倭寇の頭目
・貞吉二年(1544年) 八月 摂津国欠郡 堺 顕本寺 六角定頼
明国人の通訳がヒノキの板に筆を走らせる。
流石は海の男だな。通訳とは言え真っ黒に日焼けしている。それにたくましい体つきだ。
通訳が文字を書いた木片を受け取り、内容を確認する。俺の返事を木片に書き、再び通訳に渡す。
通訳がポルトガル人二人に何事か話し、フランシスコが返答したことをまた通訳が木片に書く。
面談相手のポルトガル人は、フランシスコ・ゼイモトとアントニオ・ダ・モッタと名乗った。交わした会話は自己紹介のみで、その後はこうして筆談で意思疎通を図っている。
見たところフランシスコが頭領格と言う感じかな。さっきから通訳と話をするのは主にフランシスコばかりで、アントニオの方は時たま短い単語を言うか、頷くかばかりしている。
当然のことだが、ポルトガル語の通訳なんて日本には居ない。俺だってポルトガル語なんて話せないしな。せめて英語だけでも話せればなぁ……。
まあ、今更言っても仕方ないか。
それに、所々聞き取れた単語もある。”ジパング”だとか”マーセナロ”だとか。
朧げな記憶と通訳の漢文から察するに、この二人はどうやら商人と言うより傭兵団。現代でイメージするところのいわゆる『海賊』と言うべき人間のようだな。
無論、海賊だからと言って港から港へ喧嘩を売って回るわけじゃない。そんなことをすれば命がいくつあっても足りない。
友好的な都市とは通常の商取引をし、敵対的な都市からは略奪行為をする。その意味では、彼らはまさしく商人だ。仕入れルートが多少物騒になる場合があるというだけだ。
『ところで、諸君らは日本に滞在する気はあるか?』
俺が書いた漢文に対し、通訳とアントニオが長い会話をする。アントニオがこれほど喋るのは初めてだな。よほどに気になると見える。
そこへフランシスコも参加し、聞き取れない言葉がひたすら飛び交う。
さっきから進藤も訳が分からないという顔でじっと耳を傾けるだけだな。いかに進藤貞治が交渉の達人とはいえ、言葉が通じない相手では如何ともしがたいか。
『半年ほどは滞在する』
通訳が短い文章で伝えて来る。
どう考えてもそんな単純なやり取りには見えなかったんだが……。まあ、伝えにくいこともあるのだろうな。そもそも俺の腹が見えなければ話せる内容にも限りはある、か。
……そうだな。先にこちらの意のある所を伝えようか。
『二人にその気があるのならば、俺に仕えてもらいたいと思っている』
『仕えるとは、二人を国王の城に留めるということか?』
『違う。二人の航海を俺がこの国で支援する。航海で手に入れた物は俺に献上してもらうが、正当な対価を払う』
『あなたが我々に何を伝えたいのか分からない』
う~ん……。やっぱ、筆談では限界があるか。
「つまり、俺がお主らのスポンサーになるということだ」
俺の声に会談相手の二人。いや、通訳と進藤を含めて四人がポカンとする。
『スポンサー』じゃ伝わらないか。
要するに、この二人には堺を根拠地として航路開拓を行ってもらいたいということなんだ。
二人の話から、航海には王室や富豪らがカネを出していると聞いた。考えてみれば当然で、大海原に漕ぎ出すには莫大な資金と資材を必要とする。となると、それを負担してくれる相手が必要になる。
そして、スポンサーになるのは何もポルトガルやスペインの王室に限った話ではない。大商人らもスポンサーになっているそうだ。極論を言えば、カネさえ出してくれれば誰でもいい。
なら、俺がスポンサーになって航海を支援してもいいわけだ。
日本を根拠地として日本の資材を使った船を作り、日本からも交易船を出していく。日本発の大航海時代というわけだな。
聞いた話では、今のところ東シナ海の覇権はまだ混沌としている。
イスラム商人を追い立てる形でポルトガルが進出し、さらには倭寇と呼ばれるアジアの海賊達も東南アジアに進出している。いわば三つ巴の状態だ。
情勢が混沌としているということは、言い換えれば日本にもまだ進出するチャンスがあるということだ。
ポルトガルの交易船を待つだけでは、相手の土俵で勝負しなければならなくなる。日本はポルトガルが売りたい、売ってもいいという物しか買えない反面、ポルトガルは日本から買いたい物を買って行ける。
生糸や鉄砲と言った現物は売っても、造船技術や航路などの技術やノウハウは決して公開されないだろう。
だが、俺が組織した船が買い付けに行くのならば話は別だ。相手が俺を舐めた態度を取るなら、取引相手から外すことができる。
『ポルトガルに頼らずとも替わりは居る』
交渉事を優位に進める為には、その前提を作っておく必要がある。それで初めて対等な交渉が出来る。
その為にも海外との接点を積極的に求めておきたい。
この二人が俺のお抱えになれば、そういったことも不可能じゃないはずだ。
こいつらが内心で祖国の利益を優先したいと思っても、カネと資材を出すのは俺だ。俺の意向に逆らうことは出来ないはずだ。
それに、この話は二人にとっても悪い話じゃないはずだ。
今後ポルトガル船は日本に頻繁に来航する。それは日本が魅力的な市場だったことに他ならない。ならば、日本の物品を持って来てくれる交易船は相手にとっても価値がある。
二人にも先行者利益として十分な見返りが期待できるだろう。
……ということを伝えたいんだが、適切な単語が出てこないな。
「パトロン。と、言えばいいのかな」
ポルトガル人達の顔がピクリと動く。どうやら『パトロン』は通じたようだな。
『少し休憩させてもらえないだろうか』
そう言えばもう昼飯時か。
『分かった。食事の用意をさせよう』
・貞吉二年(1544年) 八月 摂津国欠郡 堺 顕本寺 アントニオ・ダ・モッタ
「風変りな王だな。『オホンヨサマ』(大本所様)と言ったか。あれがこの国の王なのか?」
「そうらしい。昨年にかつての王を打倒し、新たに国王になった男だそうだ」
「意欲的な国王のようだな。我々を支援したいと言っていた」
「おいおい、アントニオ。まさか本気にするつもりか? そもそも彼はこの世界のことを何も知らない。我々の話だって、どこまで理解しているか怪しい物だ」
笑いながらフランシスコが提供された食事を口に運ぶ。
これは牛肉か。味付けは珍妙だが、悪くない。リャンポーでもこれほど贅沢な食事でもてなされたことは無かった。
オホンヨサマの財力と気前の良さは本物だ。我々のパトロンとなるという言葉も嘘ではないと思うが……。
「第一、この国でどうやって船を作る? 言ってはなんだが、この国ではどの船も奴隷が櫂を漕いでいた。明の船と比べても相当に旧式だ」
「それは明から船大工を連れて来ればいい。キャラックとは言わないが、ジャンク船ならば充分に作れるはずだ。それに、この国の帆は随分と上等じゃないか」
私の言葉にフランシスコも渋々ながら頷く。サカイに停泊していた船の帆はどれも見事なものだった。あの帆ならば、外洋の荒波にも充分に耐えられる。
「何より、フランシスコも見ただろう? オホンヨサマの後ろの小さなテーブル(式台)には黄金が山のように積まれていた。あれだけの黄金を事も無げに出してくれるというのだ。さすがは『黄金の国』の国王だ。
これは好機なんだよ、フランシスコ。かのクリストヴァー・コロンボ(コロンブス)だって、メディナセリ公の援助を受けるまではうだつの上がらない航海士の一人だった。彼が新大陸の総督となれたのは、メディナセリ公とイスパーニャ王の援助を受けたことが大きい。
『オホンヨサマ』は我々にとってのメディナセリ公だ。そうは思わないか?」
「コロンボはそれ以前から地図製作者として名声を得ていた。世界の果てのアジアで海賊の手下になっている我々とは違うさ」
「フランシスコ、君は反対なのか?」
「……リーダーは君だ。君が今回の提案に乗るというのなら、私も従う。
だが、提督にはどう説明する? 我々はあの恐ろしい海賊を裏切ることになるんだぞ?」
フランシスコの指摘には反論のしようが無い。確かに、あの提督に逆らってこの海域で商売をすることは自殺行為だ。
幸い通訳の男は別室に通されていて今の会話を聞かれてはいないが、用件が済めば彼は提督の元に戻るだろう。隠し通すことは出来ないと思った方がいい。
「彼だって……」
「なんだって?」
「提督だって、ジパングの王と直接交渉ができるわけじゃない。提督は精々『ハカタノツ』の商人やマッツラドンナ(松浦殿、松浦隆信)と交流を持っている程度だ。
……そうだ! その件もオホンヨサマに話をつけて貰えばいいんだ。提督もジパング国王の言うことならば無視は出来ないはずだ」
「ふむ……」
フランシスコが再び考えこむ。私だって提督は恐ろしい。
だが、ここでチャンスを掴めば我々も『提督』と呼ばれる身になれる。海賊の使い走りなんかで一生を終えることも無い。
そうだ。これは我々に与えられた千載一遇の好機なんだ。
・貞吉二年(1544年) 八月 筑前国那珂郡 博多津 布施源左衛門
「おっと」
突然壁にぶち当たって歩みを止める。前を歩いていた男が立ち止まったようだな。
辺りには人の気配がいくつかある。どうやらここが目的地と言う訳か。
「もういいか? いい加減目を開けさせてもらいたいんだが……」
返事は無く、無言で目隠しが外される。
……眩しい。陽の光が目に痛い。
ここはどこだ? 見慣れない場所だな。
どこかのあばら家か。目の前は明るいが、隅の方はやけに薄暗い。
……暗がりに誰か居るな。
「あんたが儂を招いてくれた御大将かい?」
「そうだ。手荒な真似をして済まない」
目が慣れてくると話している男の姿が見えるようになってきた。
商人か。それも随分身なりがいい。
だが、こんな商人は今まで会ったことが無い。博多の商人とはあらかた顔見知りになったはずだが、こいつは一体何者だ?
「まあ、いいさ。用件が済めば無事に帰らせてくれるんだろう?」
「それは、あなた方の返答次第だ」
……物騒な話になって来やがったぜ。まったく。
「じゃあ、その用件とやらを教えてくれ。一体こんな老いぼれに何の用があるってんだ?」
「あなたは近江の大商人だそうだな。それも、六角定頼公お抱えの楽市会合衆の一人だと聞いた」
本当に何者だ?
儂が石寺会合衆の一人だということは厳重に伏せておいたはずだ。儂はあくまでも近江から所払いをされた老いぼれで通している。
儂の正体を知る者は博多には居ないはずだが……。
「……人違いじゃあないか? 儂は不義理を働いて郷里を追放されたジジイだ。確かに郷里は近江だが、今や戻ることも出来ずにここで細々と商売をして食いつないでいるだけの男だ。六角様のお抱えがどうのこうのという話には、縁が無い」
「隠さなくてもいい。調べはついている」
相手の男がニヤリと笑う。歯だけが白く光って不気味さが増してきやがる。
ひい、ふう、みい……手下はざっと十人。どいつもこいつも俊敏そうな体つきだ。一息に逃げ出したとしてもたちまち追いつかれてしまうな。
無意識に胸元に手を伸ばす。っと、そう言えば懐剣もさっき取り上げられたっけ。
伴さん……万一の時は、倅のことを頼んだぞ。
「なに、そんなに難しい話じゃない。堺に連れていかれた私の配下を返してほしいだけだ」
「あんたの配下?」
「そうだ。種子島に居たが、定頼公の招きによって堺に行ったと連絡があった。定頼公が一体何の用で呼び出したのかは知らないが、彼らは私の配下だ。返してほしい。
あなたから口を添えてもらえば、定頼公も無下には出来ないはずだ」
訳が分からんが、どうやら六角様がまた何かやらかしたようだな。その件で何か陳情がある。
しかし、表立って六角様に申し出る訳にはいかない事情があるようだ。となると、大名じゃない。そもそも武士では無いかもしれん。
そう言えば、大将を始め相手はいずれも黒く日焼けしている。
……もしや、明の商人か?
「何故、儂を仲介に選んだ。そんな用件なら六角様に文を書いたらいいだろう」
「私が文を書いたとしても無視されるのが関の山だ」
決まりだな。後ろに誰かが居るわけでは無く、こいつ自身が配下を取り返したいんだ。しかも、武士を介さずに密かに事を運びたい。
でなければわざわざ儂を強引にさらって来る必要はない。
「今すぐには無理だ。敦賀に戻る船は先月に出てしまった。次に船が来るのは二十日ほど後になる」
「心配はいらない。私の船であなたを敦賀まで送ろう。私は敦賀に留まり、あなたからの返事を待つ」
「儂が裏切って兵を率いて来るとは思わないのか?」
「その時は、あなた方は今後硝石を買うことができなくなる。あなたならばこの意味は分かるだろう」
そう言うことか。
コイツが明から硝石を仕入れて来るという商人だな。儂らが砂糖や唐物に混じって硝石を買い集めていたことも知っているか。
「それに、私は敦賀にも何度も行ったことがある。あなた方には知り得ない航路も知っている。たとえあなた方が襲いかかって来たとしても、出航してしまえば逃げ切るのはたやすい」
むむ……まあ、選択の余地は無いか。
「分かった。とりあえず取り次ぐだけは取り次ごう。だが、あんたの望みが叶うかは言上してみなければ分からん」
「それでいい。理解が早くて助かる」
周囲の男達も警戒を解いた。どうやら本当にそれだけが目的のようだな。
「ところで、あんたの名は?」
「私の名は、王直と言う。シャムや安南との交易を生業としている」




