19.大切な存在
「全員、皇女殿下をお守りしろ!!!」
一瞬の躊躇いが命取りになる。幾度も戦場に立ったことのあるカルガーのその一声に、全員が戦闘態勢に入りルティシアの周りを囲む。
狼の爪とウィリアムの剣の力比べだ。2メートルにも及ぶその大きな体は、目撃情報よりも遥かに大きく恐ろしい。ただの猛獣ではないのは確かだ。
しかしカルガーとウィリアムは狼の目に違和感を覚えた。その金色の瞳からはなぜか敵意を感じない。襲いかかってはいたが、殺気は全く感じなかった。
「くっ……氷魔法、アイスブレイク!」
ウィリアムの詠唱と同時に地面を突き破るように氷が出てきた。咄嗟に後ろへ飛び退き交わした狼。
しかしそれでも、彼の目からは敵意を感じなかった。
それでも一瞬たりとも油断してはいけない。この場には皇女もいる。何かあっては命を持っても償えきれない。
「ルティシア様っ!?」
ウィリアムとカルガーが狼と対峙していると、二人の間を小さな影が横切った。後ろから侍女の悲鳴と騎士達の動揺が聞こえる。
2人は、狼を守るように両手を広げ、立ちはばかる皇女の姿に目を疑った。
「なっ、皇女殿下!?」
「危険です、すぐにお戻りくださいっ!!」
いやいや、と首を横に振るルティシアは1歩も退く気配はなかった。
「この子は敵ではありません!お願いです、剣を下ろしてください!」
一体どういうことだと戸惑う騎士たち。猛獣は基本、己に背を向けている者を襲うが、狼はルティシアの後ろから淡々とその様子を眺めているだけで、動く気配はなかった。
敵意も感じず、皇女の言う通り敵では無いのかもしれない。しかし、2メートルにも及ぶ狼を目の前に、安全性の確認もきっちり取れず、剣を下ろす訳にはいかない。
「皇女殿下、一体どういうことでしょうか!この狼をご存知で…?」
カルガーの問いかけにルティシアは口を噤んだ。
だって、自分の知っているルークの狼姿は真っ白な毛並みだった。しかし、自分の後ろにいる彼は真っ黒な毛並み。ルークの方は体もここまで大きくなく、せいぜい自分と同じくらいだった。
だが、何年も一緒にいれば嫌でもわかる。彼がルークで間違いないと。ルティシアは両手を下ろせば、踵を返し狼の方へと歩んだ。
誰もが息を飲むその光景。
ルティシアは狼の目の前まで来ると、そっと両手を広げた。
「ルーク……あなた、ですよね?」
そう、震える声で微笑む。狼は数秒、ルティシアを見つめると、その大きな頭を預けるようにルティシアの両手に擦り寄せた。
騎士達の驚く声が止まない。戦闘態勢はもはや取っていなかった。大きな猛獣を飼い慣らす皇女の絵面。カルガーとウィリアムも剣を下ろした。しかし、鞘にはまだ仕舞わなかった。
_______ルティー、心配かけてごめんね。
3日ぶりに聞いたその声は、まるで道に迷った幼子のようにか細く、消えそうだった。
ルティシアは緩みそうになる涙腺を抑えきれず、ポロポロと涙を流した。
「無事でよかったです…本当に、心配したんですからね。」
大きな頭を優しく撫で、抱きしめるルティシア。彼らの目に映るのはもはや猛獣ではない。ただの、飼い主を見つけて安心しきった子犬のように見えた。
また更にぎゅっとルークを抱きしめると、ルティシアは一度彼から離れ、カルガー達の方に向き直った。
「お騒がせして申し訳ございません。この子は…その、昔拾ってきて」
「……ひ、拾ってきた……ですか?」
驚くのも無理はない。だって、つまりは何年もの間、皇女がこの皇宮に全員に内緒で狼を飼っていたということになる。
にしてもなぜ今までバレなかったのか。特にアンナは理解不能だった。自分はルティシアが2歳の時から付きっきりでお仕えしているにも関わらず、狼の存在に気づくことなんてなかった。ルティシアがどこか様子のおかしい行動を取っていた記憶もない。
「…申し訳ございません。その、お父様たちにも」
「ルティー!!」
家族にも言っていなかった。そう伝えようとした時、その家族である皇帝達がまさに今駆け寄ってきた。
騎士たちは全員その場に跪き、ルティシアはルークを守るように両手を広げた。
「ルティー、これは一体どういうことだっ」
アスレイはルティシアが狼を守るその姿に戸惑いながらも、問いかけた。
ぁ、と言葉にしようとするが、一瞬怯えてしまう。
皇女に相応しくない行動を取ってしまった。皇宮に混乱を招いてしまった。彼らに、嫌われるのではないかと、心のどこかで怯えている自分がいる。
「…ルティー」
エドリックが名前を呼んでくれる。いつもと変わらず、優しい声で。
少しずつ顔を上げれば、見ないようにしていた彼らの表情がようやく見えた。
怒ってもいない。軽蔑してもいない。彼らはただ、心配をしてくれている。何を言っても、きっと信じてくれる。愛のこもった彼らの眼差しに、ルティーは再び泣きそうになる。
「ルークは、私の大切な友達です…ちゃんとお話しますので……ルークのことは、その…」
______ルティー、大丈夫だよぉ。
ルークの声にルティシアは振り返った。ペロッと優しく顔を舐められると、ルークの姿は眩しい光を放ち、次の瞬間大型犬サイズの狼に変わった。
「…こ、これは、まさか…」
アスレイの驚愕する声が響く。しかしルティシアも始めてみるルークの変身に少し戸惑った。
______僕のこと、ルティーに全部教えてあげる。そしたら、他の人達にも教えていいよ。だって、そうすればルティーとずっと一緒にいれるでしょうー?
ルティシアが悩んでいた理由を察していたルーク。
ルティシアは迷っていた。自分もルークの正体を知らなかった。ただ、生まれて間もなくしてからずっとそばに居た大切な友達と、それだけ。
どこまでアスレイ達に伝えていいのか、ルークが嫌な思いしたらどうしようか、と思い悩んでいたことはルークには全てお見通しだった。
「…ルークっ」
(ありがとう)
(私もずっと一緒にいたい)
(ルークのことは私が守る。)
そう心の中から伝えれば、ルークは嬉しそうにルティシアに擦り寄った。
「…まさか貴方は…聖獣…ですか?」
アスレイの一言に、周りがざわつく。
聖獣、という聞きなれない単語にルティシアは戸惑いながらアスレイとルークを交互に見た。




