彼女と紳士2
「よかったぁ、みつかって! これおじさんのでしょ?」
顔を真っ赤にした少女が見せた手のひらには、赤いカフスボタン。
確かに紳士のものだった。
しかし紳士は反応を返さない。なぜか固まって少女を凝視し、少女はきょとんとした顔をして首を傾げた。
「あ、あー! 確かに旦那様のものですね、お嬢ちゃんありがとう! ほら旦那様!」
「あ、ああ」
若いが気遣いの出来る侍従に促され、ようやく我に返った紳士は少女の小さな手のひらからカフスボタンを摘まんだ。
「…ありがとう、お嬢さん。君は花屋の子か?」
低い声でそう問われ、少女はぶんぶんと首を振る。横に。
「ちがうよ!」
「えっ、えっと、じゃあ大人の人は? 近くにいるの?」
花屋を出て、すでに大人の足で数分歩いており、大分離れている。ましてこの人混みの中、少女くらいの年齢の子が一人で歩いているというのはあまりない。
侍従がちょっと不安になってそう聞くと、少女は淀みなく返事をする。
「セーラおねえちゃんはおはなやさんにいるの」
「…お嬢ちゃんは、お花屋さんまでの帰り道は分かるのかい?」
「わかるよ!」
得意気にそう胸を張って、来た道を振り返る少女。
そのまま歩き出す、かと思われたが、少女はそのまま固まった。
嫌な予感がする。
「お嬢ちゃん?」
少女は動かない。
侍従が恐る恐る少女の前に回り込み、その顔を覗き込むと、少女の目を涙の膜が張っている。
侍従はうわあ、やっぱり…と額を押さえた。
少女越しに目が合った主は、珍しく困ったような表情だ。
「か、かえりみち、わかんない…」
「だよねー」
うん。選択肢はひとつだ。
侍従の主も少女の前に回り込み、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「お嬢さん。落とし物を届けてくれたお礼に、花屋まで送って行こう」
その言葉に瞬きをした少女の黒い瞳から、涙がぽろりと落ちる。
「ほ、ほんとう?」
「ああ」
そうして差し出した、白手袋をした紳士の手に、少女は小さな手をそっと乗せ、ほっとしたように口許を綻ばせた。
侍従は主から花束を預かり、手を繋いで歩き始めた二人を後ろから新鮮な気持ちで見つめる。
主はあまり表情が動かないので、まず子どもに懐かれない。
驚くほど人懐こい少女だ。
二人は何やら会話を始めたようだ。
「君の名前は何という」
「リル・アズーロっていうの!」
弾んだ少女の声に、紳士の足が止まった。急だったので侍従は主の背中にぶつかるところだった。
もう少しで、抱えている花が駄目になるところだ。危ない危ない。
紳士は自分の手を握る少女を凝視している。
「だ、旦那様? どうなさいました」
「おじさん、どうしたの?」
「いや、…似ていると思ったが、まさか本物とは…」
それはあまりに小さな声で、侍従には聞こえなかった。リルも同じようで、きょとんとしている。
再び紳士の足が動き出した。
「…セーラというのは、誰だ」
主の言葉に、侍従は首を傾げる。リルは先程お姉ちゃんと言っていたのだから、普通に考えて彼女の姉のはずだ。
だが、リルからは違う答えが返ってきた。
「りょうでいっしょにすんでるおねえさん! あのね、おとうさんはきしだから、みんなでいっしょにすんでるの!」
「…騎士団寮に住んでいるのか」
「そうだよ!」
「おとうさん、とは、上手くいっているのか」
これまた妙な質問だ。
侍従はふと思う。先程リルの名前を聞いたときの反応といい、もしや主はこの娘の素性や父親を知っているのだろうか。
侍従はまだこの主人に遣えて日も浅く、共に王都へ来るのは初めてだが、主人は毎年王都へ来ているのだから、騎士団に伝手があってもおかしくない。
リルは満面の笑顔を浮かべる。
「おとうさん、やさしいよ! リルだいすき!」
「…そうか」
「あのねぇ、いっつもねるまえにえほんよんでくれるし、おまつりのはなかんむりつくってくれたし、おねつがでたときもね、いっしょにいてくれたの!」
「そうか」
「それとね、これみて! このまえおとうさんにかってもらったの! おとうさんとおかあさんとリル、おそろいなんだよ!」
リルが胸元から引っ張り出した花のネックレスを見て、紳士は微かに顔をしかめた。
それは本当に僅かではあったが、日は浅くとも共に過ごす時間の長い侍従はその変化に気が付く。
何が気に触ったのだろうか。
「………おかあさんも寮に住んでいるのか」
その声は掠れて、怒りを圧し殺しているようだ。侍従は背中に嫌な汗をかく。
だがリルは気が付かない。
「ううん。おかあさんはおほしさまになったから、りょうにはいないの」
リルのその言葉に、紳士から怒りの気配が消えた。
侍従はほっとすると同時に、さらに疑問を持つ。この少女の母親は亡くなっているようだが、もしや主はその母親の方と知り合いだったのだろうか。
「あっ、おはなやさん!」
そして、リルの言葉に紳士が返事をする前に花屋へ到着した。
花屋の前には、黒髪を肩で切り揃えた女性が立ち、リルを見つけた途端に駆け寄ってきた。
「リルさん!」
「セーラおねえちゃぁん!」
さっきまでの笑顔が嘘のように、リルの目からぶわりと涙が溢れる。
やはり不安だったようだ。
「勝手に飛び出すなんて…! 足が速すぎますリルさん! すぐ追いかけたのに見失ってしまって…!」
セーラと呼ばれた女性の目も潤んでいる。
察した。
どうやら、誰に頼まれたのでもなく落とし物を届けるという使命感に燃え、何も考えずに花屋を飛び出したようだ。
店から店主も出てきた。
「ああよかったリルちゃん! よく無事で! ごめんよ、おばちゃんが引き留められなくて」
「ぐすっ、ううん、リルがいけないの。ごめんなさい」
セーラに抱き付き、しゃくりあげながら謝るリルは驚くほど素直だ。
店主は紳士とその侍従に気付き、頭を下げた。
「お客様、ここまでリルちゃんを送っていただきありがとうございます。本当に助かりました」
「いや、構わない。元は落とし物をした私のせいだ。だが」
紳士はリルの傍にしゃがんだ。
「リル。私を見つけられたからよかったものの、もしかしたら、落とし物どころか君まで家に帰れなくなるところだった。そうしたら、君は父親にももう会えなくなる。だから、もっと大きくなるまで町を一人で歩いてはいけない。わかるな?」
リルは涙をぼろぼろと溢し、鼻を啜りながら大きく頷いた。
「…とは言え、カフスを届けてもらって助かった。ありがとう」
そう言って紳士がリルの頭をぎこちなく撫でると、リルは驚いたような顔をしたあとにぱっと笑った。
「本当にありがとうございました。何かお礼を」
「いや結構。カフスを届けてもらった礼として彼女を送り届けただけだ。では失礼する」
「え、せめてお名前を!」
セーラが紳士の背中に声をかけるが、紳士は軽く手を挙げただけで足を止めず、侍従が頭を下げてその後に付いていく。
二人の姿は人混みに消えていった。
「いやあ、人懐こい子でしたね旦那様。…旦那様?」
「いや…」
紳士は何かを振り切るように、黒い帽子を目深に被った。
「…よく似ている」
侍従に聞こえないほどの小さな声でそう呟いた紳士の名は、モーガン・ロベイン伯爵。
五年前に娘を亡くした、辺境の領地を治める領主であり、リルの血縁上の祖父に当たる人物である。
偶然とはいえ、まさか何の心構えも出来ずに会うことになると考えてもいなかった伯爵は、沸き上がってくる想いを振り切るように顔を上げた。
「さっさと買い物を終わらせるぞ」
「あっ待ってください旦那様!」
侍従は花束を抱え直すと、主の後を慌てて追った。




