挑発
・貞吉三年(1545年) 二月 安芸国高田郡 吉田郡山城 毛利隆元
「この期に及んでまだシラを切るつもりか!」
「だから何度も申しております通り、我らがやったという証がありますまい。こちらとしても見ず知らずの坊主の首を送りつけられて、はなはだ迷惑してござる。詫びと言うならば、こちらが詫びて頂きたいところですぞ」
父上(毛利元就)に家督を譲るからと言われて戻って来たが、早々に尼子の使者を迎える羽目になった。それはいいのだが、お使者の能登守殿(亀井安綱)は先ほどから随分と居丈高な物言いだ。
話には聞いていたが、どうやら父上と尼子が揉めているというのは真のようだな。
「ええい。話にもならん!」
「能登守殿、どうか落ち着いて下さいませ」
「黙れ小童!」
む……。
確かに儂には父上ほどの風格は無いかもしれんが、仮にも毛利の嫡男だ。その儂に対してこの物言いは毛利に喧嘩を売るも同じ。この能登守という男は余程に思慮が足りぬのか。
「そこまで言われては、こちらも退くに退けなくなりますぞ」
「ほーう、面白い。退けねばどうすると言うのだ」
「それは……」
チラリと父上に視線を移すと、父上は難しい顔で俯いておられる。
いかんな。まだ機が熟さぬということか。
しかし、家臣達も見ている。ここまで言われて、何も言い返せずでは……。
「申してみよ! 小僧! 退けねばどうすると言うのだ!」
「そ、それは……」
くっ……言い返さねば、家臣達の目が……。
「まあ、戦と言う事に相成りましょうな」
「父上!?」
驚いて父上を振り返ったが、父上は儂を制止して能登守殿に顔を向けた。
戦の準備は整っているということか?
「面白い。では、毛利はこの尼子に喧嘩を売るということだな!」
くっ! 勝手な言い草を……。
喧嘩を売っているのはそちらではないか。
「そう言いたいのはやまやまですが、我らとしても六角公方様(六角定頼)に何の断りもなく戦をするわけには参りませぬでな。
それ故、こちらも一旦は飲み込んでこうして穏便に話し合いをと申している次第でございますが……」
「ろ、六角公方だと?」
ふむ。六角の名を出した途端に少し大人しくなった。
尼子も六角と正面切って戦う覚悟はまだ無いと見える。
「それとも、修理大夫殿(尼子詮久)は既に毛利と戦をすると六角から了解を得ておられると?」
「ぐむむ」
そんな訳は無い。尼子が六角から毛利征伐の許しを得ているのならば、問答無用で攻め寄せるはずだ。
この戦はあくまでも尼子と毛利の私闘。そうしておかねば、尼子も後々の問題があると思っていると言う所か。
なるほど。だからこの男はこれほど我らを挑発しているのだ。毛利を怒らせ、毛利から喧嘩を吹っ掛けさせる。そうなれば、これは尼子と毛利の私闘であると言い張れる。
父上は尼子の腹積もりを見抜いておいでなのだな。
「ええい、話にならん! 儂はこれで失礼する!」
能登守がドスドスと足音を響かせて出ていく。どうやら目論見が外れたようだ。左衛門尉(桂元澄)が慌てて見送りに出るが、廊下でまた派手に怒鳴り声が鳴った。
これほど腹の立つ使者は初めてだ。儂も家臣達も腸が煮えくり返る思いだが、ここで手を出すわけにはいかんか。ここで使者が討たれれば、それこそ尼子に戦の口実を与えることになる。
口惜しいことだ。
・貞吉三年(1545年) 二月 安芸国高田郡 吉田郡山城 毛利元就
ふう……。話の通じん相手と話すのは疲れるのぅ。
まあ、そもそも向こうに話をする気が無いのだから仕方がないか。
まったく、儂を挑発して怒らせようとは、随分と舐められた物だ。
まあ、確かに儂を怒らせるにはあの男は適任だ。そもそも、亀井という名が気に食わん。あ奴の父は我が弟(相合元綱)をそそのかして毛利を割ろうとした張本人ではないか。
そんな男を使者に寄越すとは、修理大夫も相当焦れて来ていると見える。
自室に戻ると太郎(毛利隆元)が疲れた顔で入って来た。
「太郎も随分な言われようであったな。よくぞ耐えた」
「は……。今尼子と事を構える訳には参らぬと存じまして」
「その配慮を頼もしく思うぞ。あの場に次郎(吉川元春)が居たら怒りのあまり切りかかっておったかもしれん」
「……しかし、いつまでもこのように馬鹿にされたままでは家臣達が頼りなしと思いませぬか?」
太郎め、心配そうな顔をしおる。
まあ、気持ちは分からぬでもない。これほど舐められたままではいかにも具合が悪い。
左衛門尉が疲れた顔で広間に戻って来た。
また随分と怒鳴られたのであろうな。
「お使者殿、今しがた郡山城を出られてございます」
「うむ。左衛門尉、良い所に来た」
「何事かありましたか?」
「そのお使者殿だがな。安芸を出た所で仕物(暗殺)にかけよ」
「……は?」
「父上! お待ち下され!」
突然太郎が隣で喚き、左衛門尉は間の抜けた顔をする。
うるさいのぅ、まったく。
「そんなことをすれば尼子と戦になります! 何のために毛利は、家臣達は亀井能登守の挑発に耐えたのですか!」
戦……戦のぅ。
「誰も戦をせぬとは言っておらんぞ?」
「し、しかし……『六角公方様の許しが無い』と父上御自ら先ほど申されたばかりではありませんか」
「左様。まだ六角から後詰すると明確に連絡をもらったわけでは無いからな。しかし、尼子から喧嘩を売って来たのならば話は別だ」
「た……確かに、尼子が攻めて来るならば我らは六角に救援を依頼することになりかねませんが……」
「『かねん』のではなく救援を依頼するのだ。左衛門尉も聞け。
昨年末に信濃で斎藤と村上が争った。結果は引き分けだそうだが、村上は今度こそ斎藤を圧倒するために越後公方(足利義輝)に救援を求めているという話だ」
「なんと! では、足利と六角が再び争うことに……?」
太郎も左衛門尉も驚きを隠さぬ。
やはりまだ耳には入っておらなんだか。
「そうならせてはマズい。来島の要請を受けて六角を動かしたことで、今や毛利は大内の一家臣という分を越えた影響力を有した。尼子がムキになって儂を挑発して来る本心もそこにある。
毛利をこれ以上増長させまいという腹積もりであろうよ。
だが、毛利とて一皮むけば所詮安芸の国衆。未だ尼子と正面切って争うほどの力は無い。尼子と戦をするには、どうしても六角の力が要る」
太郎は未だ思案顔だが、左衛門尉はさすがに気付いたようだな。
「では、六角の目をこちらに向けさせるために?」
「そうだ。今の六角公方の目は信濃に向いている。最悪の場合、弾正殿(六角賢頼)の進軍は備前までとして一旦軍を返すことも考えられる。そうなれば、後に残るのは尼子に睨まれた毛利だけだ」
大内はもはや頼れん。名だけ上げて実力の伴わぬ毛利では、いずれ尼子に食い殺されよう。
出来ればもう少しこちらを高く売りたかったが、もはやそうも言っておれぬわ。
「だから尼子に戦を起こさせようと……」
「し……しかし、ならば何故能登守を仕物にかけるので?」
「太郎。先ほども申した通りだ。儂はまだ六角公方から後詰すると言われたわけでは無い。この状態で毛利から喧嘩を売れば、最悪の場合六角に切り捨てられる可能性もある。
そうさせぬために、毛利はあくまでも理不尽な喧嘩を売られ、進退窮まって六角に縋ったという形にせねばならん。こちらから喧嘩を売るのではなく、相手から喧嘩を吹っ掛けさせねばならん」
「そうか……。進退窮まって救援を乞う相手を切り捨てたとなれば、六角の武名にも傷がつく」
「そうだ。我らは六角公方を否定せぬ。それどころか、積極的にその勢力を広げる後援をした。その毛利を切れば、六角は頼るに値せぬと自ら天下に宣言することになる。
天下を取った者は、誰よりも頼もしく在らねばならんからな」
ふむ。太郎もようやく得心がいったか。
例え信濃の戦いで敗れたとしても六角が崩れ去るほどにはなるまい。天下の事は六角公方が心配すれば良い。我らはその間に尼子を潰せれば充分。
使える物はせいぜい使わせてもらう。
「では、早速に手配りを」
「ああ、待て。真に討ってはならんぞ。矢を射かけて手傷の一つも追わせれば充分だ」
「は……しかし、それでは毛利の仕業と尼子は喧伝致しましょう」
「なればこそ、安芸を出てからだ。安芸で仕掛ければ天下が毛利を疑うは必定。だが、尼子の領内に入ってからであれば尼子も恥を晒すわけには行かぬようになる」
「それでは、挑発の意味が無くなりませんか?」
「なに、あの阿呆(亀井安綱)ならば頭に血を昇らせてくれようさ。能登守を怒らせ、小勢で安芸に攻め入ったらしめた物。修理大夫も足軽の端々にまで目を光らせているわけではあるまい」
「……承知致しました」
うむ。左衛門尉もなかなか悪どい顔になったな。
良い。実に良い顔つきだ。
・貞吉三年(1545年) 三月 近江国滋賀郡 坂本城 六角定頼
「そうか。来島(村上通康)の要請で……」
「ハッ! 蒲生様は南軍を率いて調停に当たられていますが、やはり戦は避けられぬ情勢とのこと。念のため、大本所様にもお知らせせよと蒲生様より言付かって参りました」
「ご苦労だった。一旦下がり、休むが良い」
「ハッ!」
……どうもいかんな。
賢頼を蒲生と海北に補佐させて滝川勢三百は信濃に回すつもりだったが、蒲生が伊予征伐に回った以上は滝川を引き抜くわけにもいかん。肝心の賢頼の軍勢が骨抜きになれば中国征伐どころではない。
そもそも、今回の伊予攻めは毛利に言われて起こさせられた。周囲に人を配しているとはいえ、賢頼はまだまだ二十代の若者だ。
老練な毛利元就にいいように使われてしまっているのかもしれん。
隣の新助(進藤貞治)に視線を移すと、こちらも難しい顔をしている。
「どう思う?」
「伊予攻めは少々やりすぎですな」
「新助もそう思うか。俺もだ。毛利にいいように使われ過ぎではないか」
「左様……。場合によっては、御本所様(六角賢頼)には一旦軍勢を返して頂いても良いかもしれません。伊予を制して瀬戸内をこちらの勢力圏に収めれば、大内殿には船で後詰を送ることも出来ます。
信濃がキナ臭くなってきた今、無理に山陽道を進むことは無いかもしれません」
ふむ。
確かに、そもそもこの西国攻めは、大内……正確には毛利の要請に応じた物だ。その毛利や大内には援軍や兵糧をいつでも送れる目途はついた。
賢頼を一旦下がらせ、備前までを勢力圏とすれば初期の目的は達せられる。
「そうだな。新助の言う通り、西国攻めは一旦ここまでで……」
「失礼いたします! 備前の御本所様よりのお使者にございます!」
ん? 賢頼から?
「通せ」
「ハッ!」
待つほども無く池田高雄の倅の景雄が入って来る。
少々厳しい顔をしているな。備前で何かあったか。
「どうした?」
「ハッ! 尼子の軍勢二百が安芸に攻めかかったと報せが参りました!」
「何! 本所はどうしている!」
「毛利から救援の要請が入り、尼子との調停の為に使者を遣わせる一方で軍勢を備中に向けて進発すると申されました。今頃は備中に入られた頃かと思われます」
なんてこった。
尼子が毛利に噛みついたか……。
「某は大本所様に事の次第を報せ、併せて西国への後詰をお願いするようにと遣わされました。何卒、大本所様のご出馬をお願い申し上げます」
ええい、始まってしまった物は仕方ない。
毛利元就は老獪な男だが、ここで見捨てる訳にはいかん。西国が六角を頼りなしと思えば、何のための西国征伐だとなってしまう。
「分かった。しばし下がって休め。返事の書を持たせる」
「ハッ!」
東も西も同時に火が付く。
まったく、もう少し空気を読んで欲しいもんだ。




