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平和の価値

 

 ・貞吉元年(1543年) 八月  近江国蒲生郡 津田村  朝倉長夜叉



「千絵殿、只今戻りましたぞ」

「お帰りなさいませ。まあまあ、そんなに汗をかかれて……」

「いや、世話になっているのだからこれくらいはさせてもらわぬと」


 額に流れる汗を手拭いで拭っていると、西川殿の孫娘の千絵殿が冷たい水の入った竹筒を差し出してくれた。暑い盛りに石寺楽市から歩いて戻って来たから、体も火照って喉もカラカラだ。冷えた井戸水を喉に流し込むと、まるで生き返ったような気分になる。


「肝心な時に父が足を挫いてしまい、本当に申し訳ありませんでした。お武家様にこのような真似をさせてしまって」

「いいのだ、千絵殿。私とてただ厄介になるばかりでは心苦しい。少しでも役に立てることがあれば、何なりと言ってくれ」

「まあ、ありがとうございます」


 一息ついて軒先に腰を下ろすと、千絵殿が今度は茶を出してくれた。

 暑い盛りに飲む茶もまた、乙な物だ。


 西川の家に厄介になってからもう三か月か。最初は一月だけの養生のつもりが、あまりに居心地が良くついつい長逗留となってしまった。西川右兵衛殿もそうだが、この津田村の者達は誰も彼もが気性が穏やかだ。惣村は隣村や守護・国人らと戦うこともしばしばで、よそ者と見ればあからさまに険悪な顔をする村も珍しくない。だが、この村の者達は皆気分よく笑っている。

 何とも奇跡のような村だな。


「おお、利右衛門様。お戻りになられましたか」

「只今戻りましたぞ」

「厄介なことをお願いして申し訳ありませんでしたな」


 千絵殿と入れ替わりに右兵衛殿が軒先に出て来た。

 千絵殿の父上の代わりに干鰯を受け取って来たから、その明細を右兵衛殿に渡す。右兵衛殿が明細を押し戴くように懐に仕舞うのを確認して茶を一口啜った。


「いかがでしたかな? 石寺楽市は」

「正直、驚いた。各地の商人が出入りし、常楽寺湊に入って来る船の帆は湖を埋め尽くすほどだ。それに、誰も彼もが明るく笑っていたのが印象的だった」

「それはようございました」

「一月の養生のつもりが、気が付けば長く逗留してしまった。迷惑にはなっていないか?」

「迷惑などと。叔父上様の勘右衛門様は和尚に代わって村の者に読み書きを教えて下さっておりますし、我らとしても助かっておりますよ」

「しかし、子供らに読み書きを教えるのがどれほどの役に立つのか」


「倅の伝右衛門が商売で成功したことで、商人になりたがる者が増えました。子供達も多くが商人になりたがります。ですが、商いをするならば何を置いても読み書きと数勘定を知らねばなりません。そうでなければ、村を飛び出してもたちまち食うに困ることになる。

 和尚もああ見えて中々忙しい男でしてな。勘右衛門様が読み書きを教えて下さるのは儂らとしても有難いことでございますよ」

「それならば良いが……」


 右兵衛(朝倉景隆)の機転で儂らは木原勘右衛門とその甥の木原利右衛門という事になっている。勘右衛門は法界寺の和尚に気に入られて話し相手になっているうち、いつの間にか近郷の子らに読み書きを教えることになってしまった。

 奇妙な成り行きだが、この村での暮らしは今までにない充足感を与えてくれる。津田村を離れがたいという気持ちになってしまう。


「いかがですかな? いっそのこと、木原様も津田村の人別(戸籍)に入られては」

「人別に?」

「ええ。六角様は平素は安くない年貢を持って行かれますが、いざ凶作の折にはお救い米などを郷村に下されます。その給米の高は人別を元に勘定がつきますので、今のうちに人別に入っておけばいざと言う時は木原様にも給米が下されます。

 あ、いや。勿論、津田村を離れて御家の為に働かれるのならば、強いてというわけではありませんが」


 人別か……。

 ここで津田村の人別に入るということは、私は朝倉の名を本当に捨てることになる。元々仕官の当てがあって関東を目指していた訳ではないが、しかし朝倉家を捨てることを右兵衛(朝倉景隆)が何と言うか……。

 それに、いつまでも西川殿に隠しておけることでもない。


「西川殿。実は、私の名は木原ではありません。私は河内にて足利公方について戦った落人なのです」

「……なんとなく、落人であろうことは承知しておりましたよ」


 目尻に皺を寄せながら西川殿が遠くを見る。何とも優し気な顔だ。


「いつから気付いておられました?」

「いつからと申せば、まあ最初から……ですかな」

「最初から……では、我らを六角の敵と知っていながら匿って下さったのですか?」


 西川殿は是も否も言わずに遠くを見つめたままだ。

 仮に六角家に知られれば西川家もただでは済まぬはずなのに、何故だ?


「我らを捕らえて六角家に突き出そうとは思われなかったのですか?」

「木原様が村に危害を加えようとされたならば、代官所に突き出しておったでしょうな。ですが、そうでなければ敢えて代官所に報せることもあるまいと思いました」

「何故です?」

「木原様が、困っておいででしたからな。困った時はお互い様という物。

 いや、これは偉そうなことを申しましたが、我らとてほんの二十年前であれば即座に六角様にお知らせしていたかもしれません」


 二十年前……つまり、六角定頼が家督を継いだ頃か。


「以前は我らも槍を手に隣村と戦っておりました。特に津田村は川の下流に当たり、日野川の用水を巡って三村荘とはよく戦が起こったと聞いております。儂の父や祖父なども戦の中で腕を無くしたり足を引きずるようになったりしていました」

「それを変えたのが六角内府(六角定頼)である、と?」


 西川殿が遠くを見たままゆっくりと頷く。まるでそこに当時の光景を見ているかのようだ。


「御当代様(六角定頼)は、村ごとの争いを式目によって裁くことと定められました。そして、郷村が戦によって独自に争いを解決することを固く禁じられた。田畑の境界や用水の権も過去帳の調査を経て厳密に定められ、村同士の諍いがあれば六角様の代官所が記録と式目に則って公正にお裁きを下すこととされました。

 最初はそれに反発する村もありましたし、従わぬ村は六角家に攻められることもありました。そうして土地を失った者の中には、未だ六角家に恨みを抱く者も居りましょう。先祖伝来の土地を取り上げられたわけですからな。


 ですが、そのおかげで我ら村の衆は槍や刀を持つ必要が無くなった。六角様は郷村から兵を徴収されることは無い。六角家の兵は、全て自ら志願して武士になった者達です。我ら百姓は安心して土地を耕せますし、突然の戦で働き手を奪われることも無くなりました。そして、そうやって集まった旗本の方々が領内を警備するようになると、野盗の類もすっかり鳴りを潜めました。


 不思議なもので、争いを自らの力で解決する必要が無くなると人の気質まで穏やかになりました。

 以前とは違い、村に新たな住人が加わることは皆歓迎しております。あなた方が村に危害を加えようとせぬ限り、村の者もあなた方を害することはありませんよ」


 ……なるほど。そういう見方もあったのか。

 榎並城に籠っていた者達は皆自らの土地を取り戻そうとしていた。武士ならば当然のことだ。だが、取り上げられた土地の百姓達はこれほどに穏やかに暮らしている。仮に六角が敗れればまた状況は変わるかもしれぬが、少なくともこの津田村の者達は六角の治世を喜んでいる。

 それは年貢が安いとかそういう事ではなく、『安心して暮らせる』という事なのだな。


「六角家の(まつりごと)は、良い(まつりごと)かな?」

「時に厳しくもありますが、少なくとも手前は満足しておりますよ」


 相変わらず和やかに笑ったまま、今度は力強く頷く。


 ……そうか。


「ああ、そう言えばその倅の伝右衛門ですが、近々戻って来ると文がありました。何でも蝦夷の蠣崎様から六角様への贈り物を持ち帰って来ると。

 利右衛門様を見て何か言うような倅ではないとは思いますが、念のためしばらく寺で過ごされてはいかがですかな?」


 ほう。蝦夷からの使者をも兼ねるとは、とても一介の商人の働きではない。

 近郷の子らが伝右衛門とやらに憧れる気持ちもわかろうというものだ。


「いや、構わない。それよりも、私も一度御子息にお会いしたい。紹介してもらえるだろうか?」


 しばし私の顔を不安げに見ていたが、やがて西川殿が承諾の返事をした。




 ・貞吉元年(1543年) 九月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



「ほう。ラッコの毛皮か」

「はい。蠣崎様より六角様へくれぐれも良しなにとお預かり致しました」

「ご苦労だった。早速こちらからも返書と返礼品を用意しよう」

「お役に立てて何よりでした」


『中一屋』西川伝右衛門がゆっくりと頭を下げる。

 蝦夷航路の開発に着手して十年近くなるが、とうとうこういった大物商人が出て来たか。


 蝦夷航路開発の旗頭として働いて来た伝右衛門は、今では各地の武家とも強固な関係を築いている。何せ上方の情報と産物を惜しげも無く運んでくれる存在だから、日本海各地の武家からも入港するや様々に招きを受るらしい。


 蝦夷の蠣崎、出羽の安東、羽前の大宝寺、揚北の新発田。いずれも国人クラスではなく守護や守護代並の大勢力だが、皆伝右衛門を歓待しているという。変わった所では、アイヌ諸族の族長とも多少付き合いがあるそうだ。蠣崎とアイヌ諸族はほんの数年前まで激しい戦の最中にあったそうだが、伝右衛門は双方から信頼を勝ち得ている。大したものだ。

 そして、伝右衛門が東国で最も親しく付き合っているのが越後直江津を抑える長尾景虎だ。


 敵も味方もまとめて伝右衛門から情報を得ようと招いているのは滑稽とも言えるが、やはり伝右衛門の人柄と手腕による所が大きいだろうな。


「で、越後の様子はどうだった?」

「海沿いはおおよそ平三様(長尾景虎)が制圧された様子です。ですが、左衛門尉様(長尾晴景)も六郎様(長尾政景)を味方につけ、相応の勢力を築いておられる様子。

 恐らく、今は双方水面下で敵方の切り崩しに取り掛かっている状況でしょう」

「そうか……。出来れば、左衛門尉に勝ってもらいたいものだが……」

「手前の観た所では、難しいでしょうな。平三様は今は駿河守殿(宇佐美定満)を立てておられますが、いざ戦となれば諸将は平三様の下知に従うようになるでしょう」


 ほう。未だ何の実績も無い小僧に過ぎぬ長尾景虎をそこまで買っているか。


「平三殿は戦上手かな?」

「目の付け所が違いまする。平三様は幼少の頃より、畿内の戦の話を聞いては何やら紙の上に地形を描いて駒遊びをしておられました」

「駒遊び……将棋とは違うのか?」

「将棋というよりは、戦場に見立てた紙の上に聞き知った情勢を再現しておられたのでしょう。いわば畿内の戦を自らの頭で再現しておられたものと思います」


 やはり、天才は子供の頃から一味違うということかな。

 いやはや恐いねぇ。


「……念のため申し添えますが、手前に左衛門尉様に味方せよと仰せになられても難しゅうございますぞ」

「やはり駄目か?」

「ええ。我らの船団には越後や羽前の者達も水夫として乗り込んでおります。それらの者はそれぞれ郷里に家族も居ります。

 加えて、いついかなる時も片方には味方せぬという約定の元で平和裏に各湊を通れるように安堵状を頂いておりますれば、ひとたびこの約を破れば我らは二度と越後や奥羽の湊を使えませぬ。

 まあ、六角様がもう蝦夷航路は必要ないと仰せになるならば話は別ですが」


 痛い所を突いて来る。

 蝦夷航路は必要ないどころか、これからますます重要度を増してくる。

 蝦夷の砂金や鷹、昆布に干し鮑などは今後の南蛮交易に必要な物ばかりだ。加えて、鮭や数の子などは今や畿内に必須の食料品になっている。

 何があっても今蝦夷航路を切るわけにはいかん。


 堺との戦いは、基本的に通貨を巡る経済対立構造だった。だからこそ、商人を切り崩すことで相手を翻弄できた。だが、物流においては越後と近江は協力関係にある。政治的、軍事的には対立していても経済的には協力が必須な関係だ。

 現代でもそういう関係は珍しくないが、その場合は経済ごと関係を絶つには双方にリスクが残る。越後経済は傷を負うだろうが、近江とて無事では済まない諸刃の剣だ。


 やはり、物流をネタに越後に介入するというのは最後の手段だな。


「分かった。お主は平三殿との関係は良好なのだな?」

「ええ。直江津に寄港した際は必ず春日山に顔を出すようにと仰せつかっております」

「その縁、決して切るでないぞ」


 伝右衛門が不思議そうな顔をして俺の目を見て来る。恐らく景虎とは距離を置けと言われると思っていたのだろう。

 だが、伝右衛門が景虎とも繋がっているのはかえって好都合だ。


「いずれ分かる。もしかすると、お主が江越和平の立役者になるということもあり得るぞ」

「手前が……」


 まあ、当分はその余地はないがな。


 さて、次は北畠の状況だな。後藤定兼が急遽観音寺城に来るという文が来た。水軍頭の角屋元秀も共にだ。北畠に動きがあったのは間違いない。


 ……今回は息子の賢頼に当主としてすべての判断を任せてみるか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] そういえば随分前に角屋水軍つくってましたっけ。出番がなかったので存在を忘れてました。西進するようになったら否応なく活躍の場ができるのでしょうけど。 [気になる点] 近江の歴史に詳しい定頼で…
[良い点]  いきなり事態が動くのでなく、伝聞という形で徐々に情報が入ってくることをうまく表現できていると思います。また読者に対する情報提供の手段として優れています。 [気になる点]  武士になりたい…
[良い点] ロハで平和は維持できませんからね 領民にもそれなりの負担がかかるのは当然でしょう 税は決して安くないみたいですが六角領に於いての年貢の税率は何公何民なんでしょう? [一言] 景隆も長夜叉も…
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