9月1日(木)雨のせい
「雨って憂鬱だよね」
タツミが隣で言った。
今朝から断続的に雨が降っていた。おかげで気温は低いが、代わりに湿度が高く、服がじとじとして気持ちが悪かった。これだから夏の雨は困る。
「全く同意だね」
俺は頷いた。放課後、ばったり出会ったタツミと、体育館横の自動販売機前のベンチに二人で座り、二人して空模様と同じような晴れない表情で雨に濡れる校舎をぼーっと眺めていた。
「雨、止んでほしいね」
「そうだな」
「傘差しながらチャリで帰るのはダルいもんね」
「そうだな」
「ほんと、この時期の雨にはまいっちゃうよね」
「そうだな」
「最近雨多いよね~。また梅雨が来たんじゃない? てことは、また夏が来るかもね~?」
「そうだな」
「マツザキくんって女好きでしょ?」
「そうだな」
「ちょっと、お父さん、アレとってくださいな」
「そうだな」
「ねぇ、マツザキくん! 人の話聞いてないでしょ!」
「そうだ……あっ」
気がつけば、タツミが俺の前で仁王立ち。ただでさえ雨で不快気だった顔に怒りが加わった。しかしそうやって恐ろしげな顔をして俺を睨むその顔も、やはりタツミらしくて、とても可愛げがあった。美少女に凄まれたって全然怖くない。
「悪い悪い。ぼーっとしてた。これもきっと雨のせいだな。うん、そうに違いない。雨音の音色とリズム感が特殊な催眠音波となって、俺の思考を鈍らせたんだろうな」
「でた! マツザキくんお得意のおかしな言い訳!」
「別に言い訳してるつもりなんてないよ。でも、それがおかしな言い訳に聞こえたなら、それもやっぱり雨のせいだと思うな。雨ってなんでもおかしくしてしまう、今のタツミみたいにね。そんな気がしないか?」
「なんでも雨のせいにしちゃって……」
タツミは呆れたように再びベンチに座った。しばし沈黙。雨音と、体育館から聞こえてくる部活の音以外は何もない静かなひと時だった。
「雨、止まないねぇ」
「そうだな」
「その、そうだな、っての止めてよ」
「なんで?」
「なんとなく不快。雨より嫌。なんかお父さんみたいだから」
「……お父さん? お父さんって君の?」
「そう、私のお父さん。お父さんいっつもそんな相槌して、お母さんに怒られてるから」
俺は笑った。タツミのご両親の顔なんて一度も見たことがないはずだし、見たことがあったとしても覚えていないのに、タツミ一家の家族団欒の光景が、なぜだかわからないがありありと目に浮かんだ。
「そのときの君のお母さんは、今の君みたいなことばかり言ってたんだろうね? もしくはいっつも雨が降っているのか」
「それ、どういう意味?」
「大した意味なんてないよ。タツミ家が楽しそうでいいなって思っただけ」
「そうは聞こえなかったけど」
「そういうことにしといてくれよ。雨なんだから」
「マツザキくんってなんでも雨のせいにするんだね」
「殺人を太陽のせいにするやつよりマシだろ?」
「似たようなもんじゃない?」
「酷ぇ」
「酷いのはマツザキくんだよ。さっきからふざけてばっかり」
「すまんな。でも、今日はこれなんだ。俺としてはとっても楽しいんだけど」
「マツザキくんは私といるといつも楽しいもんね?」
「俺だけじゃないよ。誰だってタツミといられれば楽しいもんさ。だって君はとっても可愛いからね」
俺の冗談をタツミは真に受けたようだった。顔が真っ赤になっていた。タツミはすっくと立ち上がると、
「あ、雨止んできたね! じゃあ私行くね! 駐輪場で待ってるから!」
タツミはカバンを持って雨の中、傘をさすのも忘れて駐輪場の方へと走っていった。
俺の冗談にだいぶ慌てているのが一目でわかった。まず第一に雨はまったく弱まっていない。第二にお先に帰るようなことを言っておきながら、駐輪場で待っているというよくわからないセリフ。この二つでタツミの混乱のほどがうかがえる。
「やれやれだ、な……」
そんなに真に受けられるとこっちも照れる。でも、今思い返すと、まんざら冗談じゃなかったような気もする。この雨に紛れて、俺はうっかり本心を吐き出してしまったのかもしれない。
きっとこれも雨のせいだ。今日の俺はなんでも雨のせいにしてしまう。
とにかく駐輪場へと急いで向かおう。俺は雨の中、タツミの後を追って走り出した。タツミをこれ以上雨に濡らすわけにはいかない。彼女が風邪をひいたら俺は、やっぱりそれも雨のせいにするだろう。
 




