美濃守護代斎藤氏
・天文二年(1533年) 五月 尾張国海東郡 勝幡城 山科言継
「お待たせして申し訳ない。何分鄙のことゆえ都の蹴鞠を見物したいという田舎者が引きも切らずでしてな。高貴なる方々をお迎えしておきながら申し訳ないことを致しました」
快活な足取りで室内に入って来た男は、下座に座ると豪快に笑い始めた。これが織田弾正忠信秀か。
太い眉と意志の強そうな眼はいかにも武辺者といった風だ。招かれておいて何だが、本当にこの男が蹴鞠や和歌を習いたいと思ったのか?
蹴鞠の指導のために飛鳥井殿にも同行頂いたが、今更ながらに疑問を持ってしまう。
「いえ、此度は弾正忠殿のお招きありがたく存ずる。蹴鞠に関してはこちらの飛鳥井殿(飛鳥井雅綱)が名人として名高い故ご同道願いました。ご迷惑ではありませなんだか?」
「迷惑などととんでもない。風雅の道で噂に名高い御両所をお迎えできたことはこの弾正忠の誉れにございます」
飛鳥井殿と顔を見合わせる。なかなか公家を喜ばせてくれる男だ。我らの家業も戦乱の中で随分廃れてしまっているが、本来はこうして歌や蹴鞠などを門人に広めてゆくのが公家たる者の務めだからな。
飛鳥井殿もご機嫌な顔をしておられる。やはり今回の尾張行きは正解だった。
それに、津島には近江や越前とはまた違った産物もあるし、地下人達と渡りを付けておけば山科に荷を出してもらうこともできよう。
「……時に、山科様には越前で随分とご活躍であったと噂に聞いておりますぞ」
「越前で?ああ、先だって笙の技を伝授に参った時のことでおじゃるかな?」
「左様。地下人達を次々に供御人に取り立てたと……」
……
「ほほほ。はて、なんのことでおじゃろう?」
いかん。笑いが上滑りしているのが自分でもわかる。動揺していることを悟られてはならぬ。
「御隠しになることもございますまい。実を言うと、津島の衆が山科様の越前での行動を耳にして非常に気にかけておりましてな。そのこともあって山科様をお招きさせて頂き申した」
不敵に笑っておる。既に確実な情報を得ているようだ。これ以上隠しても無駄か。
「それはちと恥ずかしい噂がたったものでおじゃるな。尾張ではそのような噂が立たぬように気をつけましょう」
仕方ない。尾張では産物を仕入れることは諦めよう。津島衆は弾正忠殿と親交厚いと聞くから、ここで無理に強行すれば命すら危うい。
「わっはっは。そう仰っていただけて安堵致しました。代わりと言っては何ですが、後程津島衆に一席設けさせますので御両所もぜひご臨席賜りたい」
「津島衆と……?」
「左様。高貴なるお歴々を地下人共の席にお招きするのは無礼かとも思いましたが、山科様は殊の外地下人達に目を掛けて下さるとのこと。尾張の産物も津島衆から差し出させましょう」
津島衆から差し出させる?麿の狙いを理解しておるのか?
「産物を差し出させるというのは?」
「山科の市に荷を出させるということです。某も津島衆から相談を受けた時には商人共を叱りつけたものでございましてな」
「山科の市に……しかし、津島衆はそれで納得したのですか?彼らには彼らが築き上げて来た商売があるはずですが……」
「ですので叱りました。冷静に考えよ、品物を大量に買ってくれるというのならば上得意のお客様ではないか、と」
なるほど……この男は寺社のしきたりや故実に拘らぬか。それよりもどのような利があるか、あるいは利が無いかを真っ先に考えるようだ。どこか六角様に似ておるな。
「それは、津島衆には申し訳ないことをしてしまいましたな」
「なんの、これからも山科様とは末永いお付き合いが出来れば幸いにございまする」
隣で飛鳥井殿がポカンとされておる。話が見えぬのも無理はない。
この男は麿を『商談』のために招いたのだ。蹴鞠や和歌などただの名分か。ともあれ、これで瀬戸の焼き物や荏胡麻油が手に入る。
荏胡麻油は大山崎の油座に買い占められているが、近江の建部油座と尾張の熱田油座から仕入れられれば法華を介さずに相当数の油を用意できるはずだ。
最初は焦ったが、話の分かる御仁であったな。
・天文二年(1533年) 六月 山城国 京 室町第 六角定頼
近江で諸々の手配りを終え、足利義晴を奉じて再び京に上った。
俺と対面した後、一月もしない内に長井規秀の父が亡くなったと報せがあって弔問の使者を送っておいた。どうやら二月頭頃から既に体調を崩していたらしい。
京で油商人から身を起こして土岐頼芸の重臣にまで上り詰めた男だから、それなりの弔問客があるだろう。その面々に『長井規秀は六角定頼から弔問を受けるほどの男だ』というアピールになったはずだ。
土岐頼芸はどんな顔をしたかな?
朝倉がいつ美濃に進軍してくるかわからない状況で、六角と太いパイプを持つ長井規秀はまさに頼りになる男だ。主君の土岐頼芸を始め、国人衆もこぞって長井規秀を頼もしく思うだろう。
……最初のうちはな。
土岐頼芸としては内心複雑な思いが生じる。家中の重臣が隣国の守護と親密ならば、それだけで自分を追い落とす勢力になり得る。今は気付かずともいずれ気が付く。ましてやその隣国の守護は近江一国を完全に掌握し、将軍家の後ろ盾として畿内随一とも言える武威を誇る男だ。未だ国内に葛藤を抱える美濃とは国力の底が違う。俺の埋め込んだ種はやがて土岐頼芸の疑心となって芽吹くだろう。
長井規秀はどんな顔をしたかな?
単純に俺に気に入られていると気を良くするか。あるいはその先にある物に勘付いて青ざめるか。もしかしたら、渡りに船と内心ほくそ笑むかもな。
まあ、どっちでもいい。どのみち俺が長井規秀を可愛がれば可愛がるほど土岐頼芸の内心の不信感は増大する。今のところ長井規秀には土岐頼芸の為に六角とのパイプ役を果たすという大義名分がある。俺との関係が良いことは表立って糾弾する理由にはならない。
裏で長井を引きずり下ろす策謀を巡らし始めるはずだ。その時になれば長井規秀の本心がわかるだろう。
……我ながら悪趣味だよなぁ。
だが、今のまま長井規秀が土岐頼芸の寵臣では困るんでね。足利幕府の名門土岐家には没落してもらう。土岐を追い出した斎藤道三ならば、室町幕府と対立した俺を支持せざるを得ない。室町体制を支持することはそのまま自分の立場を否定することに繋がる。
俺が将来幕府と対立するその時のための布石だ。
政略を巡らしつつ控えの間で待っていると、大舘尚氏が入って来た。今日は俺からの要望を内密に伝えるという名目で大舘に時間をもらっている。
「お待たせ致した。弾正殿には此度の上洛の支援まことに忝い。公方様も殊の外喜んでおられる」
「それはようございました。某も公方様御為に働くことが出来て光栄にございます」
「うむ。して、内々の要望とは何でござろう?」
「美濃のことでござる。某は先代美濃守護の土岐政房殿の意を汲んで、土岐左京大夫頼芸殿を正統な美濃守護とされるべきと愚考いたします。何卒、土岐左京大夫殿を美濃守に任官頂きますようお願い申します」
大舘がキョトンとした顔をしている。まあ、俺がわざわざ土岐頼芸の為に動くのが不思議なんだろうな。
「弾正殿が何故土岐殿の任官を願い出る?」
「某は土岐殿と和を結びましてございます。過去に我が父は美濃と相争う間柄でありましたが、此度の和を機会に隣国同士良き関係を築いていきたいと思っております」
「ふぅむ……しかし、美濃守護は御嫡男の土岐次郎殿(土岐頼武)が未だ越前にある。例え弾正殿の願いと言えども軽々には……」
「左京大夫殿(土岐頼芸)の守護継承は前公方様もお認めになったこと。それに、今の公方様は美濃守護を次郎殿に認めると仰せになったわけではありませぬ」
「しかし……」
なかなか慎重だな。まあ、仮に頼芸を推して頼武が美濃の実権を握れば、美濃は将軍家に敵対する勢力になる可能性もある。大舘の慎重姿勢も分からなくはない。
「この話が成らねば左京大夫殿から美濃守任官を請け負った某が面目を失いまする。何卒……」
「う……そうか。弾正殿がそうまで言うのであれば、公方様へ申し上げてみよう」
嘘だがな。美濃守任官なんざ請け負っちゃいない。まあ、頼芸にとって不利にはならんのだから余計なことは言わないだろう。
「それともう一つ、今の美濃には守護代が居りませぬ」
「美濃守護代の斎藤家は存続しているだろう」
「それは次郎殿の守護代にござる。左京大夫殿の守護代は斎藤彦四郎殿が討死なさってから空位となったままでございます」
「それはそうだが……」
「守護には守護代が補佐に付かなければその権威を保てませぬ。守護代の居らぬ守護は画竜点睛を欠くものでございましょう」
「では、弾正殿はどうされよと?」
「左京大夫殿を支える股肱の者に長井新九郎規秀という者が居ると聞き及びます。長井新九郎とやらに斎藤彦四郎殿の名跡を継がせ、美濃守護代に任命されれば如何でしょう?
公方様の命により守護代に任じられたとなれば新九郎とやらも感激し、以後公方様御為にも働きましょう」
「うむ……弾正殿の申される通りかもしれんな。美濃守護代の件も併せて公方様へ申し上げるとしよう」
「有難きお計らいに感謝いたします。これで某も土岐殿に対して面目が保てまする」
よし。これで美濃には騒乱の種が埋まった。遅くとも三年の内には芽が出てくるだろう。
今の長井家は小守護代の家格だが、将軍から任じられた守護代ともなれば守護に代わって領国を差配する大義名分にもなる。長井規秀に対して不信感の芽が出て来た時、この守護代補任が殊更に重い意味を持ってくるだろう。
斎藤道三よ。お前が望むと望まざるとに関わらずお前は国盗りの英雄になる。誰の為でもなく、俺の為にな。
さて、もう一人この話を聞いて発狂しそうな者が居る。そちらの方はどう出るか、朝倉孝景のお手並み拝見といこう。
・天文二年(1533年) 七月 越前国足羽郡 一乗谷城 朝倉孝景
「御屋形様、大野郡司様が参られました」
”通せ”と言う間も無くドスドスと足音を立てて弟の次郎左衛門(朝倉景高)が入って来る。
やれやれ、やはり耳に入ったか。
「御屋形様!美濃守の件聞き及びましてございますぞ!一体公方様は何をお考えなのでございます!」
「次郎、もう少し声を控えぬか。ここは戦場ではないぞ」
「これが落ち着いていられましょうか!土岐次郎殿(土岐頼武)は我が朝倉が必ずや美濃守護に復帰させるという話を信じて越前に身を寄せておられる!公方様の仰せは我が朝倉の面子を潰すことに他なりませぬぞ!」
ダンと拳を床に叩きつける。あまりの音に小姓たちも驚いておるわ。
「六角弾正殿が取り次いだとのことだ。六角から言われては公方様も否とは言えまいよ」
「六角が……うぬぬ。おのれ!」
見る見る顔が赤くなってくる。こやつももう少し思慮が深ければ宗滴に代わって軍奉行を任せられるのだが、いかんせんすぐ頭に血が上る。大事を任せることなど出来ん。
「落ち着け、次郎左衛門。土岐次郎殿は我が朝倉の威信にかけて必ずや美濃守護職に復帰させる」
「では、六角と戦を!」
「だから待てと言っておる。今すぐではない。六角が自由に動ける今仕掛けては宗滴の二の舞になるぞ」
「ぐむ……」
ようやく静かになったか。
「良く聞け。六角は三好筑前(三好元長)の遺児を預かっておるそうだ。三好の遺児なればいずれは六角の後援によって摂津に復帰することになろう。六角は摂津にも軍勢を出さねばならぬようになっておるのだ」
「……では!」
「うむ。いかな六角とて摂津と美濃で同時に戦をすることなど出来まい。自らが抱え込んだ同盟によって六角はどちらにも軍勢を出さねばならぬ葛藤を抱えている。今は機が熟するのを待つのだ」
ふう。とりあえずは納得したか。
正確には六角は北近江と南近江の軍勢を分けているから、美濃と摂津で同時に戦をすることも不可能ではない。だが、朽木を巻き込めばどうか。
敦賀から朽木に向けて進軍すれば三方面に軍を割くことになる。いかな六角とて同時にそれほどの戦をこなせるほどの戦力は無い。ましてや朽木は近江の国人だ。近江の者を見捨てることは六角の威信に掛けて出来まい。
六角弾正は手を広げ過ぎたのだ。今にそのことを後悔する時が来るだろう。




