武名轟く
・永正十七年(1520年) 五月 近江国蒲生郡 観音寺城 六角定頼
京洛中が地鳴りを起こしているかのような錯覚に陥る。
東山の如意が嶽の麓に陣取った六角軍の元にも敵味方合わせて公称五万の軍勢の鬨の声が響く。
細川澄元を旗頭とする阿波・摂津軍五千に対し、細川高国を旗頭とする近江・越前・美濃連合軍は四万五千。
鴨川の東岸には平井・永原の弓隊が陣取り、鏑矢がうなりを上げたと思ったら川を挟んでの矢戦が始まる。もちろん、矢戦となればこちらに分がある。平井・永原の射手が矢を放つ度に敵方の兵がバタバタと倒れていく。
突然の北からの喚声に振り向くと、朝倉家の誇る名将・朝倉宗滴の部隊が華々しく水しぶきを上げて川を押し渡るところだ。
澄元方も対応するが、多勢に無勢で宗滴の突撃の威力に押されて拠点を作られてしまう。
こちらも負けていられない。進藤隊を中心に押し渡り、正面にも拠点を確保した。次々に渡河していく部隊を前に、澄元勢はジリジリと後退していく。もはや勝敗は明らかだ。
突撃の法螺貝が響く。来た!今こそ澄元勢を踏みつぶせ!
……とかやってるんだろうなぁ、今頃は。
ちなみに定頼は観音寺城でお留守番だ。六角軍の総大将は弟の大原高保に丸投げしたった。
志野と一緒に縁側で飲む茶はうまいなぁ。心が和む。
「御屋形様?どうされたのですか?」
「ん?何か変な顔をしていたか?」
「ええ……その……ずいぶん鼻の下を伸ばされてニヤニヤされていたものですから」
いかんいかん。こんな顔を家臣に見られたら威厳を損なってしまう。
まあ、俺がサボりたくて欠席したわけじゃない。実を言うと、史実の六角定頼も今回は弟に丸投げしてお留守番を決め込んでいた。史実の定頼の方がよっぽど舐めプしてんじゃねえかと思わなくもない。
この上洛戦のサボタージュは本当に謎だ。まったく理由がわからん。
確かに近江にはまだ伊庭・九里が残っているが、それが理由ならばそっちこそ弟に任せておけばよかったはずだ。
織田信長の例を見るまでもなく、上洛戦とは武士にとって最大の栄誉だ。天下第一の武威を持つ者として京に名を上げるのは武士の本懐と言ってもいい。
まして、今回は細川高国の要請によって近江・越前・美濃の連合軍を組んでいる。その中で六角軍は紛れもなく主力の地位にある。天下を取るつもりがあるのなら、絶対に外しちゃいけないチャンスだったはずだ。
定頼にそういう考えが浮かばなかったはずはない。直前までは大内が上洛して実際に天下の権を振るっていたんだ。上洛することの意味を定頼が分からなかったはずはない。
今回だけじゃない。天文年間に入って実際に天下を差配するようになるまでに、定頼には少なくとも三回は天下を取るチャンスがあった。でも、それらを全てスルーして近江国内の安定化だけを行った。天文期にも、仕方なしに嫌々ながら天下の権を握ったようにも見える。
それ故に『天下を取ろうとしない天下人』なんて言われているわけだが……
なあ、教えてくれ。何で定頼は京に居ない?何で俺は近江に居る?
「そんなこと、決まっています」
おお!? 心の声が漏れていたか……?
「何が決まってるんだ?志野」
「私が、御屋形様のお側に参りたかったからです」
「……ぷっ。あーっはっはっはっは」
「何が可笑しいのです。私は本当に……」
「ああ、わかったわかった。ありがとう」
拗ねた所も可愛らしい。
……本当に、ただそれだけの理由だったのかもしれないな。
『ただ妻と一緒に居たかっただけ』
ただそれだけの理由で上洛戦を欠席したんだとしたら面白い。絶対者として権勢を振るうよりも、ただ単に妻が好きな一人の男で居たかったということか。定頼の生々しいまでの人間臭さに、ものすごく親近感を持ってしまうよ。
そうだな。まだしばらくは志野と二人でのんびりしようか。
あと二カ月もすれば岡山城もケリが着く。一時的には近江は安定するが、また再び動乱の時代が来るはずだ。
志野と二人でゆっくりできるのもあと二~三年の内だけだ。
・永正十七年(1520年) 五月 山城国 京 室町第 細川高国
「ご無沙汰いたしておりまする。三カ月もの間お側を離れました事、お詫び申し上げます」
大げさに頭を下げたあとじっと目を見てやろう。
さぞ口惜しかろうなぁ。将軍位を奪回することに手を貸し、十年もの間支え続けたワシをあっさりと見捨てたりするからこうなる。
公方と言えど、こうなってしまえば何の実権もありはしない。いや、そもそも十年前からそんなものは無かったか。ふっふっふ。
一体どんな顔をしている?
怯えた顔か?怒りの顔か?もはやこの京に義稙の頼みと出来る者など居らぬぞ。
「面をあげよ」
ふふふ。一体どのような……
何だその顔は。まるっきりこちらを見ておらぬではないか。目線は向いていても目が合っておらぬ。
ふん。つまらん。あまりの事に腑抜けてしまいおったか。
貴様はワシとの政争に負けたのだ。敗者は敗者らしい顔をせぬか。
ふん。まあいい。
今後はワシが京で権勢を振るう。大内は既に京になく、六角はまだまだ若造だ。せいぜいその力を存分に役立てさせてもらおうか……ワシの為にな。
そうだな。とりあえずは義稙の周りから人を無くすか。忠誠を誓ったはずの朽木は倅がワシに協力した。
飯尾も松田も切り離してやろう。貴様の側に寄る者は居なくなる。せいぜい孤独を噛みしめながら指をくわえてワシの天下をながめているがいい。
……おう、そうそう。
六角と言えば、軍勢を出す代わりに頼まれていたものがあったな。
上洛は果たしたのだ。反故にしてしまっても良いが……
まあ止めておこう。どうせ大した頼みでもない。これからも六角はワシの軍勢として使って行かねばならんからな。あの若造ならば扱いやすかろう。
「右京大夫。此度の戦はご苦労であった」
「は……ははっ!恐れ入りまする」
「大儀であった。下がって良いぞ」
……立ち上がってさっさと行ってしまったか。
一体あのザマはどうしたことだ?まるで生気を感じられない。世捨て人にでもなったつもりなのか?
わからん。少なくとも何らかの反応はあってしかるべきなのだが……
逆に何やら不気味な感じがするな……
・永正十七年(1520年) 七月 近江国蒲生郡 岡山城攻めの陣 蒲生高郷
再び六角四郎様から召集が掛かった。
今度こそ岡山城を攻略すると申されていたな。さてさて、どのような妙計を見せてくれるのか。
「遅くなり申した」
陣幕を上げて本陣に入ると、四郎様を筆頭に六角家重臣のお歴々が勢ぞろいしている。
池田殿、馬淵殿、後藤殿、三上殿、三雲殿、青地殿……
うん?進藤、平井、永原の御三方が居られぬのか?一体どちらへ?
「おう、蒲生左兵か。待っておったぞ」
四郎様が朗らかに出迎えて下さる。真に人好きのするお方よ。
「早速だが、軍議を始める」
慌てて床机に座って絵図面を見る。だが……何やら陣立てらしき碁石が置かれているが、何だこれは?ただの平凡な包囲陣形ではないか。
この程度のものでこの堅城が落ちるわけがなかろう。初戦での胆の据わりようから期待したが、結局こんなものか?
これでは、一年どころか三年経っても岡山城は落ちぬぞ。
「……は蒲生に布陣してもらう。……聞いているか?」
「あ……は!失礼をば」
「やれやれ、心ここにあらずだな。今回の戦は陸側から取りこぼさないことが肝要だ。くれぐれも手抜かりの無いように頼むぞ」
「ハ……ハハ!」
しかし、そうは言ってもこの陣立てでは……
うん?何やら外が騒がしい。兵達が騒いでいるのか?一体何をざわついておる。
「どうやら到着したようだな。皆、外に出よ」
一体何が到着したと……
こ……これは!
巨きい……こんな巨大な船は淡海(琵琶湖)では見たことが無い。しかも三隻も……
一体どこからこんなものを?
「管領様に頼んで摂津から運んでもらった関船だ。これでも小さいそうだがな。遠浅の淡海ではこれ以上大きな船は運用できんそうだ」
「い……一体どうやって淡海まで?」
「ああ、淀川をさかのぼり、京から大津までは牛車で運んだ」
なんと!牛車で船を運ぶなどと聞いたこともない。
「京洛ではこの船の噂で持ち切りでございました。陸を走る船など見たことがないと」
後藤殿が自慢げに胸を張るが、さもあろう。このようなこと、頭の片隅に浮かんだことも無かった。
この六角四郎というお方の頭の中は一体……
「この船ならば、長命寺や常楽寺の湊も制圧できよう。湊を抑えて補給を断ち切った後、淡海側から矢を射かけつつ陸側から押し包む。
おそらく十日もあれば相手は降伏してくるだろう」
なんとも頼もしき御大将ではないか。この胆力、この知略、そしてこの豪胆さはどうだ。
我が蒲生の命運を託すのはこのお方しかおられぬ。
「四郎様。いえ、御屋形様」
「おっ。ようやく屋形と認めてくれたか?」
「はい。長らく中立の立場を保った事、お許し下され。今後、我が内池蒲生家は御屋形様に忠誠を誓いまする」
「はっはっは。有難いが、今は戦陣の中だ。お主の忠誠は戦が終わった後に正式に受け取ろう」
「はっ!では、蒲生の名に恥じぬ戦振りをご覧に入れまする」
・永正十七年(1520年) 八月 近江国蒲生郡 観音寺城 六角定頼
結局、岡山城は十日と保たなかった。
蒲生の攻めの苛烈さもあるが、沖に浮かぶ三隻の関船を見て城方が完全に戦意を喪失してしまった。
これで観音寺城の近くには気軽に攻めて来れる敵勢は居ない。晴れて、城下町の建設に取り掛かれるってわけだ。
しかし、あの関船を見た時には全員目をまん丸にして見入っていたな。蒲生高郷なんか口が半開きだった。思い出しただけで笑えて来る。
現代なら小説や漫画で船を陸上輸送する発想自体は見かける。だが、この時代にそんな発想を持った者が他に居ただろうか。
船の陸上輸送なんて発想は、おそらく日本でのオリジナルは定頼だろうな。
「御屋形様。ご用意が出来ました」
「おう、済まんな。すぐに行く」
蒲生藤十郎が居室の外から声を掛けてくる。
岡山城の戦の後、高郷の息子の藤十郎が俺の側衆として仕えることになった。後に六角家の股肱の忠臣となる蒲生定秀だ。
と言っても、今はまだ十四歳の元服ほやほやの若武者という感じだけどな。
こいつは大事にしてやらないといけない。何と言っても蒲生定秀は、六角定頼の戦で常に先陣を切った猛将であり、知略に優れた名将だ。
逆に定頼の忠臣であり過ぎて、義賢や義治からはちと煙たがられたきらいもあるけど……
「藤十郎。来たついでに一局打っていかんか?」
「いえ、進藤様がお待ちになっておりますので……」
融通が利かないヤツだな。まあいいか。
とりあえず南近江から脅威が無くなったことで、観音寺城下で家臣達に屋敷地を与えることにした。
今日は進藤と共にその縄張りを見回らなきゃならん。
観音寺城のある繖山は平地に突き出した急峻な山で、山の周囲を幾重にも回り込みながら武家屋敷を構える。
この武家屋敷群が戦時には本丸の前の関門になるという風に屋敷を配置していかないといけない。
史実じゃあっさりと信長に攻略された雑魚城のイメージがあるが、実際に全力で守ればそうそう簡単に落ちる城じゃない。
問題は家臣達の心が既に離れていたことだ。『人は城』とは良く言ったものだよ。