彼女とメガネのおにいさん3
アズーロという名の騎士の目星は、案外すぐに付いた。
宰相閣下の下で見習いとして、主に雑用からではあるが細々とした仕事をするようになってすぐ、月に一度の重役会議の資料を準備している時だった。
騎士団からの報告書に、『カイル・アズーロ』という名を見つけたのだ。
報告書の内容は、『花の祭礼』の期間中に起きた城下での小競り合いや犯罪の取り締まり内容を取りまとめたもので、その資料の作成者の一人が、カイル・アズーロだった。
少し癖のある、だが読みにくさは感じないその筆致と文体からは、真面目そうな印象を受ける。
「ヘリオス。カイル・アズーロがどうかしたか」
その声にはっとして顔を上げると、重厚な執務机に肘をついた宰相閣下が、怪訝そうな表情でこちらを窺っていた。
閣下だけでなく、彼の秘書官もこちらを見つめていた。
どうやら、無意識にカイル・アズーロの名を呟いていたらしい。
「失礼いたしました。何でもありません」
「そうは見えんが。アズーロに何か気になることでも?」
現在四十歳となる宰相閣下は、若い頃からその優秀さで当時の王太子、現国王の側近に付き、現在もこの黒狼国の政治を担っている。
彼がその地位にあるのは、驚くべき情報収集能力にあるというのは有名な話である。
実は国内だけでなく、大陸中に手下を置いているという噂まであるほどだ。その真偽は定かではないが、意外と真実ではないかとヘリオスは思っている。
そんな「知りたがりの」宰相閣下が、気にかかったことをそのまま放置するはずもない。
計らずもその興味を引いてしまったまだ若輩のヘリオスに、彼の追求を逃れる術はない。
「いえ、恋祭りの日に、父が知り合ったという少女の名がアズーロだと聞いたので、関係があるのかと」
「ほう、ロベイン伯が?」
宰相閣下の瞳が輝いた。どうやら更に関心を持たれたらしい。
少し躊躇したが、下手に誤魔化すよりは、この情報通のお方を味方につけたほうが、気にかかっていることに辿り着き易いと判断する。
「どうやら、花屋で落としたカフスをたまたま居合わせた幼い少女が届けてくれたようです。ですが少女は自力で花屋に戻れず、結局父が送って行ったと」
「その少女の名がアズーロか」
「ええ。もし会うことがあれば、改めて私からもお礼をと思っていたのです。カフスは父が母からもらったもので、大層気に入っているものでしたから」
これは本当の話だ。
まだ若い頃に、母が父に贈ったらしい。厳格だが妻一筋の父にとっては、今も大切なものだという。
「ロベイン伯は愛妻家だからな。…ふうん。カイル・アズーロには確かに娘がいる。随分話題になったからな。なあ?」
宰相閣下は椅子の背もたれに体を預け、長い足を組むと意味ありげに秘書官へ目配せする。
秘書官は、苦々しげな表情で閣下に視線を返した。
「閣下、そのような物言いは悪趣味ですよ」
「ああすまん。別に私は彼に何の偏見もないよ。むしろ潔いとすら感じるね」
「…あの、話が見えないのですが。アズーロという騎士には何か問題が?」
含みのあるそのやり取りに、宰相閣下はふむ、と声を漏らす。
「一部では確かに問題だと言われたが、騎士団トップである元帥閣下が黙らせた。アズーロは第三騎士団第五席、非常に優秀な騎士だ。失うのは痛い。騎士団と上層部の間では有名な話だよ」
「…元帥閣下が出張るほどの案件ですか」
「徒に噂を広めないと約束できるか? まあヘリオスなら問題はないだろうが」
「もちろんです」
閣下はヘリオスと視線を合わせた。
「カイル・アズーロは半年ほど前、田舎の救貧院から子どもを一人引き取った。本人曰く、間違いなく血の繋がった娘で、騎士団寮で共に生活することを許してほしいと。
未婚の状態で実の娘がいるというのは、世間的に褒められたものではないだろう? 貴族はもちろん、平民でもだ。その上、母親の素性は明らかにされないとなれば、尚更だ」
ヘリオスは息を飲んだ。
救貧院にいた子ども。アーヴィン曰く五、六歳の少女だという。
自分が引き取られたのは五年前。
その頃から、父はある救貧院に毎年多額の寄付を行っている。自分の領地でもない、田舎の救貧院にだ。
先日の父の墓参り。
あの墓地は、その救貧院から遠くない。
察しの良いヘリオスは気づいてしまった。薄々、感じていた可能性ではあったのだ。
「…ヘリオス、どうした顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「え」
気がつくと、左手のひらで口元を抑えていた。
冷や汗が背中を伝うのを感じる。
自分がこれほど動揺するとは思わなかった。
「申し訳、ありません。少し失礼します」
「おい」
閣下の静止の声を振り切って、執務室を飛び出した。
こんな態度をとっては、何かあると言っているようなものだ。あの察しの良すぎる宰相閣下にそんな隙を見せてしまったという後悔と、今し方推測した内容で混乱している。
この推測は、恐らく正しい。
勘当されたリーナ・ロベイン。
ヘリオスが養子に入った五年前、義父は何の関係もないはずの救貧院へと寄付を行うようになった。
カイル・アズーロが娘を引き取ったという救貧院は、きっと義父が援助しているところだ。
そして恋祭りでその娘、リル・アズーロと会ってから様子のおかしかった義父。
リーナは父親の分からない子を孕み勘当され、娘を産んで儚くなった。
娘は救貧院で育てられることになり、義父が援助をした。
半年前、恐らくはリーナの相手であったカイル・アズーロがリーナの死と娘の存在を知り、引き取った。
ならばリル・アズーロは、ロベイン伯爵家の正当な後継者だ。
ヘリオスは、自分の存在意義が揺らぐのを感じる。
だがそれ以上に、敬愛していたリーナの娘に、後継者の立場を返さなければという焦りが、ヘリオスの中に渦巻いた。




