彼女とくまさん1
「おじちゃん、おはなしにでてくるくまさんみたいね!」
娘が熊と称した相手は、鬼のように厳しい、自分にとっては直属の上司にあたる男だ。
カイルはいっそのこと気を失ってしまいたいと思った。
カイル・アズーロはこの黒狼国の正騎士だ。
六年前のある出会いをきっかけに、一日も早く正騎士になるため死に物狂いで鍛練を重ね、現在では第三部隊の第五席にまで上り詰めた。
平民上がりではあるが、このまま武勲を上げれば爵位を賜ることも不可能ではないと、周囲から囁かれるほどになった。
二十三歳という男盛りでもあり、また女性が好みそうな端正な顔立ちをしていることもあって、貴族令嬢からの人気も出始めている。
しかしカイルは、どんな美女にも靡かなかった。
ひたすらストイックに自分を戒めているその様子に、硬派で素敵とますます女性人気が上がるという循環が既に出来上がっていた。
騎士仲間は「お前がいると俺たちに出会いが回ってこない」とぶうぶう言っているが、実力主義の社会において、カイルの努力は誰もが認めるものであり、仲間から信頼されていた。
そんな硬派なカイル・アズーロが惚れる女性とは、一体どのような人物なのか。それは多くの人の関心を引いたが、カイルはそんな周囲の期待や予想を、大きく覆した。
珍しく長期休暇を取っていたカイルが、それはそれは可愛らしい少女を連れて帰ったのだ。
カイルはその少女を抱き、困惑している騎士仲間にこう言った。
「俺の娘です」と。
「娘ぇ!?」
同僚のすっとんきょうな声が、騎士団寮に響き渡り、非番だった他の騎士たちも何だ何だと集まり始めた。暇なのかこいつら、と密かにカイルは考える。
そして、幼い女の子を抱いて立っているカイルを見て瞠目する。
先程の同僚の叫び声とその少女を結びつけ、驚愕の表情を浮かべた。
「む、娘…?」
身体を震わせてこちらを、正確には娘を指差す同僚に、カイルはつい眉をひそめる。
「人に指を指してはいけない」
「いや、母親か! あーうん、指差したのはすまん! いや、て言うか父親か!?」
指を指した本人であるアルフォンス・レザンはカイルの友人でもある。
どうやら相当混乱しているようだ。
まあ無理もないか、と冷静にカイルは考える。
六年前を最後に、カイルが一切の女性関係を持たなかったのはアルフォンスだけでなく騎士団の者には周知の事実だ。
そのカイルが突然、未婚にも関わらず娘を連れ帰ったのだから、下手をしたら大きな醜聞になる。
それを理解していたカイルは、前もって上司に手紙を送っていたのだが…。
「おお、カイル、戻ったかー」
その低く響く声に、集まっていた騎士たちがざっと道を開けた。
「団長、只今戻りました」
「おー。お帰り。そのお嬢ちゃんが手紙で言ってた子か?」
そう言ってにやりと笑ったのは、筋骨粒々という言葉はこの男のためにある言葉なのでは、と思うくらい巨漢の男。
バーナード・グリズリー。
カイルが所属する黒狼国第三騎士団団長、つまりはカイルの直属の上司だ。
本人は貴族出身とはいえ三男坊のため、爵位を継ぐことはないと早々に騎士を目指し、類い希なる資質を示して出世した。
数々の武勲を上げており、貴族出身だと家のコネで出世したのではと陰口を叩かれることも大いにあり得る状況にも関わらず、その圧倒的な戦闘力に誰もがバーナードの実力で地位をもぎ取ったことを認めるほどの逸物だ。
そしてバーナードは、貴族出身とは思えないほどの実力主義で、恐ろしく厳しい反面、能力があり努力をするものを好み、登用することから、特に平民出身から多大な支持を受けている。
カイルも、そんなバーナードに認められた一人であり、この上司を尊敬し、畏怖している。
その上司は、普段厳しい光を込めている焦げ茶色の目を輝かせ、カイルが抱いている子どもに笑いかけた。
「初めまして、お嬢ちゃん。名前は何てんだ?」
カイルだけでなく、周囲の騎士たちも驚くような優しい笑みを浮かべたバーナードに、その少女は大きな黒い瞳を瞬かせる。
その興味津々の瞳に、怯えはない。
そして。
「おじちゃん、おはなしにでてくるくまさんみたいね!」
…その場の空気が固まったのは言うまでもない。
女の子って言葉覚えるの早いですよね。