接点
・貞吉四年(1546年) 一月 近江国滋賀郡 坂本城 六角定頼
「さて、いかが致しますか」
正月早々進藤と共に額を突き合わせる。話題は昨年末に松平信孝から提案された件だ。
各郷に正確に命令が行き届いていないという現状に対し、どのように対処すべきか。
正直、頭が痛い。
「下知状をもっと分かりやすく出してはどうだ?」
「無論、それも必要でしょう。ですが、そもそも読み書きのできる人間を郷村に配置すべしという話には頷ける点もございます」
「ふぅむ……」
村役人……庄屋・名主のような存在か。
今でも帰農した地侍などがそういった役目を果たしている村落はあるし、それらを正式に六角家の下級役人として登用すれば実現は可能だ。
だがなぁ……。
現在の村落は人別を基礎として寺で管理している。そこに新たに村役を作れば、寺と村役の二重統治となって住民の負担となる恐れがある。
加えて、その実現には『六角家の直轄地では可能』という条件がつく。知行地を維持し、独自に経営を行う領主にとってみれば、自領の郷村に六角家の代官が派遣される形になる。こうなるとあからさまな内政干渉だ。
……やはり、六角家が登用するのではなく村落自治の一環として村役を配する形でなければ無用の混乱を招く、か。
村役……村役なぁ……
「失礼します。法界寺の一渓和尚がお見えです」
居室の外から声がかかる。
そう言えば、一渓が正月の挨拶がてら遊びに来ると文を寄越していたな。
「将棋盤を用意させましょう」
「ああ、酒も頼む」
進藤が話は終わりとばかりに立ち上がる。進藤もそう簡単に答えが出る問題ではないと理解はしているんだろう。
進藤が居室から去ったところで、入れ替わりに一渓が入って来る。
相変わらずニコニコとして憎めない男だ。
一渓は元々佐々木氏庶流の勝部氏の出身で、長じてからは関東に行って田代三喜から医学を学んだ。武士でありながら医学の道を志した変わり種だ。
俺と知り合ったのは相国寺で修業していた頃だ。あの頃の一渓は相国寺付きの稚児だったが、俺とは不思議と馬が合った。
寺の稚児と言えば多くは衆道の対象になるもんで、俺と一渓も一時期噂にはなったが、俺にそのケは無い。何かあると寺を抜け出し、一緒になってよく遊び回るのが常だった。
もっとも、酒を飲んだり博打を打ったりと、悪い遊びを教えた間柄というのは間違いじゃないんだが……
その時の縁から今でもこうやって時々坂本城に遊びに来る。
酒好きの破戒僧だが、不思議と人に憎まれない男だ。
そんな一渓だからこそ、津田村の法界寺を任せていた。あそこは元々久里の領地で、俺が家督を継いだ頃は反六角の急先鋒の場所だった。
だが、今では一渓のおかげで騒乱のその字も起きない平和な村になっている。
挨拶もそこそこに一渓が将棋盤の前に座った。
それを見計らったように酒が運ばれて来る。肴は焼いた塩鮭だ。
お互いに酒を一口。
一渓は美味そうに酒を飲むが、俺の酒は健康面を配慮してだいぶ水で薄めてある。おかげでそんなに美味い物ではない。
「どうにも、薄い酒は飲んだ気がせんなぁ」
「ははは。承亀様(六角定頼)には大事な御身であらせられますからな。進藤殿のご配慮でありましょう」
軽口を叩きながら将棋の駒をお互いに置き合う。
やがて盤面も中盤に入って来たところで、一渓がポツリと口を開いた。
「……何やら、御悩み事がおありですかな?」
「ん? どうしてだ?」
「打ち筋に何やら迷いが見えまする。いつもの承亀様であれば、もっと攻めに出ておられるように見受けます」
無意識に守りに入っていたか。
いかんな。そんなことでは。
……そうだな。
塩止めは何も保内衆が独占せずともよい。抜け荷があろうと無かろうと、要は肝心かなめの時に甲斐の民衆が塩を買えなければ良いのだ。
やりようはいくつもある。
今すぐに郷村を統制して抜け荷を完全に封じようと考えるから無理が出るんだ。
「一渓の言う通りかもしれんな。いつのまにか、俺は自分の考えに固執しすぎていたのかもしれん」
「ほっほっほ。拙僧はただ盤面のことを申し上げたまででございますが」
思わず苦笑する。
年を経て随分食えない坊主になったな。昔はもっと可愛げがあったはずだが。
「そう言えば、津田村の様子はどうだ?」
「ま、取り立ててどうとは……。そういえば、木原様というお方が寺に参って子供達に読み書きを教えてくださるようになりましたな」
「ほう……」
寺で読み書きを、な。
「それは一渓がやらねばならぬことのはずだが?」
「いやっはっはっは。ま、是非にもと申されるのでな。拙僧もそこまで言われれば是非も無く」
まったく、体よく押しつけやがったな。
「それは銭を取って教えておるのか?」
「いえいえ。貧しき家の子も分け隔てなく教えてくださりまする。その代わり、西川殿を始め裕福な村の衆が木原様の生活の一切を面倒見ておる状況でして」
「それは良いな」
思わず膝を打った。いわゆる後世の寺子屋だな。
今のご時世、京や堺では公家や茶人が物を教える商売はかなり広まっている。源氏物語や漢文・漢詩、あるいは古歌などを教養として教える私塾だ。
だが、これは上級町人のサロンのようなもので、貧乏人が教わりに行くことは困難を極める。
何よりも月謝が高額で、それを払えていることが一種のステータスにもなっているほどだ。
反面で初等教育機関としての寺子屋はまだ充分に整備されていない。六角家から各郷村の寺に『奨励』してはいるが、義務化までは出来ていない。
理由は簡単で、人別や奉行所の出先機関となった寺にはそれでなくとも日常業務が山積みになっている。その上、ボランティアでの教育活動まで実施出来ている所はほぼないと言っていい。
出来もしないことを義務化しても上手く行くはずは無いからな。
それらを解決するのに、津田村のケースは良いモデルケースとなるだろう。
「会ってみたいな」
「……?」
「その木原とやらだ。津田村での取り組みはとても良い取り組みだと思う。出来れば、その木原とやらを俺に仕えさえて各地の村で同じことをさせたい」
「さて……それはいかがなものかと」
「何か不都合があるのか?」
「いえ、六角家に仕えるとなれば、木原様も津田村だけに住するわけにはいきますまい。ご本人がそれを良しとされるかどうかは、なんとも……」
ふむ……。
確かに地域に密着しているからこそできることでもある、か。
「ま、俺に仕えさせる云々は置いておいて、一度会ってみたいな。今度坂本へ連れて来てはくれぬか?」
「そのようにお伝えしておきましょう」
「よろしく頼む」
・貞吉四年(1546年) 三月 甲斐国山梨郡 躑躅ヶ崎館 武田晴信
山々はまだ相変わらずの雪景色だが、風が少しづつ暖かさを増して来た。
間もなく雪が溶ける。とりあえず都留郡一帯の支配は固めたが、代わりに諏訪を六角に取られた。
さて、どうしたものか……
「兵部(飯富虎昌)。間もなく雪が溶けるが、北条の動きはどうか?」
「今のところ、こちらに兵を出す素振りは見受けられません。小山田の残党などは北条を頼って相模へ落ちて行ったようですが、それらが都留郡の国衆と接触している形跡も見受けられません」
「上杉との遊びに夢中で、こちらに構っているヒマは無い、か」
越後公方も思ったよりは使えるな。
越後公方が古河公方と頻繁に使者のやり取りをしていることは北条も知っていよう。それがうまい具合に牽制になってくれている。
北条が都留郡に軍勢を向ければ、その背後を上杉が突く。少なくとも北条にはそう見えているはずだ。
「ただ、油断は出来ん。谷村城を任せた馬場民部(馬場信房)にも北条の見張りを怠るなと伝えろ」
「その谷村城ですが、北条と今川の軍勢を支えるにはいささか備えが心許なく思います。岩殿山に新たに城を築いてはどうかと。
ああ、いや、これは某の配下の者が申しておることですが」
「ほう……岩殿山な。どのような場所だ?」
「詳しくは、その者から直接ご説明をさせましょう」
兵部が合図をすると、隻眼の男が居室に入って来た。
片足を引きずり、小袖から覗いた腕も傷だらけだ。……足軽上がりか。
「山本勘助貞幸と申しまする」
「この勘助は近頃召し抱えた者ですが、近江や美濃、その他各地の城をつぶさに見、その縄張りの妙を会得したと申しております。岩殿山へ砦を築くことを進言してきたのもその知見からとのこと」
ほう。近江や美濃の城を見て来たと。
「勘助とやら。岩殿山に砦を築き、北条との戦に備えよと申したそうだな」
「ハッ。岩殿山に城を築き、谷村城のと連携すれば、僅かな兵でも充分に守り切れましょう」
「岩殿山はそれほど良い場所か?」
「されば、岩殿山はこの地にございます。ここは桂川と葛野川が交わる場所であり、その西に突き出した山の上にいくばくかの平地がありまする。この平地は四方を急峻な山に囲まれており、大軍で攻め寄せるには大変な苦労がありましょう。この平地を城と為せば、都留郡の守りは盤石となりまする」
「ふむ……」
視線を兵部に向けると、兵部も賛同するようにコクンと頷く。
反対側に座る美濃守(原虎胤)も同様だ。
「よかろう。勘助と申したな」
「ハッ」
「その方を直臣として召し抱えよう。知行二百貫を取らせる」
勘助が驚いて顔を上げる。新参者には破格の待遇だ。
だが、今の武田には人が足りぬ。使えそうな者は誰でも使っていかねばならん。
兵部が儂に引き合わせたのも、儂の直臣とせよということであろう。
「ただし、半年以内に岩殿山城を形にせい。谷村城の馬場には普請の人足を出すよう儂から文を出す。一日たりとも遅れることは許さん。良いな」
「……ハッ!」
岩殿山に城を築けば、諏訪に兵を向けることも出来る。
諏訪を六角から奪えば、小県に進軍している斎藤も撤退せざるを得まい。
だが、問題はその後よ。
そうなると儂が六角と正面から組み合うことになってしまう。
諏訪郡を取ることが果たして武田の益となるか、そこを今一度考えねばなるまい。




