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ホロ暮らし  作者: 御影 夕介
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 ★長くて面倒くさいあとがき『MR論』




 隠しダンジョンへようこそ!


 本来、このスペースはいつもどおりのあとがきとしたいのだが、わけあってこの「論文」を先に完成させなくてはならなくなった。その事情については後述しようと思う。まずは、いくつかお断わりしておきたいことから記していこう。


 できるだけ簡潔に要点をお伝えするため、いつもより少しばかり硬い文体となっていること、普段あえて使っていない一人称をここでは特別に「私」とすること、小説『ホロ暮らし』の内容がかなり明かされるということ。これらの点にご留意いただきたい。


 さて、この論文は『ホロ暮らし』と対をなす、表裏一体の文章である。まさしくMR技術によって現実の物体にデジタル情報が重ね合わされるかのごとき、あるいは歩玖やしえるとそのアバターたちのごとき、ケイヴトゥジエンドとエアリアルプリズムのごとき関係性だ。作品と論文のどちらを先に読むかという自由は当然読者に属するが、物語を制作する人間の多数がそう考えるであろうと同じく、私としても物語のほうを先に読むことをお勧めする。ただ、どちらのダンジョンを先に攻略されるとしても、それぞれ最深部まで到達していただけるなら筆者としてうれしいことこの上ない。


 思いのほか前置きが長くなってしまった。早く探求の旅へ出かけることにしよう。




 Ⅰ なぜ今、MRなのか?


 いきなりそんな問いから始まっても、ほとんどの方は頭に疑問符が浮かぶことだろう。そもそもMRとはなんぞや、という反応が普通だと思う。そこから話していこう。


 MRとは複合現実(Mixed Reality)の略である。仮想現実(VR)や拡張現実(AR)と並んで今後発展すると考えられているデジタル情報技術だ。私は素人なので専門的な説明は控えておきたいし、ググってもはっきりした説明が得られる保証はないので、さしあたって関係する点だけを定義してこれから扱っていくことにする。


 とはいってもこのサイトは「小説家になろう」なので、皆様におかれては今さらVRに関する説明など釈迦に説法、もしくは転生者に現代知識というものだ。ARについても「ポケモンG〇」などで身近であるし、イメージするのは簡単なはずだ。問題はMRのみである。


 『ホロ暮らし』作中での説明どおり、MRにはデバイスを使って現実の視界にCGを合成することが関係する。しかし、それではARとほとんど変わらないじゃないか、と言いたくなるかもしれない。おっしゃるとおり、「いったい何がMRと呼ばれるべきか」という問題は、この点での区別があいまいなことが一因ではなかろうか。今のところはいろいろと都合でもあるのだろうが、いずれ技術が進んでこの差異が小さくなってくれば区別の必要もなくなると思われるので、それまで辛抱するのが最善だ。が、今はやはり不便なので、適当に区別しておきたい。


 さっきMixed Realityを「複合現実」と表したが、これは「複合現実感」と訳されることもある(ということは他のふたつにも「感」がつくはずだ)。私としては、省かれがちなこの「感」こそ重要だと考えている。つまり、肝心なのはシステムが電気信号をどう処理するかではなく、「使っている人がどう感じるか」ということなのである。


 つまり、拡張現実感(AR)とは現実が拡張されているように「感」じることであり、複合現実感(MR)とは仮想と現実が複合しているように「感」じること、というわけだ(仮想現実感(VR)とはユーザーが仮想を現実のように「感」じることである、の部分は割愛しても差し支えないだろう)。この説明だけではちょっと無味乾燥なので例えで考えてみよう。


 あなたが作中のキャラクターの一人である芽緒と一緒にEODをプレイしているとする。スマートグラスを通して見ると、芽緒にはウサギの耳が生えているように見える。これはARと呼ぶことにしたい。なぜならウサ耳以外は現実が見えているので、普通は「現実が拡張された」ように感じるであろうからだ。


 では今度はどうだろう。今は芽緒の全身がアバターになっている。また、背景も実際の風景ではなくファンタジックな世界が描かれている。これだけならまだARのように感じる人もそれなりにいるかもしれない。しかし、アバターからは芽緒の声が聞こえ、アバターの肩に触れると手には芽緒の肩の感触があるとなれば、おそらくあなたは今、自分の目の前にあるのが現実なのか仮想現実なのか判断するのが難しくなっているはずだ。それは「仮想と現実が複合している」と感じているからにほかならない。


 要するに、私によれば「仮想現実は伴う実感(現実感)が強いほど複合現実に近づく」ということになる。これは私の主観および体験者の主観に基づくため、定義として不十分な点も多くいろいろと反論もおありだろうが、ひとまず当論文と『ホロ暮らし』作品世界ではこのように区別されているということでご容赦いただきたい。それで読者の皆様にどんなメリットがあるのかといえば話が早く先に進むことくらいなのだが、とにかくお願いしたいところだ。では早く話を進めて、「なぜ今MRなのか?」という問いに答えてみよう。


 「MRは儲かるから」というのが私の回答である。


 誤解を避けるために言っておくが、私はお金のために『ホロ暮らし』を執筆したわけではない。電撃大賞に応募している以上、まったく否定できるわけではないのがつらいが……この部分でも情状酌量を請いたいところである。この点は後でさらに言い訳を重ねることになるが、今は読者の皆様のため、なぜMRは儲かるといえるのかを先に解説しようと思う。


 その理由には様々な要素があるが、これが最も大きな部分を占める。すなわち、MRがまだ誰も手をつけていない領域、ブルーオーシャンだからである。たしかに、ブルーオーシャンであればうまみがある、と見越して船を出すのは早計というものだろう。その海域が清められているのは、誰も寄せつけないほど危険だからなのかもしれない。


 しかし、自然がいくら神秘的とはいえ、人間の開拓精神はとどまることを知らないというのもまた事実だ。先端技術に詳しい企業の調査によって、そこで豊富な資源が得られそうなのはすでにわかっている。私が賞金目当てでないことには同意できなくても、この点は同意されよう。実際、経済において有力な人々の多くがこの点に同意している。具体的にはMetaに社名を変更したFacebook、来年にもARグラスを市場に送り出すとされているAppleなどがそうだ(もうひとつ挙げたいものがあるのだが、それは前述した事情と関連しているので触れるのはもう少し先になる)。


 ほかの理由も考えてみよう。次に大きな要素は、MRがその性質上、他に類を見ないほど強力な宣伝能力を発揮するから、というものである。ARあるいはMRディスプレイが何らかの形で実用化され、普及したとしよう。消費者にはどのような影響があるだろうか。起きてから寝るまで常に画面が目の前にあることになり、その継続時間はテレビやスマートフォンの比ではない。場合によっては文字どおり目を閉じていない時間すべてになってしまうことさえあり得る。広告主やメッセージの発信者にとって、その間はいつでも、宣伝やプロパガンダをキーパーのいないゴールに叩き込むチャンスというわけだ。しかも、そのメリットに対して維持コストは比較的低い。デバイスの供給には多大なる初期投資が必要だろうが、シェアを確立できるのなら見通しは明るい。そのうえ新世界の発見者との名誉ある称号もついてくるとなれば、それはもう参入待ったなしである。


 維持コストの低さについて触れたがもちろん相対的なもので、そのハードウェアやソフトウェア、アプリケーションなどの品質にもよるだろう。しかし、ことコンテンツに関していえば、MRには品質によらずとも新たな価値の創出が容易な傾向がある。MRと相性の良い観光業を例に考えてみよう。


 メタバースなどですでに実現しつつあるが、実際にその場に行かなくても旅行を仮想体験することが可能であり、逆に「その場に行って仮想世界を現実のように体験すること」も可能だ。少々ややこしくなるが、実現し得るのは四つのパターンである。「目的地が実在する/しない」「実際にその場へ行く/行かない」の組み合わせで分かれ、以下のようになる。


 ① 目的地は実在する・実際にその場へ行く

 ② 目的地は実在する・実際にその場へ行かない

 ③ 目的地は実在しない・実際にその場へ行く

 ④ 目的地は実在しない・実際にその場へ行かない


 ①②はわかるが③④は何を言っているのかわからない、と思われるのは承知の上である。あせらず説明をお待ちいただきたい。わかりやすくするため、実在する目的地は「東京スカイツリー」、実在しない目的地は「エアリアルプリズム」と仮定する。この仮定で、なんとなく何を言っているのかお分かりになるかもしれない。


 ①は普通の観光旅行のように見える。まさしくそのとおりだ。しかし、ここにもMRのつけ入る隙はある。現在でもプロジェクションマッピングなどで観光資源に付加価値を与えられはするものの、たいていは大規模な装置や機材が必要になる。ところが、スマートグラスを利用したMRならより簡単に幅広く価値を「拡張」することができるのだ。どのようにかというのは②にも関係してくる。


 ②は、前述のとおりメタバースなどで仮想世界上にある実在の場所を旅行するパターン。メタバース内でアバターを操作して仮想の東京スカイツリーに行くことなどを意味する。これは仮想世界のCGをデザインする必要があるが、写真や動画をもとにすれば制作のコストはそれなりに抑えられるだろう。それに現実の風景は現実が最も美しいというのは大前提なので、ご当地を貶めない程度のクオリティであれば問題はない。その場所についてある程度の知識があれば、盛り上げる演出のアイディアも自然と湧いてくることだろう。例えば浅草なら、雷門や風神雷神像が動いたり光ったりするだけでもそれなりに見栄えがするはずだ。もちろん、すぐに飽きられてしまわないようにするのは大変かもしれない。


 ③は一見して日本語が破綻しているようだが、その意味はこうだ。「実在しない目的地」とは「仮想世界にしかない場所」のことである。ここで先ほどの仮定が役に立つ。要するに、実在しないエアリアルプリズムのような場所に行くことを指す。旅行者をどのようにして実在しない場所へ実際に行った気にさせるかは発想力が問われるところだが、技術的に難しすぎるということはない。必然的に仮想空間の長所を生かす方向性になるため、むしろ簡単だといえる。


 エアリアルプリズムを例にすると、そこは現実の場所ではないので、実際のどんな場所でも「ここがエアリアルプリズムだ」ということにできてしまう。作中では東京スカイツリー内部がエアリアルプリズムとなっていたが、なにも高い場所代を払ってそんな場所を貸切る必要はない。MRでCGを見せてしまえば、どこかそれなりの広さがある場所なら屋内外を問わずどこだって簡単にエアリアルプリズムと化す。現実感を出すために内装が必要なら、最悪ダンボールか発泡スチロールか何かの安上がりな素材ではりぼてを作ってしまえばいいのだ。実に経済的かつエコロジーなエンターテインメントではないだろうか。


 それに、現実に存在しない場所に行ける、というのはかなり夢のある話にも聞こえる。映画やアニメの作品の舞台であれなんであれ、空間モデルを作るだけでどこにでも行った気になれるとくれば、よほどの失敗をしないかぎり人気が集まるのは必至だ。そのようにして実際に訪れる場所は、さっき述べたとおり別に由緒ある土地でなくてもかまわない。いわゆる「聖地巡礼」と同じく、重要なのはその人にとって行く価値があるかどうかだ。


 ここで④も関わってくる。これはどちらかというとVR的な用法になるだろう。③で作ったはりぼてがある場所へ実際には行かず、仮想空間でエアリアルプリズム内を体験するという類のものだ。作中では一飛などのバーチャル参加がこれにあたる。


 観光業でのMR利用における四つのパターンを挙げてみたが、これだけでも相当な付加価値となるのは想像に難くないだろう。しかし、これはまだ土台のタルトにすぎない。そこに乗せるスイーツ次第で可能性は無限大だ。『ホロ暮らし』以外からの例となるが、実在のARゲームが発展した場合のことを想像してみてほしい。好きなところにレアなモンスターを一体置いてみるだけで、一時話題となったあの現象を再現するのは造作もないだろう。以前と違うのは、その場にいる人々以外にも、世界中からメタバース上のその座標に無数のアバターが集まっていることだ。リアルでもバーチャルでも、人が動けばお金も動く。では人を動かすのは? そう。宣伝なのだ。なんとうまくできたシステムだろうか。「見させる」ことは力なのである。


 お気づきのとおり、この項は「なぜ今MRなのか?」であって「なぜMRは儲かるのか?」ではない。私が言いたいのは企業の戦略研究係が十数年以上も前から上司の鼓膜を振動させているようなことではなく、その事実が意味するものである。つまり、新世界開拓には責任がつきものということだ。


 言うまでもなく、人は開拓者と呼ばれるか征服者と呼ばれるかを選ぶことができる。それは多様性や持続可能性が叫ばれるようになる前からも、これからも変わらない。MRという青い海に立ち入るなら、その美しさを守ることにも注意を払う必要があるだろう。私は誰かが立ち入る前にその点を指摘しておきたかった。それが今、私がMRについて語る理由であり、MRを題材にした小説を書いた理由だ。


 『ホロ暮らし』本編を読了された方なら、私が今の段落に込めたメッセージをお分かりいただけると思う。作中では、スマートグラスやレンズが実用化され普及に至っている世界が描かれている。その世界では、人々は現実をうまく認識できないでいる。「いつも目の前に仮想現実があるから」ではない。「仮想と現実はすでに複合しているから」だ。EODのゲーム内世界「ホロス」と同様、ふたつの世界は合体している。仮想世界はもう現実世界の一部となっているのである。


 なぜ今MRなのか? という問いについて、私にはもうひとつの回答がある。それは「MRは人の現実認識に大きな影響を与えるから」である。このことは私がMRを題材にした小説を書いたもうひとつの理由でもある。作品によってこの問題に取り組みたかったのだ。具体的にどのような問題なのかについては、次の項でまとめることにしよう。



 Ⅱ 現実認識の危機 ―― 私がMR小説『ホロ暮らし』を書いた理由


 物事には様々な面がある。同じものでも人によっていろんな見方がある。何をどのように見るかは自由だ。人はみなその権利を持って生まれてくる。しかし権利の行使には責任が伴う。責任なしの自由は自由なしの責任よりもよほど魅力的だ。が、扱いには気をつけなければならない。自分や周りの人を不幸にしてしまうかもしれないからだ。


 私の著作『ホロ暮らし』は、文学的テーマを抽出するとだいたいこんな内容になる。なぜこのような内容で書いたのかという理由を上で書いたが、やはりその理由にも様々な面がある。ここでは主要な二つの面を取り上げたい。


 ひとつは、MRが視聴覚の自由を拡張する技術であること。人は自由を好んでも責任は好まない傾向がある。現状、MRデバイスを開発する組織は、新たな媒体で提供される未来のコンテンツとして、主に医療・公益事業などにおける技術継承などのシステムなどを挙げている。まさしく画期的な技術で実現すべき進歩的分野だ。とはいえ、そういったものを強調しているのは、世間体を気にする株主への配慮という面が大きいのではないかと私は推測する。それらは事業全体からすればごく一部になるだろう。さっき私が観光業あるいは娯楽産業を例に話したのはその点に基づいている。野心的な企業にとっては、公共事業で束縛を感じるよりも、大衆からの支持と利益を得るほうに興味があるだろう。スマートフォンが普及していった時期のように、人々は気づけばいつの間にかMRデバイスを身に着けており、拡張された自由を手にしている。しかし、責任を自覚し果たす人がどれほどいるだろうか?


 MRは目の前にある世界を変更する。何をどのように見るかは自由だ。見たいものだけを見、見たくないものは見ないという選択が容易にできる。具体的には、CGでマスキングした世界は異世界風にしてもいいし、あらゆる人間を自分好みの容姿にしてもいい。それがどんな格好をしているかも本人のモラル次第だ。ご想像のとおり、自由をこのように行使すればその人の考え方に多大な影響が及ぶことは疑いようがない。従来のディスプレイで行うゲームでの体験が精神に悪影響を与え得るのであれば、ましてVR・MRでの強い現実感を伴う場合はどうなるのだろうか。そういう選り好み重視のライフスタイルが社会に与える影響はいかほどであろう。


 この危惧を、私はMRにおける現実認識の危機と呼ぶ。複合した世界における現実認識は、複合以前よりも複雑で、困難なものになる。人々はよりいっそう、目の前にあるものをありのままに受け止める力を必要とするはずだ。そして、それがどんなものであれ乗り越えていかなくてはならない。これを私は『ホロ暮らし』で指摘し、私なりに解決策を示した。読まれた方はヒロインであるしえるによるテーマの体現を思い起こされることだろう。


 しえるは複合世界における現実認識の重要性に気づき、危機を乗り越えるべく戦ったことで、自分と周囲を救うに至った。架空の存在である彼女は、自らがMRゲームに引き込んだメンバーへの責任を果たし、彼らを助けた。現実の存在であるMRの供給者にも、その責任を果たすことが期待される。MRを儲かるだけの道具と見るとしたら、その現実認識はすでに危機へ足を踏み入れていると私は思う。


 理由の第二の面は、単純に私の創作上の嗜好である。私がサイトに投稿している小説をすべて読んだ方はおられないと思うのでここで「ご存じのとおり」と言えないのは残念だが、私は作品のテーマとしてよく「空想と現実」というものを取り入れる傾向があるようだ。過去の作品には、行き過ぎた期待と失望、真の希望の発見、現実逃避や向き合うべき現実などといった要素が根底にある。このような内面の投影にはしばらく前から自覚があるし、それなりに自負もある。だからこそ、そのような私には、このテーマでいち早く小説を書きあげなければという使命感があったのだ。結果、今のところ私は、本来の意味でのMRを題材にして日本語で書かれ公表された完結済みの長編小説の存在を、自分の作品以外に知らないでいることができている。


 以上の二点が、『ホロ暮らし』執筆に要したポエジーの大半である。ところで、小説を書く人間に対して皆様はこのように言いたいのではないだろうか。「作品のテーマや執筆の動機などは作品内で消化すべきであり、あとがきやまして論文などという形で提出するというのは言語道断である」。これはごもっともな指摘だ。寛大な皆様におかれては、私がこれから重ねる言い訳を許してくださることと思う。



 Ⅲ フィクションの題材としてのMR・その可能性


 さて、ここへきてようやく冒頭の事情を説明する段となる。その事情とはそれこそ「ご存じのとおり」、先日行われた有名作家によるMRMMO小説の発表である。これは私にとって、驚かされる以外にどのような影響があっただろうか(修辞的質問で引っ張るほどのことではないような気もするが、この文章をここまでお読みの方は多少なりとも私に興味を持ってくださっていると思いたい)。


 当然ご存じないと思うが、私は『ホロ暮らし』を今回の第29回電撃大賞に応募している。そして、そのMRMMO小説の存在が世間に明らかにされたのは、賞の結果が発表されたすぐ後のことだった。私はこれが自作の落選と関係があると言いたいわけではない。私の作品と落選との間には、ただ私の実力不足という問題だけが無関心そうな顔で横たわっているにすぎない。私が執筆したのは現実認識の物語だ。喜んで、または悲しんでその責任を果たそう。


 現実として、この世界は「MRMMO小説が発表された」世界に変更されてしまった。もはや以前の世界に戻り得ない以上、今後『ホロ暮らし』がMRMMO小説としての新規性で評価されることはけっしてない。これは本当に残念なことではあるが、ご存じのとおり、ピンチとチャンスは複合している。評価対象外の作品にしかできないこともある。だからこそ、著者が内容や背景を論文として活用するという、禁忌の向こう側にある新世界に漕ぎ出せるというわけだ。


 私にとって、この結末は『ホロ暮らし』の物語のラストとミックスされる。私はすべてを失って初めて「最強の武器」を手にした芽緒のようではないだろうか。あるいは、復讐を過ちと悟ったやめぐらに、現実と向き合い始めたひかりに、夢を探し続けるしえるにも似ている。まさしく彼らは、「みんなそろって」私の「全部」だ。私は架空の世界の彼らに最高のハッピーエンドを用意したつもりだ。現実の私という物語の先のページに待ち受けているものが何かはわからない。しかし、「前に進みたい」。私以外の「全部」がその大切さを教えてくれたのだから。


 幾分、論文に似つかわしくない感傷的な文になりすぎてしまった。話を戻そう。ここまで私はMRのネガティブな面ばかり目立たせていたが、ポジティブな面を隠しているわけではない。むしろ私が願っているのは、その面の七色の輝きがいっそう明らかになることである。作中ではMRを「夢の世界」と表現した。夢は夢幻、すなわち無限の可能性を示唆する。実際のMRにはそれがあるだろう。では、MRを題材にしたフィクションにおいてはどうか。


 現時点で、MRを題材にした作品はほとんど存在しない。小説投稿サイトでこれに類するものも一部の例外を除いて未完に留まっている。この事実は、MRは描くに値しないつまらない題材ということの証拠だろうか。否、それは事実の一部分であって、全体ではない。どんな題材も作家の想像力次第で面白くなり得る。何の変哲もないかくはん器も、ミックスアップすれば立派な武器になる。そこで問われるのはEPL―エトス・パトス・ロゴス―これら説得の三要素なのである。このたびMRMMOを発表された件の有名作家にそれが備わっているであろうことは、私が言及するまでもなさそうだ。


 夢は「どんな形にもなれる」。私の場合はそこに「現実認識」を見た。MRは厳密にはホログラフィーではないが、その頭の語「holo」には「全体の」という意味がある。赤ぴよの言う「みんなそろって全部」というわけだ。さまざまな作家がさまざまにMRを見、作品を作るだろう。私はその一部になれたことをうれしく思う。


 私と同じく、MRは前に進み続ける。しかし、それだけが進むのではない。『ホロ暮らし』というタイトルにはそのような意味を込めている。「グラフィー」と「暮らし」はダジャレ的にミックスされている。MRと人々の生活は複合し、ひとまとまりの全体となっていくはずだ。私はそのさまを見届けていきたい。皆様もそう思われないだろうか。


 それでは、良き「ホロ暮らし」を!


(以上)

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