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第二次六角包囲網(7)屈辱に耐えて

 

 ・天文七年(1538年) 九月  尾張国愛知郡 鳴海城  六角定頼



「この度はご来援ありがとうございまする」

「うむ。四郎よ」

「ハッ……」


 義賢が俯いて俺の言葉を待つ。叱責が来ると思っているのだろう。


「よくぞ頑張ったな。松平次郎三郎は無類の戦上手だ。生半可な策略では追い詰めることは難しい。それでも、鳴海城を守り抜いたのは天晴だ」


 顔を上げた義賢の目から涙が溢れる。戦果としては大高城を落とされ、北河又五郎を討ち取られた。六角家としては手痛い敗戦だ。

 だが、鳴海城を守り抜いたことは松平にとっても作戦の失敗を意味する。これだけ大掛かりに事を起こした以上、鳴海城の奪取は必須事項だったはずだ。大高城一つを落としただけでは知多半島と清州を分断することは出来ない。鳴海城を一緒に奪うことで初めて六角の動きを制限することができるようになる。


「しかし、大高城は……」

「それは返させる」

「返させると言われましても……」

「なに、そのためにこちらにご同道頂いたのだ」


 そう言って隣に視線を移す。今や朝廷内でも重鎮の一人となった山科権大納言殿だ。


「義兄上……」

「ほほほ。四郎殿、少しは我ら朝廷の力も当てにされよ。御父上が麿とそなたの御縁を結んだのは、こういった時の為におじゃりますぞ」


 山科言継がやさしげに笑う。子供たちに大人のやり方を見せてやらんとな。


「そういえば、尼子はどうなりました?山城から父上が離れてしまっては……」

「何、当面は尼子も兵糧調達が最優先だ。すぐに行動を起こすにはお互いに兵糧が不足している。池田三郎(池田高雄)から松平が侵攻してきたと連絡を受けてすぐにこちらへ参ったのだが、少し遅かったようだな」


「その……よろしいのでしょうか」

「新助(進藤貞治)に全軍を預けて僅かな供回りだけで駆けて来たから、すぐには山城戦線は崩壊することは無い。とはいえ、俺が尾張に居られるのは十日が限度という所だ。その間に和議の条件を整える」

「和議を? しかし、松平のやり様を黙って見過ごすわけにはいきません」

「そなたの憤りは分かる。気持ちとしては俺も同じ気持ちだ。だが、今は松平への対応に全力を振り向けることは難しい。不利な戦いを強いられるのならば、戦わなければ良い」


 はっとしたように義賢が顔を上げる。横に控える尾張衆も同様だ。

 何としても松平を叩くという事にしか頭が回っていなかったようだな。だが、不利な戦をあえて戦う必要はない。不利な状況ならば権威を利用して和議を結ぶ。その為に常日頃から朝廷や公方に尽くしているんだ。


「麿が同道したのは、帝の御名を持って松平と六角の和議を斡旋するため。帝からも宰相の望むように計らえとお言葉を頂戴しておじゃります」


「しかし、和議を結ぶにしても松平も条件を出してきましょう」

「松平が最も望むのは東進の後ろを六角が突かぬことだ。遠江を攻めることに全力を振り向けられるのならば、松平が大高城を占領している意味はない。大高城の返却と引き換えに、六角は向こう二年間三河に侵攻せぬことを確約する」


 一座がざわつく。納得いかないという顔もちらほら見えるな。だが、奇襲攻撃に失敗した以上はこちらの負けを認めることも必要だ。その上で政略で取り返す。

 松平の動きの後ろには恐らく尼子経久が居るはずだ。お互いに兵糧を補給しようというタイミングで尾張の米を狙って松平が動き出す。どうにも話が出来過ぎている。どうやってかは分からんが、裏で繋がっていると見るべきだ。

 今回の松平との和議は、尼子との連携を阻害することも目的の一つだ。所詮松平と尼子は利害が一致したために協力しているんだろうから、松平が尼子に協力する理由を失くせば、自然と尼子と連携することは無くなる。各個撃破は戦略の基本だ。


「納得のいかぬこともあるだろうが、今は堪えよ。何よりも、尾張の民が略奪に苦しんでいる。こちらを何とかするのが最優先だ。武士の都合で民百姓の暮らしを脅かしてはならん」


 義賢を筆頭に尾張衆が頭を下げる。悔しいだろう。だが、今は尾張の安寧を取り戻すのが先だ。


 心配せずとも松平清康はいずれ潰す。清康は俺を怒らせた。飢餓民を扇動して暴動を起こさせるなんて為政者が最もやってはいけないことだ。飢えたる民をどうやって食わせるかを考えるのが為政者の仕事なのに、松平はその為に略奪という方法を選んだ。つまり、清康はどこまで行っても為政者ではなく野盗の親玉でしかないということだ。

 尼子が兵を退いた暁には、松平を本格的に征伐する。それまでは、松平の好きにさせておく。


 問題は那古野城の今川氏豊だな……。

 後で詫びに出向こう。今川家は苦境に立たされることになるが、六角家(ウチ)だって自分とこの火事を放ってまで今川に協力は出来ない。あくまでも余力があれば協力するという話だ。




 ・天文七年(1538年) 九月 尾張国愛知郡 大高城  松平清康



「では、松平殿。確かにお伝え申しましたぞ」

「ハッ!勅使のお役目、ご苦労に存じまする」


 柔らかな物腰で山科権大納言が退出する。まさか六角が自ら負けを認めてくるとはな。


「さて、皆の意見を聞こう」


 山科卿の退出を見届けた後、広間に居並ぶ諸将に向き直って早速評定に移る。


「和議を結ぶのは良いとして、大高城を返還せよとはちと……。大高城は我らが戦で勝ち取った城にござる」

 酒井左衛門尉(酒井忠勝)が最初に難色を示す。仲の良かった本多吉左衛門(本多忠豊)が柴田権六とやらに討たれたからな。無理もない。


 それを受けて本多弥八郎(本多正定)が声を上げる。

「いやいや、鳴海城を落とせなんだ以上は大高城だけを占拠しても無意味にござろう。むしろ、我らが遠江を攻める間に六角の邪魔が入らぬのであれば、大高城と鳴海城を攻め落とそうとした目的は達せられることになります。和議を結べるのならばむしろ大高城は我らにとって無用の長物と言えましょう」


「しかし、それではこの戦で死んだ者達に申し訳が立ちますまい」

「これ以上大高城にこだわるあまりに肝心の遠江遠征に割ける兵力が少なくなっては本末転倒にござる。鳴海城を奪取できなんだ以上、大高城を確保するには少なくとも一千の兵を常駐させる必要があります。それだけの兵を尾張戦線に割けば、結局は遠江遠征も苦戦を強いられる。虻蜂(あぶはち)取らずになりましょう」

「むう……」


 まあ、弥八郎の言う通りだろう。六角が負けを認めて二年は動かぬと確約するのならば決して悪い話ではない。

 だが、それは六角が約を破らなければという条件付きだ。


「六角が和議を破棄する名分はどうだ? まことに二年の間六角が動かぬという保証があれば、この和議は成功と言える。何か六角の動きを制限する方法はないか?」


 儂の発言に皆が一様に考え込む。やはりそこが問題か。六角と和議を結ぶのはこちらとしても悪い話ではない。尼子に義理立てする筋合いなどは無いしな。

 だが、ただの和議など六角がその気になればすぐに破棄することが出来る。六角が容易に約を違えることが出来ぬ名分があれば良いのだが……。


「三河守への任官を願われてはいかがでしょうか?」


 石川安芸守(石川清兼)が不意に声を上げる。


「官位をもらうのか? しかし、官位一つで六角の動きを制限できるか?」

「此度の和議は帝の御名を持って結ばれる和議になります。その和議の証として殿に三河守の官位をお授け頂ければ、朝廷が殿の三河支配を保証するという名分になりましょう。勤皇家である六角宰相ならば、朝廷の意に反してまで和議を破棄することは出来ぬのではありませんか?」


 ふむ……確かにな。六角は朝廷や公方への義理立ては篤い。そこを突くか。

 それに、三河守の官位を得れば他の松平家が儂を引きずりおろすことも難しくなる。儂を隠居させるということは朝廷と六角の意に逆らうことにもなるからな。権威とは面倒な物だと思っていたが、こういう時には役に立つ物だな。


「他に意見は無いか?」

「……」

「決まりだな。大高城は六角に返すとしよう。それと、朝廷に献上する為の銭を用意しろ」

「ハッ!」


 さて、六角が動かぬとなれば今度こそ遠江を本格的に攻め取ることが出来るな。随分と回り道をしたが、これで今川とも互角以上に戦える。後は鬱陶しい武田をどうにかできれば、遠江から一気に駿河まで軍を進めることも出来るだろう。




 ・天文七年(1538年) 九月  尾張国愛知郡 鳴海城  六角定頼



「三河守……ですか」

「ええ、面倒なことでおじゃりますな」


 山科言継がため息を吐く。本当にその通りだ。まさか清康が三河守の官位を望むとはなぁ……。

 松平は官位を自称するノリで言ってるんだろうが、話はそんなに簡単じゃない。朝廷という所は前例を何よりも重んじる。出自不明の怪しげな身元の者にそう易々と官位を与えるなんてことは出来ないんだ。


 義賢に尾張守の叙任が認められたのも、佐々木氏が宇多天皇から続く名門貴族の流れだからだ。つまり、六角家は朝廷でもそうと認識されているれっきとした名門貴族の末裔だ。朝廷内の家格としては足利なんぞよりもよっぽどの名家だと認識されている。だからこそ近衛稙家は俺を参議にして公卿の席に座らせようと画策したんだしな。


 だが、三河の一土豪に過ぎない松平が佐々木氏と同じように軽々しく任官出来ると思うのは間違いだ。まずは松平氏の先祖が従五位相当の官位に就いた前例が無ければいけない。


「前例がありますかな?」

「松平としての前例ならば、調べるまでも無い。あるはずがおじゃりませんなぁ」

「世良田氏ならばいかがです?」


 清康は世良田次郎三郎清康とも名乗っている。世良田氏は八幡太郎義家から続く名門源氏だから、松平氏よりも三河支配に有効だという目論見があったのだろう。


「ふぅむ……調べて見ねばなんとも……」

「調べてみて頂けませんか?」

「やはり、松平の望みを叶える必要がありますか」

「ええ。今のところ、松平と事を構えることは六角にとって負担が大きい。ご存知の通り、尾張の米が使えなくなったことで山城防衛戦の為の兵糧を伴庄衛門が必死になって集めている現状です。

 これ以上松平と事を構えれば、最悪の場合尼子の上洛を許すということにもなりかねません」


 暫く山科言継が無言で虚空を見つめる。羽林家である山科家の当主としては、松平のような怪しげな身元の者に朝廷の官位を認めることに不満もあるのだろう。

 やがてため息を一つ吐くと、言継が顔を上げる。


「他ならぬ近江宰相殿の申されることであれば、何とかせぬわけにはいきませんな。京に戻って関白殿下(近衛稙家)と相談いたしましょう」

「よろしくお願いいたします」


 くそっ。何で俺が松平の為に朝廷に頭を下げねばならんのだ。返す返すも腹立たしい。

 だが、ここは辛抱だ。息子に堪えろと言っておきながら自分が爆発してちゃ目も当てられない。尼子を追い返したら、今度こそ清康をぶっ潰してやる。それまで辛抱だ。



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[気になる点] 「義賢に尾張守の叙任が認められたのも、佐々木氏が宇多天皇から続く名門貴族の流れだからだ。つまり、六角家は朝廷でもそうと認識されているれっきとした名門貴族の末裔だ。朝廷内の家格としては足…
[良い点] 六角の怒りが天元突破したこと [気になる点] 尼子と松平を繋げていたのが本願寺とバレた時、六角の怒りが想像もつかないこと [一言] 更新お疲れ様です。 六角家、一時の屈辱を飲み干すことで…
[一言] 史実の信長もこんな感じで苦労したんだろうなぁ
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