもあるのか。いや、それはそれでトキさんが少し怖くもある。多少のインモラルも、それが自分に直接関わりないなら人生の彩りになる、くらいに考えているのだろうか?
「たしかに見ものではあるかもな。でもそれがもし、親しい人だったり知り合いだったら、極力止めてもらいたいかな。やっぱり良い歳の大人の男が女子高生に熱を上げてるってのはみっともないし気持ち悪いよ。あーいうのはきっと、同世代の女性に相手にされないあまり、同世代の女性に憎しみを抱いちゃってて、その反発から未成熟な女の子に手を出すんだろうね。まだ年端もいかない相手なら、自分の言うことを聞かせられるって思ってるんだよ。そういう反発心からくる愛情は往々にして歪んでいて、蓋を開けてみれば利己的な愛情だったり、性欲や所有欲だったりするもんだ。モテない男ほど他に相手してくれる女性がいないから、意地でも一度手に入れた女性は手放したくなくて、自分の所有物である女性に他の男が近づくことを嫉妬にかられて異常に警戒するようになる。つまり何が言いたいかというと、生徒に手を出すような男は、その時点でクソ野郎だってこと」
俺はちらちらウンノを見ながら話したが、やっぱりウンノには聞こえていないらしく、ウンノはこちらに反応することなくずっと外を見ていた。
「なんだかスゴイ解像度の高いお話ね……」
トキさんがおっきな目をおっきく見開いて俺を見ていた。
「まるで本当にあった話みたいに具体的だし、具体的すぎてマツザキくんの個人的な恨みの感情が噴き出しているようにも見えたけど?」
調子に乗って喋りすぎたことを後悔した。トキさんは明らかに何かを勘づいていた。
そうです、これは見て聞いて話した事実から導き出された俺の考えです、とは言えない。言えるわけがない。俺個人の問題ならいいが、ウンノのプライベートに関わる問題だ。深くは話せない。
「……読んだ小説のなかに、そんな話があったんだよ」
我ながら苦しい言い訳だ。
「へぇ、面白そうな小説ね。私も読んでみたいから、タイトル教えて?」
「……もう忘れたよ。図書館で借りたやつなんだ」
「ふぅん。そっか。ところで一つ聞きたいんだけど、逆パターンはどう?」
「逆パターン?」
「マツザキくんは女生徒に手を出す男性教師が嫌いみたいだけど、女性教師の場合はどうかしら? 教師と生徒の恋愛に一家言あるマツザキくんから、ぜひ御高説賜りたいわね」
「……まぁ、ダメでしょ。教師と生徒なんだから」
「あら、ずいぶんあっさりしてること。なんだか今のでマツザキくんが読んだ本のタイトルがわかった気がしたわ。おそらくかなり現実的なお話なんでしょうね」
「……そうだったかもな」
そこでチャイムが鳴り、会話も終わった。
その後、トキさんに朝の話を蒸し返されることなく、学校での一日が終わった。
放課後、下駄箱でタツミと遭遇した。
「お、今日は初めて顔を合わせたね。今から帰り?」
「おう、今から帰るとこ。タツミは?」
「私も。じゃ、一緒に帰ろうよ」
「OK」
俺たちは二人で帰ることにした。昼を過ぎてもそこまで気温が上がることなく、少し肌寒い帰り道を二人で並んで帰った。途中でコンビニに寄り、堤防の河川敷のベンチでジュースを飲みながら、秋の川を眺めて他愛もないお喋りに興じていると、
「マツザキくん」
ベンチの後ろから声を掛けられて俺たちは振り返った。そこには自転車に乗ったウンノがいた。彼女は朝と同じ意味深な笑みを浮かべていて、そこに思わせぶりな目線が加わっていた。
「今日はご忠告どうもありがとう。でも安心して、私、あなたに心配されるほど馬鹿な女じゃないから。でもマツザキくんが私のこと心配してくれてすっごく嬉しかった。私、優しい人って好きだよ。じゃあまたね」
そう言って、逃げるようにウンノはチャリで走り去ってしまった。
恐る恐る隣のタツミを見ると、形容し難いとても微妙な表情を浮かべていた。冷やかすような、笑うような、それでいて怒るような、刺すような、不満があるような、憎しみがあるような、そんな目や口をしていた。
「あ、あれはウンノって言って、同じクラスなんだ……」
「知ってるよ。だって今日の昼に話しかけてきたから」
「え゛」
急にタツミは顔に満面の笑みを浮かべて、
「ねぇね、どんな話したか気になる?」
ああ、すっごく気になる。なので俺は激しく頷いた。
「教えてあげない!」
ニッコリと笑ってタツミが言った。
「おい!」
「あはは! おしえないよ~!」
「教えろよ! なんだか意味深で気になるだろ!」
「意味深なのはあなたたちの会話と関係性ですぅ~!」
「別に、俺とウンノはなんもないよ!」
そんなことやってるうちに日が暮れた。もう夏は終わり、夜が長くなる番だった。暗くなる前に俺たちは家に帰った。
なんだか今日も疲れたが、それはそれで面白い日だったと思う。
そして一つの教訓も得た。突っ込まれて話しにくい話に繋がる話題は避けよ、自らべらべら話すのは愚、だ。




