11. 逃走
アルゼン王国という単語を耳にした瞬間、透明な鎖に心臓が締め付けられた感覚がしました。呼吸の仕方さえ忘れる、幼子のように。
ああ、いくら生まれ変わっても、あの国との縁は切れないのでしょうか。もしこのままあの国に連れていかれてしまえば………っ
「ルティ、やっぱり顔色悪い気がする…本当に大丈夫…?」
「!ご、ごめんなさい。大丈夫です、少し考え事をしていただけです。」
「ならいいけど…」
今はそんな事を考えている場合ではありませんでした。一刻も早く、ルカ様とともに逃げる方法を探さなければいけません。
馬車は相変わらず走り続けていますが、万が一ここで飛び降りたら、怪我を負うだけでなく足音などでバレる未来しか見えません。
さて、どうしたものでしょう…
「ルティ、このまま馬車から逃げきれても森は魔物も潜んでいるし危険がある。でも、多分今のうちに降りないと、逃げるタイミングはもうないかもしれない」
外にいる誘拐犯に聞かれないために、ルカ様はそっと私の耳に顔を寄せました。黒い髪の毛が頬にかかり、少しだけ擽ったいです。
「馬車が走った時間から考えるに、もう少しで国境に着くと思う。馬車は恐らく変えられるし、僕たちを見張る人も増えるかもしれない。まだ帝国内にいるうちに逃げた方がいいと思う。」
「ルカ様の言う通りですね。私もそれに賛成です。
(今頃、皇宮は大騒ぎでしょう。迷惑かけて申し訳ございませんが、今はお兄様達が早くここを見つけていただけることを祈って…)」
馬車から降りる方法としては、一つだけならあります。音を立てずに降りる方法が…。
「ルカ様、馬車から降りるのは私におまかせください。」
「どうするの?」
「私は風魔法をつかいます。風にはこんでもらいましょう。どうか、手をはなさないでくださいね。」
そう伝えると、ルカ様はぎゅっと繋いだ手に僅かに力を込めてくれました。
魔力はお兄様達と比べたら多くは無い方ですが、コントロールには長けているはずです。
集中して自身の風魔法を自分達の見に纏えば、ふわっと持ち上げられた感覚が生まれました。
静かに、音を立てることなく、私が起こした風は私たちを馬車から離れた所へ運んだくれました。
ガタンゴトンと、お目当てが居なくなったことに気づくことなく、馬車はどんどんと遠ざかっていき、次第に見えなくなっていきました。
「…いき、ましたね。」
なんとかルカ様と一緒に馬車から逃げることができて、一安心です。ですが魔力がだいぶ削られましたね…こんな使い方初めてなので、余計神経を使ってしまったのかもしれません。
そう考えていたら、ぎゅっと両手をルカ様に包まれました。思わず顔を上げると、ルカ様の目は輝いていました。
「ルティは風魔法が使えるんだね!まだ幼いのにこんなに細かくコントロールできるなんて凄いな…おかげで無事馬車から降りれたよ。本当にありがとうっ」
誘拐にも動じない落ち着いた態度に大人びた雰囲気の印象だったのが、たった今、好奇心旺盛な年相応な少年の顔に変わりました。
可愛らしい、と思ってしまった私をどうか許してください。ふふ。
「ふふ、ありがとうございます。ルカ様、とりあえず今は早くこの場をはなれましょう。いつ、私たちがいないことに気づいて戻ってくるかわかりません。」
「あ、そ、そうだね!ルティの言う通りそうしよう。」
我に返ったのか、ルカ様は気を取り直すように咳払いをしました。エドリックお兄様よりも少し下に見えますが、そういえば、お幾つなのでしょうか?
今は聞くタイミングではありませんよね。無事逃げきれてから、もう少し彼のことをお聞きできたらと思います。
「ルティ、ちょっと失礼するよ。」
何をされるのだろうかと見上げれば、次の瞬間ルカ様によって抱えられました。……え!?
「レディにこんな夜道を歩かせる訳にはいかないからこれで我慢して。疲れてると思うし力抜いていいからね。」
もしかして、私がさっきので消耗しているのに気づいて……
「ですがルカ様もお怪我が…」
「こんなのどうってことないよ。レディ前ではかっこいい姿でいたいんだ。いいかな?」
この方は…ふふ。お兄様達に並ぶ紳士ですね。
お願いされたら、断るのはレディとして失礼です。怪我の方は少し心配ですが、ここは彼のお言葉に甘えるのがいいでしょう。
「はい。ルカ様、少しおもたいので申し訳ございませんが、よろしくお願いします。」
「軽くて飛んでいってしまわないか心配するくらいだよ。ちゃんと捕まってね」
どうやらルカ様は口もお上手な紳士のようです。
なぜでしょう、普段の自分ならきっと初対面の方に対してここまで気を許すことはないのですが、この安心する居心地に思わず甘えたくなりました。
誘拐、という異常な事態にあるからでしょうか。
微かに漂うムスクの甘い香りは、ルカ様にぴったりだなと、場に合わぬことを考えてしまいました。




