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 ・享禄二年(1529年) 二月  近江国滋賀郡粟津庄  伴庄衛門



 岩城さんを訪ねるのはもう何度目になるかな。

 毎回木で鼻を括ったような対応をされるのも慣れて来てしまった……

 しかし、不思議と会えずに帰るということはない。岩城さんも私に会って情報を仕入れようという気持ちはあるようだ。


 表店から入ってすぐの三和土(たたき)には多くの樽が積まれている。おそらく京で売りさばく鮒鮨や塩四十物(しおあいもの)(塩漬けの魚)が入ってるんだろう。プウンと魚の匂いが漂う。

 入ってすぐの場所に帳場があるのは、さすが長い歴史を持つ商人だな。

 私らもそろそろ帳簿を付けていくようにしていかねばならんかな。紙が安く手に入れば帳簿なんかの整備も進むんだが……

 美濃紙は枝村衆に独占されていて手が出せんし、何かいい知恵はないものか……


 おっと、奥から出て来られたか。


「伴さんか。アンタも懲りずに何度も来るね」

「そうおっしゃる岩城さんこそ、懲りずに何度も手前に会ってくださっていますな」

「まあ、アンタの言う通り商人同士で情報をやり取りするのは儂らにも利があるからな。お武家様やお公家様とは仕入れる情報の質が違う。儂らは儂らの必要とする情報がある」

「商人は商人同士、お互い何を知りたがっているかはよく承知しておりますからな」


 声を揃えて笑い合う。ここまで関係をほぐすのに随分骨を折ったが、今ならばもう一度協力する話を持ち出せるかもしれんな。


「時に、北近江の具合は今どんな風になっておるかね?」

「浅井様は越前に逃れ、今は金ヶ崎城で客分……と言うよりは冷遇されているようですな。まあ、敦賀郡司様には何かと気にかけられているようですが」

「詳しい話は分からんか?」

「ええ。新たな敦賀郡司様は近江の者を関所で厳しく取り締まられます。お義父上が近江で討死なさったからでしょうが、坊主憎ければというやつでしょう。

 おかげで敦賀には手前どももなかなか出入りができておりませんで……」


 岩城さんが少し俯いて考え込む。教えた情報の内容を吟味しているのだろう。


 小幡の布施さんのおかげで若狭の小浜にはだいぶ伝手ができた。小浜には蝦夷(北海道)の船から南蛮(東南アジア諸国)の船までも来るから、珍しい文物がふんだんに手に入る。

 その意味では敦賀で商売をする必要はないとも言えるが、若狭もなかなかキナ臭い噂が絶えない場所だ。


 できれば敦賀にも干鰯仕入れの伝手は作っておきたいが、現状ではそうもいかん。

 武士の世界のことはともかく、我ら商人にはお目こぼし願いたいのだがなぁ……


「ふむ……それで、浅見様は?」

「浅見様は尾上城の普請をしておられます。なんでも六角様から尾上城下を湖北最大の湊町にするように申し付けられたとかで。

 手前どもにも材木の手当てなどをちょくちょくご相談頂きます」

「堅田の猪飼さんらもよく尾上城に出入りしていると聞くが、そのためかね?」

「ええ。水軍衆からの意見も聞いて、物資の輸送をしやすいように湊を整備されているようです」

「そうか……」


 ん?岩城さんが急に改まったように背筋を伸ばす。

 一体何事だ?


「今まで散々悪態を吐いて済まなかった。虫のいい話だと思うが、あなた方保内衆の楽市にわしらも出入りさせてはもらえんだろうか?

 もちろん、京で店を出す斡旋はさせてもらう」

「突然ですな。何かお心を変えるようなことがありましたか?」

「さて、それだ。猪飼さんからも今後北近江の米を運ぶなら、保内衆との繋がりは大切だと散々に諭された。それに、山科様からは綿を仕入れろと矢のような催促だ。どうも六角様が献上された『布団』とかいうものに帝が痛く感激され、功あった臣下に渡す品物にしたいと御所望らしくてな。

 わしらが綿を仕入れることが出来なければ、山科様が面目を失うというわけだ。

 これこの通りだ。わしらにもあなた方と商売をさせてくれ」


 猪飼さんからも口添えがあったか。

 堅田衆も全人衆を束ねる本福寺が本願寺から破門され、今は再び殿原衆の勢いが強くなっている。

 殿原衆が全人衆の反対を押し切って六角に臣従する決断ができたのも、本福寺が破門されたからだしな。

 これはようやく収まるべきところに収まったかな。


「まことに虫のいい話ですな」


 いたずら心で憮然と言い放つと、慌てた様子で岩城さんが頭を上げる。

 目に懇願の色があるな。まあ、ここで変に意固地になられてもこっちも困るか。


「ですが、手前は虫のいい話が大好きでございます。今後とも一つ、よしなにお願い申し上げます」

「おお!驚かさんでくれ。今伴さんに拒否されたら、儂は首を括らねばならん。本当に済まなかった。そしてありがとう」


 近江はまだまだ豊かになるな。わしらもこれから大いに働いて行かねばならん。

 なに、皆で力を合わせれば何だって出来るさ。




 ・享禄二年(1529年) 三月  近江国蒲生郡観音寺城  六角定頼



 進藤・後藤・池田・香庄の四人と共に亀の間で額を突き合わせる。

 真面目な話、全員三十歳オーバーのいい年したおっさん五人が額を突き合わせると妙に汗臭い気がする。


「御屋形様。聞いておられますか?」

「ん?ああ。聞いているぞ」


 進藤が疑惑の眼差しを向けて来る。頼むから俺の名演説に涙を流していたあの頃の進藤に戻ってくれ。


「では、小谷城には大原中務大輔様(大原高保)を軍奉行(いくさぶぎょう)として配されるということでよろしいのですな?」

「うむ。小谷は堅城だが、政の拠点とするにはちと不便に過ぎる。長門守(京極高延)には山本山城へ移ってもらう」

「南近江の軍奉行は蒲生藤十郎にということですが、拠点は観音寺城にされますか?」

「そうだな……とりあえずは観音寺城でいいだろう」


 新しい近江の支配体制を決める会議だ。加齢臭を気にしている場合じゃない。

 絵図面に目を戻すと、中央に大きく琵琶湖が描かれた中に諸々の朱書きが入っている。


 京極高延は北近江国人衆の意向を無視できず、結局は俺の臣下に入ることで納得した。もっとも、名門京極家を国人衆と同列に扱うわけにはいかない。『格別の家』として北近江の統治を司ってもらうことにした。それに合わせて、近江の統治制度も大幅に刷新する。


 制度を大きく変える以上ある程度の反発は避けられない。北近江に京極を配置したのは、旧体制の匂いを残して反発を抑え、徐々に新制度に慣れて行ってもらうためでもある。


 まず、京極高延には六角の筆頭家老職として山本山城を与え、北近江の行政・司法を統括させる。北近江に関する争論は基本的に京極が裁く。京極が必要と認めた物に限り、観音寺城に裁可を回すこととする。

 要するに京極家は六角家の北近江守護代の地位に就いたということだ。京極高延を補佐するのが浅見貞則という体制になる。


 しかしそれは内政上の話だけで、軍事的には北近江国人衆は弟の大原高保に掌握させる。国人衆は内政的には京極に従い、軍事的には大原の陣触れに従うという形だ。それによって京極への権力の集中を防ぐ。


 つまり、軍事と行政を明確に切り分ける。


 戦国時代の大名と国人衆の関係は、現代で言えば大企業と下請け企業の関係に似ている。

 国人衆はあくまでも地頭として守護からは独立しているし、力のある国人は守護家を越えて幕府や朝廷と独自の係わりを持った。

 下請け企業が元請け企業の仕事だけをするわけじゃないのと同じように、国人衆も守護から申し付けられる仕事だけをするわけでもない。


 一方の家臣団は子会社だ。

 主家に忠誠を尽くし、守護家の指図によって身を処す。もっとも、守護家が頼りなしとなれば独立して他の大企業にすり寄ることもあり得る。

 完全子会社というわけではないのがミソだな。


 現在の近江は国人衆の力が強く、その傾向は俺の晩年になって益々強くなる。

 いわば下請け企業が元請け企業を越えて直接仕事を受注していくような状態になる。だからこそ、孫の義治は六角が元請けであった頃に戻そうと観音寺騒動を起こしてしまった。

 領国経営を企業経営に置き換えて考えるのならば、経営者たる六角家当主は下請けと子会社の仕事の割り振りを考えてもっとも効率の良い経営をすることを主な仕事にしていけばいい。要するに人事が主な仕事だな。



 国人衆と一口に言うが、国人衆の仕事は内政・軍事・司法と多岐に渡る。

 北近江の国人衆で言えば、内政は京極家に、軍事は大原家に従う必要があり、徴税は六角家が直轄するという三重統治になる。

 当然、それらすべてを一人でこなせる当主などそうそう居ない。

 そこで、国人衆は内政担当の文官と軍事担当の武官を設置して仕事を明確に切り分けていくようになるはずだ。


 文官は山本山城に伺候して京極家と協力し、武官は小谷城に詰めて大原家の指示に従う。当主は観音寺城に出仕して六角家との繋がりを強化していく。

 そういう形がもっとも合理的に回るはずだ。俺から強制はしないが、自然とそうする国人衆が多くなるだろう。


 最初は全員が領地経営をしながら軍役を提供していく形だが、細切れになった領地では経営に失敗する者も出てくるだろう。資本は細切れでは投資効果が薄い。集中運用してこそ効率が上がる。


 領地経営に失敗した者は俺が俸禄を支払い、直接雇用して旗本衆として組織する。

 直接雇用した者の領地は一旦六角家の直轄領とするが、内政が得意な者には代官として知行を与えていく。

 内政に優れた者にはより広い領地を与えてより効率良く生産活動を行ってもらい、より多くの年貢を納めてもらうという形だ。



 旗本衆にも活躍によって俸禄を加増していく仕組みは必要になるだろう。

 こっちは物頭・侍大将・部将・旗頭などの役職を作る。役職に俸禄を明示し、活躍の度合いによって周囲からの推挙で役職を上げるかどうか審査する形を今のところは考えている。



 各国人衆には領地の貫高に応じて兵役を負担してもらい、集めた兵は廻番で国境警備や領内の治安維持に当たってもらう。江戸時代の大番の制度だな。

 それらの大番の兵を指揮するのが南北の両軍奉行という訳だ。


 貫高毎に常時必要になる軍備の数が事前に分かっていれば、国人衆も足軽を雇用したり農村から専業武士として人手を引っこ抜いていくだろう。

 それらが常備軍となれば、戦争は常備軍の仕事となり、戦時であっても農業生産力を落とさずに済む。


 ま、わかりやすく言えば兵農分離と官僚制の確立だ。

 縦割り行政だなんだと批判されるが、現代日本の官僚制はかなり優れた行政制度であることは間違いない。

 政権が誰であれ、つまり六角家の当主が誰であれ、円滑に領国経営を回せる仕組みを整えるには参考になる部分が多いだろう。

 極論を言えば、俺が外征でずっと近江を離れていたとしても領国経営は回るようにしていきたい。


 この制度を成立させるには、最低限領地の貫高を公平に算出しなければならん。

 かといって古い荘園制の名残がまだ残るこの時代には検地は現実的ではない。国人衆の中には公家や寺社への年貢を納めている者も居るから、勝手に領地を統廃合すれば荘園領主からの文句も出るだろう。検地はもう少し勢力を伸ばしてからにした方がいいだろう。


 それに、貫高は米の生産力だけじゃない。例えば伊吹山の麓の領地は米作りには不向きだが、その分石灰岩が産出する。石灰岩を砕いて焼き物のかまどで焼き、その後水と混ぜて熱反応をさせれば消石灰が作れる。


 消石灰は堆肥と並んで農業生産力をアップさせる効果があるから、その需要は底なしだ。それ以外に建築資材としても漆喰の主原料として使われる。

 そういった米の取れ高に現れない収入も加味して貫高を算出しなければ不公平感が生まれる。


 各村の貫高算出は当面の間は商人衆に任せようか。商人ならその村の資産価値をある程度正確に把握できるだろうし、各村に出入りしているから横並びで公平な評価も出来るだろう。

 商人衆が算出した領地の貫高を元に軍役と年貢の額を決め、常備軍への給料と六角家への年貢を支払った残りが国人衆の手取り収入になる。

 手取り収入と直接雇用された際の俸禄とを秤にかけ、領地を維持するよりも俸禄をもらった方が良いと判断する者は領地を返上して旗本衆に加わるということにするか。


 それと、官僚制を成立させるためにはもう一つ作っておかなければならないものがある。


「近江国として統一した式目が欲しいな」

「式目……ですか?」


 進藤を筆頭に全員が眉根を寄せる。まあ、見たこともないものは想像しにくいよな。


「うむ。近江を治めるための法だ。今のままでは北近江と南近江で争論や役割分担の判断が変わることが出てくるだろう。それは不公平感を生む原因になる。

 基準となる法を制定することで公平な判断を行えるようにする」


「……」


 全員言葉が無い。やっぱりピンと来ないか。

 俺が草案を作って評定で揉んでいくことにしよう。


 とりあえず、今日はここまでにして風呂にでも入るか。俺も加齢臭が気になるお年頃だ。


定頼の時代に常備軍を創設するにはどうすればいいか足りない頭で考えてみました。

制度作りって難しい……

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― 新着の感想 ―
[一言] 岩城さんはようやく自分の立場がわかってなにより、伴さんは六角さんの御用商人だからね。 これ以上グズると敵対行為と見なされかねない。 あなた実は首が物理的に危なかったかもよ。 新敦賀郡司殿は…
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