序章-3 旅立ちの船
鈍行列車による数回の乗り換えを経た私は、港町に到着しようとしていた。乗車時間が長すぎるあまり、半分くらい寝てしまって身体の節々が痛い。乗り換えの時以外にもなるべく体を動かした方が良さそうだ。
終点は海岸沿いに接していた。ホームは潮風に包まれ、眼前には水平線が広がっている。列車はここでおしまい。次はフェリーに乗り換える。
フェリー乗り場の建物は、駅からも見えた。歩いてすぐだろう。早速、乗船の予約手続きをした。
次の出航まであと1時間ほどある。その間に昼食を済ませておこう。
フェリー乗り場受付の横には2階へと続く階段があり、上がるとそこは大衆食堂になっていた。昔家族で帰省した時に何度か食事をした覚えがある。そこは相変わらず地元の人で賑わいをもたらしていた。
メニューはもちろん海鮮ものがメインだ。そう、このマグロづくし丼をいつも食べていた。懐かしい。今みると結構いい値段しているな。少し迷ったが、懐かしのマグロづくし丼を注文した。
やはり昔から変わらないここのどんぶりだ。4種のマグロに囲まれ、センターに山形をしたわさびが鎮座している。
大きなどんぶりに漬けマグロ、中落ち、赤身、中トロが贅沢に盛られている。今見ても量が多い。あれ、昔このどんぶりを1人で食べてたんだっけ。いやそれはおかしい。今でも食べ切れるか怪しいのに。
誰かと一緒に食べていたはずなのだが、それが思い出せない。妹でも母でもない誰かと一緒に、マグロたちを半分ずつ分けて仲良く食べていた記憶が目の前のどんぶりと交わる。このわさびどうするの、っていつも困っていたはずだ。
でも昔食べたマグロ丼と変わらぬ美味しさだ。味はよく覚えていた。漬けマグロのしっかりした味付けでご飯が進む。中落ちと赤身のさっぱりした後味と、口の中でとろける中トロの贅沢感がコラボして、お箸が止まらなくなる。
気づけばこの大盛どんぶりを平らげていた。ごちそうさまでした。あまりのおいしさに忘れていたけど、ここのカウンターからは海がよく見えるんだよね。窓からは、フェリーが港に到着して続々と人が降りている様子が見えた。
ここの定期船は車を輸送できるカーフェリーで1日に数便だけ出航している。乗客は少ないが、島の大事な物流拠点でもある。
チケットを渡し、フェリーに乗り込む。私が買ったのは一番安い二等客室だ。広い絨毯のスペースに靴を脱いで入り、リラックスできるようになっている。周りにはトラック運転手らしき人が数人、そして私と同じように夏休みに突入した大学生と思われる数人のメンバーが2組乗船している。
家族で帰省するときはこの二等席でずっとくつろいでいた。ご飯を食べて、ちょっとおしゃべりすると眠くなってくるから、よく雑魚寝をしていたなあ。でも今回は私一人旅だし、この部屋以外も歩き回ってこよう。
定刻、出航の時間になり館内アナウンスが流れる。出港したことを告げるお決まりの銅鑼の音が船内に響きわたる。手打ち銅鑼の短くてシンプルな演奏だが、どんな意図が込められているのだろうか。
船は少し進んでから湾内を回転し、航路へと旅だった。船内の揺れも収まったし、早速飲み物でも買いに行くか。
エントランスホールにある売店でお目当てのビン牛乳を買った。島にはご当地乳業メーカーがあって、島内で生産した美味しい乳製品が船内にも並んでいるのだ。コーヒー牛乳が一番人気らしい。甘くて香りもよくて美味しいもんね。
ビン牛乳を片手にバルコニーに出る。日差しは強いけど海風が心地よい。パラソルの中に入ってしまえば大丈夫だろう。
パラソルの下のベンチに座り、汗をかいたビン牛乳を飲む。今日は雲一つない快晴だ。無限に広がる青い空と青い海でできた単純な景色から水平線を捉える。なんて広大な世界なんだろう。普段生きている世界があまりにも狭いことに気づき、もう一度青空を見上げる。傘に半分邪魔された。傘も空も同じ青色だったけど、私には全く違って見えた。
さて、この景色も名残惜しいが、喉が渇いてきた。そろそろ移動しよう。さっきの売店に向かい今度はコーヒー牛乳を手に入れた。そのビンを片手に、次はどこに向かおう。
大学生のグループがバルコニーに出ようとしている。船側のベンチも人が増えてきている。私はその横を通過して船尾まで足を延ばすことにした。
船尾にはベンチがなかったから、手すりにつかまり船から乗り出すように海を眺めてみる。目の前にはこの船がたどった軌跡が描かれていて、もう港が見えないところまで来ていたことが分かった。フェリーだから人が全力で走る速さ程度かと思うけど、時間はあっという間に過ぎていく。もう、船旅は後半戦を迎えていた。
フェリーは一定の速度で進み続けている。私が景色を眺めて放心している間も、着実に前に進んでいる。軌跡はまるで砂時計のように、時間経過をはっきりと目に見えるものとして私に伝えてくる。この船でどんなにのんびり過ごしていてもいずれば到着するのだ。人生も、ぼーっと生きていようがいずれは終着駅につくのだろう。永遠に思える時間も過ぎてしまえばあっという間だ。私の人生という船旅はどうなるのだろうか。義務教育という補助輪が外れた今、船長の私はどのように舵を取るべきなのか。それを考えるのが大人になるということなのかもしれない。