第1章#5 ヌシと穢れ
「勇者様!」
リリアの声だ。男を避難させ、元来た方向から駆け寄って来る。
「そんな…」
木々が倒れ、草が枯れ、死骸が散乱する凄惨な戦いの痕跡にリリアはショックを隠せない様子だった。
「勇者様は!怪我はない!?'穢れ'を付けられなかった!?」
「あぁ、全然だいじょうぶ!」
僕は立ち上がりながら、カッコつけてニッコリ笑ってみせた。
「うそ…!」
その僕の姿を見てリリアは唖然としたように口に手を当てた。
「意識はちゃんとある!?気分は悪くない!?」
リリアの慌てように僕も少し焦る。
「いやー…ちょっと疲れたぐらい…かな?」
「…そっか…」
リリアは安心したように大きく息をついた。
「流石は勇者様だなぁ」
「そんなに'穢れ'を浴びたら、ボク、気を失っちゃうよ」
そう言いながら力なく笑った。
なるほど…
この黒いのはやっぱりヤバいやつだったか…
僕は地面に倒れて動かない黒い塊を見ながら直感の正しさを再認識した。でも、さっきと何か様子が違う。'黒いモノ'が剥がれ落ちているような…
「ヌシ様…かわいそう」
リリアが悲しそうに呟いた。
「ヌシって…森の主ってこと?」
僕は驚いて尋ねた。
「うん…。優しくて強いヌシ様だった…」
リリアは広がっていく'黒いモノ'に気を付けながら地面に屈み込んだ。
「森をちゃんと守ってたけど、絶対に人間を襲ったりなんかしなかった。本当に素敵なところだったのにな…」
リリアが辛そうに見つめるそれは'黒いモノ'が膜のように剥がれ落ち、本来の姿が露わになっていた。
「ヌシ様は…よく戦ったよ…」
かける言葉を見つけられなかった僕はただそう言うことしか出来なかった。
巨大なヘラジカの様な姿をしたヌシ様の目は、とても哀しそうに見えた。
どうやらこの世界は思った以上に危険らしい。タイミングを逃してしまっていたが、これは早いところあれを言っておかないと…
「リリア、こんな時に言うのもなんなんだけど…」
「どうしたの?」
リリアは悲しみの余韻を残しながらも僕を見ながら微笑んだ。
「実はーー」
「えっーーー!!!」
「記憶がない!!!!」
驚きの余り固まったような表情になるリリア。
本当は別人なんだけど、信じてもらえないだろうし、記憶喪失ということで説明したのだ。
「名前も覚えてないって…そんなので戦って大丈夫だったの!?」
おっしゃる通りです、はい。
転生に興奮して無茶してました!とは言えないので
「なんとかなった、かな」(てへぺろ)
とお茶目に笑って答えた。
「なんとかなった、かな(ぺろっ)、じゃないんだよ!」
どうやらリリアは怒っているようだ。だがそれもとても可愛らしい。(ぺろっ)って間違ってるし。
「'穢れ'は本当に危ないんだよ!人がいっぱい死んでるんだよ!勇者様にーー」
突然悲しそうな表情になるリリア。
「ーー勇者様にまた何かあったらボク…!」
「ご、ごめん!もう無茶しないから!」
その表情にいたたまれなくなった僕はとっさに謝った。
「ぐすっ…。本当に…?」
「うん!うん!」
高速上下運動!僕は精一杯頭を縦に振った。
「…分かった…」
リリアは目に浮かんだ涙を拭いながら僕を見つめた。
ふと疑問に思う。怒ったり、泣いたり、ここまで勇者のために真剣になれるリリアは一体勇者とどういう関係だったのだろう。肉親ではなさそうだし、恋人、というわけでもなさそうだ。僕とどんな間柄だった?と今聞くのも気まず過ぎるし…まあそのうちチャンスがあるだろう。