第2話・ファイアボール密室殺人事件②
謎の人物との農作物意見交換
ラヴィに対する僕の抗議を遮ってローブの人は話し出した。
「君たちのさっきの手法だが大変素晴らしかった。バンブーロックをあえて急激に成長させ、柔らかくなった部分を刈り取る。年齢による未熟さを感じさせない、まさに知恵と力の結晶のような作業工程だ。ところで君たちはバンブーロックを取り除いて、この畑に何を植えようとしているんだい?」
ローブの人は畑の中に歩いて行ってしまった。
固くなっていた土地はラヴィの力仕事のおかげで太陽に干したばかりのマットのように柔らかく息を吹き返しつつある。
白いローブの裾に生き返った土が付いた。が、それを気にする様子は全くない。
「――芋です」
「芋か。どの種類の芋か教えてくれるかい?」
「カントンイモです」
「ああ、なるほど甘豚芋ね。確かにこの土地に合っている。うん、ここなら良く育ちそうだ」
ローブの人は土を拾いあげ少しだけ舌先にのせた。
経験豊かな農民はそうやって土の質を確かめると何かの本で読んだことがある。この人は農民なのだろうか?
ラヴィが首を傾けた。
「カタル、あんたここで芋なんか植えようと思っていたの? 私はてっきりお花畑にでもするんだと思っていた。ほら、満開になったら向こうに見える山の景色とセットでとっても素敵じゃない?」
お花畑は君の脳内に十分あるじゃないか、ラヴィ。
甘豚芋は雑食の野豚がわざわざ掘って探すほどに上手い。
土の隙間から湧き出す芳醇な香りと甘さが特徴の芋だ。他にも候補にした食物はあったが、僕が選んだのはこれだった。
「甘豚芋は他の芋と違って、そのままではあまり長い間保存ができないという難点があるんだ。でも加工には向いている。最近はお菓子の材料としても人気らしい。都ではそれを使ったお菓子で行列が出来ているらしいよ、えっとなんて言ったかな、あのお菓子名前……」
「コルコルでしょ? あれ美味いよね」
ローブの人が僕が探していた答えを教えてくれた。
だが、あいにく僕はそれを食べたことがない。
情報として知っているだけだ。何せ僕たちは村とこの近くの地域から先へ行ったことがない。
僕らが知っているのは、この紙の村で作られる上質な紙を仕入れにやって来る商人たちが置いていく土産話と書物だけ。
村の大人の数人は作った紙を馬車に積んで逆に街や都に行商に行ったりもするけど、その時に持って帰って来てくれるのは村の生活に必要な世知辛い何かだ。
話が途中だった。
「それに何よりも凄いのは、名前の通り豚に餌としてあげると、豚肉の味が向上するんだ。しかも、それは甘豚芋の皮や茎でもいい! さらに甘豚芋は病気に無類の強さを誇る! 土地選びさえ間違わなければ、現状これ以上に僕らに合う植物はない」
「素晴らしい。世話さえ怠らなければ秋頃には大収穫を迎えるだろう。私からもう一つアドバイスさせてもらうとするなら、畑の四隅に食虫植物の金獅子草を植えるといい。甘豚芋の葉が好きな虫が寄って来なくなる」
食虫植物の金獅子草。
タンポポのような見た目だが、一瞬で羽虫を喰らう獰猛な食虫植物だ。
サイズが大きい人間に害はない。思いつかなかったが、それなら川のほとりですぐに手に入る。名案だ。
「ありがとうございます、すぐにやってみます! あなたは大変植物にお詳しいですね、どこかで大きな農業でもやられていたんですか?」
僕よりも知識が豊富な大人はすでにこの村にはいなかった。
そんな僕に新たな知識を授けてくれるのはいつも度の来訪者だ。
僕は図書館に集まる様々な本を読み漁っている。
だけど、もっともっと、知りたい。知ることを止められない。なぜなら僕にはなりたいものがあるから。
「私が農民? 確かに農民の仕事と知識も素晴らしい。けど違う」
「それよりも君は若い割に随分と知識がある。何か成りたい職業でもあるのかい?」
答えに困るが、こんな時の僕の答えはいつもこれだ。
「僕とラヴィはこの村をいつか出たいんです。ラヴィには大きな夢があって……」
突然、激しく馬の駆ける足音がした。
「いたぞ! あいつだ、あの怪しい魔法使いがオットーさんを殺したんだ!」
大声で叫んだのは、この畑の本来の持ち主のオットーさんが雇っている中年農夫のタイオルだった。
彼は最近この村に遠くから越して来たらしい。彼とは特に親しいわけではないが、狭い村では新しい人間は割とすぐに憶えられる。
そして横にいるのは村の自警団のリーダー【ジョルノ】。
「……オットーさんが死んだ?」
信じられない。
今日の朝も畑仕事に入る前に話しをしたばかりだ。
ジョルノは僕やラヴィと同じく戦争孤児で、村の孤児院【紙の園】育ち。いわば僕らの先輩だった。
正義感溢れる、村の自警団の若手ナンバーワンだ。
基本的には良い人なのだが、言動と行動が熱過ぎて、たまにこっちの意識がぼうっとしてしまう時がある。あれは簡易版の幻術に近い。いや催眠術か。
「カタル、ラヴィ、大丈夫か! そいつは人殺しの魔法使いだ! すぐに離れろ!」
魔法使い? 人殺し? ついさっき本が大好きだと言ったこのローブ姿が? ジョルノ、君は自分の言っていることが分かっているのか?
僕の信念は「本好きに悪人はいない」だ。
もしも間違って人を殺めたとしても、それにはきっと理由があるはずだ。
そしてもう一点。
もしもこの人が魔法使いなら、僕はこの人にたくさん聞くことがある。
本物の魔法使いに会う機会はほとんどない。聞けることは何でも聞かなければ。まず初めに――。
僕の思考が終わる前にジョルノが地を蹴り、こちらに駆けてきた。
帯剣していた剣を右手で颯爽と抜く。
太陽の光が反射した。これといった事件に出くわすことのない田舎の剣士は、熱いが故に本気だ。
「ちょっと待ってジョルノ! この人はさっきから僕たちと一緒にここにいた。なんかの間違いだ。なあラヴィ、そうだよな」
僕は二人の間に割って入り、ジョルノの無謀な突撃をなんとか阻止することに成功した。ジョルノの掲げた剣は行き場を失っている。
「この人が現れたのは、五分くらい前だよ。ずっとじゃない」
――ラヴィこいつ。
そこは素直にウンと言ってくれよ。そうじゃなきゃこの人は捕まってしまう。
いや、違う。もしも本物の悪い魔法使いなら、ジョルノの命はない。ここは下手に事を荒げない方が得策。
まあ熱くなっているジョルノが聞くわけもないが。
「おい、おっさん。まずはそのローブから両手を出して上に挙げろ。そしてカタルとラヴィから離れるんだ」
ジョルノ、逆光で見え辛いのか? なぜこの人の大体の年齢までも読み違える。それじゃ自警団のリーダーとしてどうだろうか。
ローブの人は手をゆっくりと挙げた。
下手に抵抗する気はないらしい。もちろん魔法使いが持つ必須アイテムの杖も持っていない。
まあ書物によると、杖でなくとも指輪やブレスレットなどの装飾品や、自分の体に馴染んだ愛用している物でもいい。
高位の魔法使いなら何もなくとも魔法を発動できるのだから、これを魔法使いの判定材料として見極めることなど本来は意味はなさない。
「杖なしか……、さてはどこかに隠したな、魔法使い」
大事な杖をこの村のどこに隠すというのだろう。
確かに杖っぽい枝ならこの辺にたくさん落ちている。木を隠すなら森の中という言葉もあるが、きっとそんなことはしない。
「ジョルノ、オットーさんが死んだってのは本当なのかい?」
ジョルノは頷いた。僕から瞳をそらし、強い視線をローブの人に向けた。
「ああ、オットーさんは昼食の準備中に衣類ごと胸を焼かれて死んだ。しかも現場のオットー邸は密室だった。こんなことはそこに立っている、よそ者の魔法使いしかできない」
――密室殺人事件。
そんなことがこんな平和な村で起こるなんて僕は想像もしていなかった。
「…………ンド」
ローブの人が僕の横で何かを呟いた。
小さくて聞き取れない。
「ジョルノ、この人を犯人として捕まえる前に僕も事件現場のオットーさんの家まで行っていい?」
「カタルが? 別にいいがこの魔法使いの身柄は今すぐ拘束させてもらうぞ」
容疑者というだけで拘束されるなんて随分と乱暴な話だけど、急いだ方がいい。事件現場は鮮度が命なのだから。
僕はローブの人を見た。その人はこくり、と頷いだ。了承してくれたのだろ。
「――犯人はこの人じゃない。僕がそれを証明してあげる」
確証があるわけでななかったけど、本が好きで僕らに栽培の助言までくれた人が人殺しのわけがない。
僕が疑いを解いてこの人を自由にする。
だってこの人はまだ、旅のお目当の図書館に行ってすらいないのだから。
目の前に大量の書物があるのに、見ることも叶わないなんてあまりにも不幸過ぎるじゃないか。
「申し遅れたけど、僕の名前はカタル。あなたの名前は?」
相手に名を尋ねる時は自分から。各国共通のマナー百科辞典にそう書いてある。僕はいつもそれを実行する。
「……私の名前は、リリィ」
リリィ、素敵な名前だ。
「――カタル、お願いだ、私への疑いを解いてくれ」